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気候危機への取り組みにおける政治と霊性の交差点

Mohammed Sofiane Mesbahi
2016年9月22日

このインタビューでSTWRの創始者モハメッド·ソフィアン·メスバヒは、激化する気候危機との関係から世界資源を分かち合うことの現代の政治的およびより深い霊的意味合いの両方を考察します。パリ協定と国連気候変動交渉への分かち合いの原理の関連性について政策関係の考察から始まり、現代社会がなぜいまだ環境的に持続可能な生活様式に移行していないのかということに対するより深い理由について「内なる」方向の探求へと進みます。全体として、この広範な対話は、バランスのとれたより公平で平等な世界秩序に向けてのメスバヒの大規模な市民参加の先駆的ビジョンへの紹介を目的とします。


パートl:「公平な分担」を通しての公正な推移

パリ条約についてのあなたの基本的評価はなんですか − それは「人類にとっての大きな飛躍」や「世界最大の外交的成功」と呼ぶのにふさわしいものでしたか。

6年前のコペンハーゲンにおける合意の劇的な失敗に続いて、最終的に国際気候条約が終結したことを考慮すると、熱狂的に称賛したニュースの見出しにはいくらかの正当性がありました。産業革命以前のレベルから気温上昇を1.5度以下に制御する目標を中心に取り入れられた新たな言い回しもまた、20年以上にわたるアドボカシーへの取り組みと緻密な科学を証明しています。21年間行き詰まった、多くの場合派閥的な交渉を考慮すると、これは科学者コミュニティをも驚かせた大変意欲的な目標であることを殆ど否定できないと私は考えます。

先進国および発展途上国双方に適応され得る気候変動枠組条約(UNFCCC)のもと、2020年後のグローバルな枠組みの正式な基盤を形成する最初の温室効果ガス排出削減計画 各国が自主的に決定する約束草案(INDCs)を中心に目標が定められた現在、この会議を成功として賞賛すべき根拠も一部ありました。負の排出技術の使用量に関する市民社会団体の多くの懸念にもかかわらず最も楽観的な評価から、今世紀後半までに温室効果ガス排出ネットゼロを達成する長期目標を現在私たちがもつ事実は少なくとも実行の時間枠を与えます。中国やインドなどの発展途上国が最も意欲的な誓約を立てた事実もまた、グローバルリーダーシップのジオポリティックスが動き始めたことを意味し、十分に「率先する」ことへのグローバル・ノースの意欲の欠如にもかかわらず、グローバル・サウスは緩和努力を増すことを厭いません。

この条約によって私たちが公正で維持可能な世界秩序にさらに近づけるかどうかということは別の問題です。熱望的な1.5度目標にもかかわらず、これらの共同削減を短期間でどのように実現するかという明確な計画がありません。例え現在のINDCsが2030年までに充足されたとしても、それでも私たちは3度か4度の気温上昇へと向かっており、極度に危険な転換点に達すると様々な研究が示しています。条約の紹介文自体がこれを認めており、もし私たちが国々の緩和プレッジの大幅なギャップに取り組み、せめて2度の経路に一致したガス排出を集計するためには、さらなる温室効果ガス削減努力が要求されるだろうことを述べています。国連の多国間協議の歴史のなかで、すでに不十分な誓約を国々が破ることを防ぐものがまったくないことは、楽観主義が入り込む余地を殆ど与えません。

予想通り、合意の唯一の拘束的要素は、定期的に更新される目標についての進行状況を各国が提出することです。UNFCCCの一部としてそれは国際法の法的拘束力のある文書かもしれませんが、貧困国が気候変動に適応することを促進するための資金を提供する法的責任はもはや富裕国にありません。意味のある温室効果ガス削減における法的拘束力のある目標など言うまでもありません。従って実際にはパリ協定が「意欲的」「政治的に重要」などと賞賛されていることは、悲しくもこの時代の非難されるべき事実です。この点で、2015年9月に同意された持続可能な開発目標において印象的な類似点が観察できます。それは、成果を実現するための制裁措置メカニズムや信頼性のある手段をもたないにもかかわらず、他の意欲的な環境目標と並んで、2030年までに「あらゆる場所の貧困を根絶する」と約束しています。

シェア・ザ・ワールズ・リゾースィズにおけるあなたの見地から、「公平な分担」の概念が現在気候変動に関する議論において行動へのスローガンとなったことは興味深いことです。パリ協定およびCOP交渉の分かち合いの原理への関連性をどう考えますか。

分かち合いのアイデアは、今日の政策思考や積極行動主義の多くの領域において、とりわけ気候変動への市民社会アドボカシーの取り組みにおいて、重要なテーマとして出現していますが、これは恐らく自然なことであり予期すべきことでしょう。なぜなら勿論のこと、気候変動枠組条約内では公正性および公平性の原則が認識されているからです。そのなかでアネックス1の国々の持続可能な開発の権利を尊重する一方で、温室効果ガス削減を先導することが期待されます。公正、公平に基づき科学的に認められた限界内で温室効果ガス排出を維持する責任をどのように分担すべきかということは、常にCOPプロセスの中心となってきました。共通だが差異ある責任と能力 (CBDR-RC) の重要な公平原則は、すべての国が地球温暖化に取り組む責任をもつという必要不可欠な前提のもとこの認識を掲げていますが、その責任分担は平等ではありません。従って1992年の交渉開始以来、多くの論争と分裂の原因となった深い道徳的問題をそれは浮き彫りにしました。

しかし現在パリ協定において見捨てられたも同然のその原則は大幅に後退しています。1.5度の目標内にとどまるために必要な世界規模の取り組みを主要先進国はまったく考慮せず、INDCsを通して完全に国家基盤の目標を選択することによって公平原則反対キャンペーンに成功しました。これは、彼らの歴史的責任を効果的に削除し、今後すべての国の効果的な行動に対して不利に働きます。特にアメリカの主要な目標のひとつは、貧困国の気候変動の影響のための義務的補償金への責任を回避するため「損失および損害」に関する文書の言葉を弱めることでした。

適応と緩和において発展途上国を助力する気候変動資金に関しては、年間1000億ドルを調達するという目標が嘆かわしいほど不十分なことはすでに明らかでした。そして、今のところこの総計のほんの僅かが収められているに過ぎません。そして「すべての国の間で分担された」「自発的」気候変動資金についての文書の新たな言い回しは、責任の重荷を貧困国へとさらに移転させています。保証された公的資金からは比較的少額しかでないことが予期され、そしてその資金が既存の援助の流れから転用される副次的なリスクがあります。金融取引税や革新的な炭素税などから国連気候変動基金に直接流れる付加的収入源を政府が動員する希望が殆どないため、将来の資金繰りの大部分は、民間投資に過度に依存する危険性もあるカーボン・オフセットなど、新市場メカニズムから賄われねばならないかもしれません。

適応と緩和において発展途上国を助力する気候変動資金に関しては、年間1000億ドルを調達するという目標が嘆かわしいほど不十分なことはすでに明らかでした。そして、今のところこの総計のほんの僅かが収められているに過ぎません。そして「すべての国の間で分担された」「自発的」気候変動資金についての文書の新たな言い回しは、責任の重荷を貧困国へとさらに移転させています。保証された公的資金からは比較的少額しかでないことが予期され、そしてその資金が既存の援助の流れから転用される副次的なリスクがあります。金融取引税や革新的な炭素税などから国連気候変動基金に直接流れる付加的収入源を政府が動員する希望が殆どないため、将来の資金繰りの大部分は、民間投資に過度に依存する危険性もあるカーボン・オフセットなど、新市場メカニズムから賄われねばならないかもしれません。

危険な温暖化レベルを防止することと公平な解決を考案することにおける炭素収支の関連性をさらに詳しく説明してもらえますか。

多国間主義の現在の失敗とUNFCCC交渉の不備にもかかわらず、公平な気候協定へのビジョンは最新科学に基づきキャンペーン団体や革新的アナリストに支持されることが必要不可欠であり続けると私は信じます。世界的な炭素収支の問題は、このビジョンの中心です。なぜならそれは、国際的に合意された地球温暖化の上限を破ることなくどれだけのカーボンが大気中に放たれ得るかを明らかにするからです。従って、もし残りの予算が公正性および公平性に基づいて分割されるなら、特にグローバル・ノースとサウスの間の異なった発展レベルに関連して、国家間で残りの大気空間をどのように共有するかについての差し迫った問題の数々を突きつけます。

炭素収支のアプローチは、NGOや学者の間で何年にもわたって話し合われてきており、2011年までのデータに基づく異なった気温の限界の収支評価を公開したIPCC第5次評価報告書に続いて科学的に確立されています。2度未満に抑えるという妥当な見通しをもつためには、大気中へのカーボン放出の限界は約1兆トンと国連は推定しましたが、付加的な温暖化要素や他のグリーンハウスガスを考慮に入れると、それは約8千億トンまで減少しました。工業革命の始まり以来、この放出量の5000億トン以上をすでに私たちはCO2排出を通して使いました。それは、少なくとも収支の半分がすでに使われたということです。現在の炭素排出の軌道において、未使用の炭素収支は2、30年内に使い尽くされると予測されました。

しかしながら様々な研究がこれらの評価を改め、1.5度収支内に抑えるための年数があまり残されていないと割りだしました。「危険な」気候変動を防ぐための十分に安全なしきい値が、2度に代表されないことは主流の化学およびNGOコミュニティ双方に受け入れられています。それにもかかわらず、これまでの取り組みの筋書きの殆どが2度か3度に集中し、より安全な1.5度の限界について科学はあまり強固でありません。現在のCO2排出レベルでは1.5度収支を越えるまでに5年分以下しか残らないかもしれず、そしてそれさえが帰還不能限界点の危険性、ならびに食糧および人間の安全への過酷な影響を回避する確率を僅か66%しか残しません。IPCC用語で「起こり得る」可能性と考えられた66%の確率が非常に疑わしいことは注目に値します。そして例えば、もし私たちが90%またはそれ以上の人間の活動の他の領域において、容認可能と考えられるリスクレベルを適用するなら、1.5度未満を維持するための炭素収支は実際にはなにも残らないのです。

IPCCの見積もりは、異なった臆説や方法論が使われ極端に複雑なことは強調に値します。そして大気園に見られる温暖化を増幅し軽減させるフィードバックプロセスについて多くの不確実性があります。従って、一定温度未満に抑えることにおける様々な確率が必要とされますが、そのどれにも保証がありません。IPCCの見積もりは寛容過ぎること、そして私たちは炭素収支の総計を最高200%まで見積もり過ぎているかもしれないことを発見した新研究がしばしば発表されています。

国際的に合意され科学的に定義づけられた全世界の炭素排出枠をどのように適用すべきか、ついで残った炭素収支をどのように国家間または国民の間で分配すべきかを考えると、政治的、経済的、社会的な意味合いは計り知れません。炭素排出を2度のしきい値内に抑えることでさえ並外れたチャレンジなのは公式な国連のデータからすでに明らかです。これらの目的に向かっての緩和努力および経済的努力の公平な分担は、アネックス1の国々のより大きな犠牲、発展途上国の極めて重要な社会的、経済的ニーズ、そして人間の歴史上無比の国際協力をある程度必要とするでしょう。しかし前述のように、この並外れた文明的チャレンジの真の範囲を認識することからいまだ私たちは程遠いようです。安全な収支内に温度を保つことを不可能にするだろう、新たな化石燃料埋葬量開発に莫大に投資する化石燃料企業がいまだ助長される一方で、政治的リーダーたちはパリ・サミットにおいて、目標および努力分担の基盤として全炭素収支について話し合うことさえできませんでした。

各国基盤の真に公平で意欲的なレベルの国際協力がどうあるべきかについてさらにコメントしてください。分かち合いの原理、正義および公平性を多国間気候体制にどう変換すべきかについての現在の市民社会の考え方の具体的な成果としてなにが理解できますか。

2009年のコペンハーゲンサミットの時期以降知られるようになった活動家サークルでの「気候債務」討議から発展してきたこの問いは市民社会団体の間で非常に注目されています。問題は、国連気候変動枠組条約の原則と同じほど長い間受け入れられ、パリ条約において世界のリーダーに再び支持されながらもいまだ殆ど世界的枠組みに取り入れられていない、意欲的な気候制度をどのように「公平性と可能な限り最良の科学的観点から」発展させるかということです。従って、枠組条約の核となる公平原則をどのように操作できるようにすべきかを多くのNGOが検討しました。

この話し合いにおける様々な提案の共通点のひとつは、気候保護へのアプローチがどうであろうと経済正義への懸念です。それはグローバル・サウスの国々の持続可能な開発への権利を保護する公平性に基づいた努力分担の枠組みの必要性を生じさせます。これは単なる倫理上の優先事項でなく地政学上の現実論の基盤そのものであり、増大する環境上の活動意欲への入り口であることをCOP交渉の駆け引きは証明しています - これは多くの市民社会オブザーバーによって十分論議されてきた点です。

高い評価を受けた温室効果ガス開発権 (GDRs)枠組みのなかで、例えば、持続可能な開発への権利は「開発しきい値」を通して成文化されていますが、それは、気候変動取り組みにおける一国の能力の見積もりにおいて考慮されるべきでない、一人当たりの所得レベルを意味します。別の言い方をすると、一国の能力は、開発しきい値未満の所得を除いたすべての人の所得の合計として定義付けることができ、それは、合理的にグローバル・ノースおよびサウス双方のすべての人に適用できるよう、公式な国際貧困ラインより高い適切な生活水準を一部反映すべきです。これに対する説得力のある論拠は、開発権をまだ実現していない、この所得水準未満の人々は、気候推移の重荷を背負うべきではないということです。

グローバル・ノースとサウスの間の不公平な歴史的炭素ガス排出量についてさらに説明する目的で、各国の総合能力だけでなく責任をも見積もるために公平性指標を使用することをGDRの枠組みは提案しています。例えば、合意された1850年や1990年の開始日以来、発展しきい値を説明するために調整された歴史的責任は、各国の一人当たりの温室効果ガス排出累積量をもとに割りだされます。このようにして、世界的な緩和努力の一国の公平な分担は、その責任と能力を組み合わせることによって規定でき、従って義務の単一指標をつくりだします。勿論、そのような指標の真のダイナミックな可能性は残りの炭素収支の規定に依存します。なぜなら、第一に標識となる1.5度の経路が明らかに交渉の基盤となるからです。

ここでのGDRの方法論に関する私の手短な説明は幾分大雑把で不完全です。すべての国々の間で世界的努力を分担する公正で定量化可能なシステムを公平性指標の使用がどのように提供できるかをより良く理解するために、彼らの文献を参照することをおすすめします。しかし、彼らの主な成功は、実行可能な気候変動緩和のどのような枠組みのためであろうとグローバル・ノースとサウスの間の協力への大きな献身がどのように必要不可欠であるかを証明することだと私は考えます。アネックス1の国々は比較的もっと大きな世界的責任および能力の分担を担っているため、国内活動だけを通して公平な努力分担を充足するのは不可能です。それ故、発展途上国が持続可能開発計画に沿って緩和可能性を最大に生かすために必要な、技術および能力構築へのアクセスならびに資金を提供する正当な義務が彼らにはあります。

COP21以前の公平性に基づいたそのような枠組みの最新バージョンのなかで、INDCに関する市民社会の審査は、富裕国の公約とそれぞれの公平な努力の分担との間にどれだけの差があるかを明らかにすることができました。その中心は、大いにスケールアップされた実施手段の必要性です。例えば、アメリカと欧州連合のINDCは彼らの公平な分担の約5分の1を代表するに過ぎません。しかしこれらの見積もりさえが2℃の世界的緩和経路に基づきまったく不十分なINDCに関連して実利を重んじ保守的であるため、将来より有意義で法的拘束力のあるかもしれない誓約が立てられることを可能にする「徐々に増加させていくメカニズム」を市民社会組織が推薦するようになったことが強調されるべきです。

しかしながらやはり、分かち合いおよび公平性の原理がその中心にない限り、拘束力のある緩和の枠組みを発展途上国が受け入れることは期待できません。貧困根絶と人間の発展は、化学的現実と一致して、ゼロカーボン・エネルギー供給へのマーシャルスタイルの移行と密接に関連していることが理解されねばなりません。他に方法はありません:第一に、より大きな重荷の分担をグローバル・ノースが担い、サウスの貧困国への技術的、経済的援助の大規模な国際トランスファーにおける彼らの義務に正面から取り組む必要があるでしょう。ここで話していることは実際、1980年のブラント報告書に幾分か類似した国際協力の新ビジョンです。気候および貧困危機双方に同時に対処するために世界的な資源の再配分が必要とされる、生態学的境界を迅速に越える世界の現実を反映するために、あの報告書が更新されるべき時です。

ブラント報告書はグローバルなケインズ式刺激策に基づいた第3世界のためのマーシャル・プランのようなものを提案しましたが、残りの炭素収支が公平性に基づいて割り当てられることにより、さらに長期的にグローバル経済の著しい収縮なくして1.5度、あるいは2度のターゲットさえを達成することは可能ですか。

これは経済成長の優勢性が滅多に問われることのない主流の政治サークルや学会のなかではあまり信憑性のない疑問です。しかし世界経済活動を断続的に強化することは、危険な気候変動を回避し地球生態系を維持するための試みと調和しない点でローマクラブやイギリスのかつての国連持続可能な開発委員会など多くのグリーン経済学者および環境シンクタンクの基本評価に私は同意します。英国のチンダル研究所もまた、炭素収支分析からこの問題に取り組んでおり、アネッックス1の国々での消費削減や経済収縮のために計画された即時の「脱成長」戦略の必要に関する概要のなかで説得力のある議論を立てています。

例えば、パリ協定のINDC誓約が始まる2020年まで行動をさらに遅らせるのでなく、2°Cの義務を充足させることがアネックス1の国々に大幅な経済の脱炭素化を即刻実施することをどのように要求するかを証明する彼らの分析を十分に検討する価値があります。唯一この基盤でのみ、2025年までに発展途上国が温室効果ガス排出のピークに達すること、そして化石燃料基盤の開発から迅速に移行し始めると同時に最小限でも自国経済を成長させることが可能になるかもしれません。チンダル研究所が公平原則を基盤に採用している累積排出量収支のアプローチによると、富裕国は今後何十年間かにわたってガス排出を年間8-10%削減せねばなりません。それは殆どの経済学者の考えと相反して経済成長と一致せずかなり低い割合です。事実、年間4%のガス排出削減でさえ大きな経済収縮なくして長期的に成功した国は歴史上記録にありません。イギリスの気候変動委員会によるスターン報告書は、歴史上、年間1%を超える削減が景気の後退や激変に関係することを認めました。

従って、チンダル研究所の尊敬すべきアナリストは貧困国での断続する経済成長と増大するガス排出の埋め合わせをするためにアメリカ、欧州および他の富裕国において緊縮経済政策と迅速な炭素除去が必要だと結論づけました。その完全導入に2、30年かかるかもしれない低炭素エネルギー供給への漸進的移行のための時間はもはやありません。従って、従来の経済成長追求の代わりに再分配的な経済戦略をもっと直接導入するかたわらエネルギーおよび資源消費の公平な削減を意図的に求めねばなりません。

これは疑いなく、公衆討論の急進主義的非主流派のなかで多く話し合われている自由放任主義的グローバリゼーションの機能不全な理論にチャレンジを提起しますが、それは経済的正当性のパラダイム転換の必要性やGDP測定への過度な固執を超えたマクロ経済学の新説の必要性を指し示しています。チンダル研究所の分析は前述のように1.5度でなく2度経路に基づき極度に低い50%の確率を占めるに過ぎず、その想定は大変保守的だということをも付け加えておきましょう。また、彼らが計画経路を開発させて以来4、5年間のガス排出増加を説明するために、富裕国のための炭素除去率は年間10%をかなり上回る、恐らく15%から20%域であることが必要かもしれません。それが示唆するところがショッキングなことは言うまでもありません。

資源制約やその他の生態学的限界にもかかわらず、環境の制約の原因だけのために世界中で断続的な経済成長が成り立たたないとしたら、それが広範に意味するところのいくつかはなんでしょうか。地球資源が皆に公平に分配される世界の創造をもしあなたが信じるなら、これは国内および国家間の生活水準における相対的な収束を暗示しているのではないのでしょうか。

経済学者の見地から私たちが考察してきた研究と分析の主な重要性のひとつは、断続した生産増加またはいわゆる「グリーン」や「持続可能な」成長を可能にするために炭素強度が十分に削減され得るという、殆どの政策立案者の仮説には反論の余地が大いにあるということです。もっと長期的に経済成長から温室効果ガスを切り離すことができるという信条は立証されていないどころか永久的な絶対的切り離しは非常に稀なことが明らかにされています。さらなる成長および消費における効率性向上のために再投資される傾向がありそのためうわさの温室効果ガス削減の利点を無効にするリバウンド効果の驚異を無数の研究が引き合いにだしています。

さらに、富裕国が事実上温室効果ガス排出および生産を他国に輸出している事実を考慮するならそれは完全に異なった状況を呈します。国際航空産業および海運産業を含んだ消費基盤のガス排出を一度十分に考慮するなら、特に、迅速に縮小する世界的炭素収支と比べるなら、切り離しレベルは殆どの国にとっておよそ無意味です。このすべてが非常に議論の多い結論を暗示していますが、世界経済を年々拡大し続けることや富裕国で当然とされるような現在の豊かさのレベルを普遍化すると同時に、パリで提示された炭素削減コミットメントを充足できないのは明らかだと私は思います。エネルギー効率化技術および再生可能なエネルギーを通してどのような生産性向上が達成されようと、必要とされる絶対的なガス削減はまた、世界的なエネルギー消費の劇的な削減にかかっています。そしてそれはもはや断続したGDP成長を前提としない新マクロ経済政策目標を政府が導入することにかかっていることを暗に意味しています。

現在、定常経済の概念のまわりで多くの理論研究とモデル作業がなされてきましたが、あなたがこの質問で指摘しているように真の問題はどのように公平な世界的持続可能性への移行を成就し管理するかということです。それは単に世界の排出収支をどう公平に分担すべきか、あるいは大気汚染の権利をどう分配すべきかという問題ではありません;自然界がどう使われ分かち合われるべきかについてさらに大きくさらに難しい考慮すべき事柄があります。私たちが既にいくつかの重要なプラネタリー・バウンダリーを押し進め、そして世界人口が迅速に増加する一方、資源が皆に公平に分配される世界をどのように築くことができるのでしょうか。この分野でのいくつかの興味深い発見によりエコロジカル・フットプリント分析は私たち全員の資源への需要が既にどう地球のバイオキャパシティを50%超えているかを立証しています。消費者のなかでも最も裕福な20%が地球資源の大部分を強奪しており環境劣化の最も大きな原因となっています。

「地球の公平な分かち合い」という理想はこの点でむしろ非現実的かもしれませんが、それは大変不都合な真実を人生にもたらします - それはもし物質的生活水準の収束に近いものが環境的限界を超えることなく世界的に達成されることを目標とするなら、高所得国はエコロジカル・フットプリントを一人当たり最高80%まで削減せねばならないかもしれないということです。殆どの富指標および不平等指標の観点から世界が分岐し続けることを考慮すると現時点では収束する世界へのこの明確なビジョンを伴う概念は勿論、主に高潔な社会科学者の領域に限られるのですが。

真の協力と分かち合いに基づき国境を越えた問題を処理する目的のために決して構築されることのなかった国家統治システムに関して特に、生物物理学的現実のなかでバランスのとれた世界資源の分配を達成することの遠大な重要性を私たちは国際コミュニティとして認めたくないようです。気候危機およびより広い生態学的危機双方が無限の経済成長ならびに破壊的なエネルギー集約型および消費者主導型の生活様式に基づいた拡大し続ける世界貿易の全モデルを再考するよう国々に余儀なくさせていることは明瞭だと言ってよいでしょう。しかし真の問題はこの計り知れない社会転換のために必要な政策と方法について考察されたすべてにかかわらず、生態学的に柔軟かつさらに平等な参加型社会を実際にどう開始すべきかということに関係します。

この疑問は後程さらに深く再考しましょう。パリの気候会議に戻りますが、先程あなたがあらましを述べたある種の公平で意欲的な多国間制度を達成することへの主な障害はなんでしょうか?

富裕国政府が化石燃料のロビー団体および企業クラスによって政治的に捉えられる一方、COP交渉がパワフルな既得権益に支配されるなか気候正義運動のキャンペーナーの主な障害は火を見るよりも明らかです。去年12月のパリ・サミットは前例のないレベルの企業のスポンサーシップを獲得しました。そしてそれはバイオマスエネルギー二酸化炭素回収・貯留のような市場基盤および技術主導の解決策への新たなフォーカスをもって会議場に反映されていました。カーボンマーケットは現在大々的に再検討されているようです。それはガス排出の劇的削減に短期間で最大限の努力を投じる代わりに気候危機から脱出する道を交渉できると政府がいまだ信じていることを暗示しています。化石燃料補助金の即時廃止、多様な農業生態学的食糧システムへの移行、経済の地域化および100%再生可能エネルギーへの世界的な転換計画など真の解決策が合意の一部になることは決してありませんでした。

「世界的温室効果ガス排出の大幅削減」または「持続可能な消費および生産パターン」のまわりで枠組み条約が快い言い回しを使っているパリ条約の中心にある矛盾が殆どのオブザーバーにとって明らかであるにもかかわらず、環境危機の全体に行き渡った政治的、経済的根元を枠組み条約は無視していると私は考えます。従って政府同士が気候協定を交渉しガス排出削減の促進を誓約すると同時に彼らはまた大西洋横断貿易投資パートナーシップ(TTIP)のような環境的に有害な秘密主義的貿易協定を交渉し続けていました。外部に漏れた文書によると、国際貿易を制限するかもしれないパリ会議での方策の話し合いのすべてを欧州連合は阻止しました。そして私たちが知るように、閉ざされたドアの向こうで交渉されている多国間協定の多くは化石燃料の輸出入の著しい増加を目的としています。

国連気候変動プロセスは化石燃料消費の需要側だけに集中しその生産にまったく注目しないという点でもまた明らかな矛盾があります。従って現在5兆ドルの域にある化石燃料補助金のための莫大な年間支出にパリ協定がまったく言及しなかったことは驚くべきことではありませんでした。膨大なキャンペーンおよび公衆の支援にもかかわらず最終合意においてさえ化石燃料を地中に留めるというアイデア全体が認められなかったこともまた驚くべきことではありません。国際輸送からの汚染もまた合意から完全に除外されました。それは今後数十年間、海運産業および航空産業がどれだけ世界のガス排出の原因になるかということを踏まえると考えられないことです。

これらの難解な気候交渉の意味を理解しようとする善意の一般人にとって明瞭なひとつの結論は、商業化勢力として私が述べるものの芳しくない影響下にある国家のリーダーを信用することはできないということです。TTIPのような秘密主義的貿易協定の閉ざされたドアの後ろでなにが起こっているかをまさに私たちが知らないように、 COPプロセスの企業サーカスのなかで実際なにが話し合われているかを一般の人は誰も知らないのです。私はこれらのリーダーをしばしば政治的会計士と呼びます。なぜなら彼らは自国に戻った途端、彼らが常に後押しする主要な汚染者である企業の利益のためにすぐさま彼らとさらなる契約を結ぶだろうからです。

例えば、私たちの英国政府は派手に誇示するなかパリ協定に署名しました。そしてその翌日再生可能エネルギー補助金の全面的削減を発表し、国立公園や自然保護地域下の地方の新領域でさえを水圧破砕法に開くことにより後退しました。オバマ大統領はまた、気候協定が合意された僅か数日後に40年間続いた原油の輸出禁止の撤廃を締結させました。それは炭素排出をさらに激化させるだろう石油産業への大きな投げ売りのようなものでした。従ってこれらの政治的会計士が抑えのきかない市場勢力のイデオロギーの完全な影響下にある時、地球救済などといった重要な問題を呑気に彼らに任せておけないことは誰も否定できないのではないでしょうか。

これらの定着した企業勢力および強力な利権を前にして、政府の政策を正しい方向に転換させるためには一般人になにができますか。

最も重要な優先事項としてゼロカーボン経済に転換することを政府にやむなくさせるために活動家と従事する市民が何度も繰り返し大規模なデモンストレーションと直接的行動を計画すべき時がきています。消費主義および通常通り営業の考え方そのものに対する大規模なボイコットのように、全公衆が参加し迅速な社会変革の必要性を受け入れねばなりません。オランド大統領による、平和的デモンストレーションの日和見主義的禁止にもかかわらず、パリ気候会議の間見られた活気に満ちた抗議デモ活動が遥かに大きな規模で全都市で行われることがまさに必要とされるのです。

年に一、二度あるいは締約国会議の間だけでなく、私たちはこの瞬間も世界中で絶え間なく抗議デモをしているべきです。21世紀、総累積排出量は比類のない速度で増加しました。そしてちょうど今考察したように、世界の人々の膨大な圧力なくして世界のリーダーが効果的な緩和ための行動を取るだろうと信じるのは世間知らずか愚かというものです。崩壊する銀行を救済し経済を復活させるために政府が環境問題を即時棚上げした2008年の国際為替市場暴落後なにが起こったか忘れないでおきましょう。多くの主要なアナリストが予測しているように、再び深刻な世界経済危機があったらどうなると思いますか。

もし私たちが直面する環境問題の規模を包括的に考えるなら、政府に優先事項を見直しさせるための唯一の解決策が世界中での断続的デモンストレーションであることは明らかです。公衆として私たちが政府に依存しているのではなく、大企業および金融勢力を優先し続けることを許す現在のパブリック・エンゲージメントの欠如に彼らが依存しているため実際はその逆が真実です。また別の観点から見ると、世界のリーダーたちは協力のなか1.5度の限界温度という大目標に合意することによって実際のところ自分たちの役割を果たしました;従って必要な社会的、政治的、経済的および技術的変革を達成するのに見合った行動がとられるまで日夜抗議デモをし続けるかどうかは公衆にかかっているのです。

大きな環境デモの発する声は政府にとどくだけでなく一般公衆に環境的緊急性へのより広い認識をもたらすことでも注目に値します。その効果は強力です。メディアはこの点で公衆を教育することにおいて重要な役割をもち、そして気候の大惨事を回避するために彼らが社会的変革への必要性を絶えず報道するならひいては世界中で怠慢な政府の面前において抗議デモが途方もない規模になるのを私たちは目撃するかもしれません。勿論、主流のマスコミがこのように振る舞うことは2、3の例外を除いて稀です − 例えば、気候変動との戦いの重荷をもっと公平に分担するよう政府らに呼びかけた社説を一面に掲載するなど、2009年のコペンハーゲン会議に先立ち共通の声をもって世界のメディアは画期的に報道しました。[2]

しかしながら一般的に主流メディアは気候危機の真の範囲とその取り組みの緊急性について公衆を教育するという極めて重要な役割を果たせないできました。それとは反対に、メディアの殆どは自分たちの企業後援者や政治的恩人のために虚偽のプロパガンダを拡散することに気を取られ気候問題は殆ど完全に無視状態です。そして例えば、イギリスでも「歴史的な」パリ協定が合意された日、大衆紙タブロイドはひとつとしてそのことを一面に大見出しで報道しませんでした。それにもかかわらず、これは人類の未来の生存を決定するかもしれない問題であり、最終的に全員の協力と参加を必要とするだろう根本的な生活様式の体系的変革を必要とするのです。

過去何ヶ月間そして何年間にも渡って、クリーンエネルギーへの正しい移行への協調した呼びかけのなか何万人もの人々が化石燃料を地中に留めるための世界的に高まる活動に参加してきました。抗議デモ、抗議運動および市民的不服従のこの復活を気候危機の現実に公衆が目覚めている兆候としてあなたは考えますか。それともあなたが想い描いている広範な基盤をもった社会運動のようなものが起こるまでの道のりは長いのでしょうか。

実に一方で十分に真の意欲がない気候協定があり、そしてその一方でまたやる気のないグローバル公衆がいます。例えば2014年9月、気候危機に取り組む大胆な行動を政府に要求する約40万人がニューヨークシティの街頭に集まりアメリカ史上最大の気候デモが行われました。しかしアメリカの人口は3億人以上です。従って40万人の人々が抗議運動で活動すると同時に、何百万人という人々が消費活動に従事していたと言えるかもしれません。同じことが、全人口の相対的に僅かな割合であり続ける気候デモが最近行われた他の多くの国々についても言えます。真実は、環境にとって最大の危険は汚染する企業やその恩義を受けている政府だけではありません;それは一般的に公衆の自己満足的無頓着さや甚だしい無関心でもあるのです。

地中に化石燃料をとどめること、非中央集権型再生可能エネルギー源に切り替えること、さらに現地化された生態学的に柔軟な経済を発展させること、企業の取り囲みからコモンズを守ることなど、諸々の必要性に対して成熟性と聡明さをもって運動する多くの献身的な活動家がいるのは確かです。しかし比較的少数の人々が全人口の支持を必要とする仕事をなそうと試みています。彼らは残りの人々全員の仕事を実際上自分たちだけでやろうとしているのです。それは私たちが気候危機的惨事に向かっていると科学者が警告しているこの時、道理に合わないことなのです。

これらごく少数の活動家たちは世界を救うためにできる限りのことをしています − 残りの人々は世界問題を他人と政府に任せる消費者国民として考慮するのが最も適切でしょう。従って政府が商業化勢力に支配される一方、自己満足的無頓着さと無関心によって消費者国民が弱体化されていることを私たちは認識するかもしれません。この憂鬱で飽き飽きする現実のなかで活動する多くの善意の人々が、万人のより大きな利益のために戦う試みに疲れ果て困惑を感じていることは当然のことなのです。

しかしながらもうひとつの事実を環境運動家は認識すべきです:失敗に終わったコペンハーゲン協定後の公衆の怒りを考慮するなら特に、パリの世界的協定の達成を世界のリーダーたちに強要したのは大部分が彼ら自身の活動と世界規模のデモンストレーションだったということです。不平等および過剰消費へのフランシスコ法王の強い批判もまた人々の声を認識するよう世界のリーダーたちを即した重要要素です。ローマ法王の環境についての意見は、環境危機解決のために世界資源を分かち合うことの正当性を効果的に論証する彼の最近の回勅に反映されるように、信者および不可知論者双方によって細心の注意が払わられるべきです。

ローマ法王が基本的に認識することは、世界全体を通して生活水準の極端な格差と私たちが戦わない限り生態学的問題と戦うことはできないということですが、それは悲しくも人類の活動に欠落する世界的結束および相互依存感覚を必要とします。社会を変革することは、強力な金融勢力によって駆り立てられ一般的に幅広いビジョンを欠く傾向にある主流派の政治家だけの責任でないことを彼の教えは明確にしています。放蕩な消費主義的生活様式を持続する私たちの社会的条件付けに打ち勝ち、物質主義的思考設定と広く行き渡った「技術経済パラダイム」を拒否する新たな生活態度を代わりに発達させる真の責任は私たちにあります。[3] それはより簡素で正常および平等な世界を支持する何百万人という人々との結束を通して始まることができると私は示唆します。

パリ会議の間、弱者、または実に全人類の利益より富裕者や権力者の利益を首尾一貫して優先する「政治的会計士」と私たちが呼ぶ者たちとの現実と市民社会の切なる要求との間には計り知れない差があるという所見を多くの活動家が述べました。持続可能な経済に首尾よく移行するために私たちはこの差をどう縮小するつもりでしょうか − 再生可能エネルギーへの完全な移行のために必要とされる政治的意思をもたらすめに市民社会団体がひとつの声をもって結束せねばならないとあなたは言っているのですか?

公平な気候協定のために私たちが概説した幅広いビジョンは政治的会計士が政府を支配している限り決して成功しないだろうし、例え最終的に彼らがそのような常識的提案を受け入れたとしても大変長い時間がかかるでしょう。そして警戒すべき400ppmを既に超える現在そのような時間はありません。今後10年間が地球温暖化を制限すべく決定的な行動をとるべき危機的状況であることを気候科学者は明確にしていますが、政治的「リアリズム」と迅速な全体的変革への必要性の間の見たところ橋渡し不可能なギャップを考える時、私たちは行き詰まっているように見えます。

社会運動、環境および開発NGO、そしてすべての革新的市民社会組織が共同戦線において結束することが前進する道だと多くの人は信じます。そしてそのための多くのイニシアチブとマニフェストが現れては消え余り多くが達成されないことを私たちは見てきました。残念ながらそれらのイニシアチブは文字通り何百万人という人々が参加する大規模な抗議デモと平和的な直接行動を通して莫大な数の一般人が支持しない限り決して成功することはないでしょう。そして現在のところそれからは程遠いのです。

世界全体であまりに多くの不正義と苦しみが存在する現時点において様々なNGOの運動が非常に必要とされています。従ってもしそれらの組織が気候変動取り組みのために政府との戦いに全エネルギーを注ぎ込んだとしたらそれは彼ら自身の取り組みに有害にさえなるかもしれません。私の見立てでは彼らの取り組みは政府や多国籍企業と同類のエネルギーをもっており、一方がより商業化、社会的分割および環境破壊へと誤った動向を激化させるかたわらNGOは反対方向へと引っ張り害を緩和しようと試みています。それは確かにひとつの戦いですが、その戦いは余りに多くの異なった方向へと広がっているため独自のやり方で各々の目標のための戦いに没頭するすべてのNGOは集団的努力を調和させることができません。

従って現在の広範な公衆の無関心および無気力の状況において、NGOと市民社会団体が集合的に先導すべきだと信じることは誤りです。世界的な不正および環境劣化の状況の深刻さを公衆全体が認識すべきこの時、それは自己満足的無頓着さでさえあります。この公衆の認識がもたらされる時、NGOの共通の声が余りに高まり政府が彼らの助言を聞き入れることをやむなくされるまで公衆は NGOに力を与えるでしょう。その意味で公衆の支持は、各々の多様な目標のなかで結束するNGOの事実を象徴するでしょう。


パート II:内なるCO2と外なるCO2

化石燃料の大部分が地中にとどめておかれるべきだという一致した意見の高まりにもかかわらず、気候危機から利益を上げ化石燃料産業の利益を促進し続ける権力的リーダーや企業のエグゼクティブの思考設定をどう説明しますか。

最も総合的な評価において私たちが実際に目撃しているものは、相反する左翼政権と右翼政権、あるいは確固とした革新派的意見と反動派的意見の間のますます分極化する考え方に代表されるように、古い時代と新しい時代の間で起こっている戦争です。私たちはまた国家および世界レベル双方で悪化する極端な不平等がもたらすますます拡大しつつある社会的格差とグローバル紛争をも目撃しています。従ってこの激化する危機と無秩序の大混乱のなかロビー活動と気候変動を否定することにより彼らの化石燃料産業エンパイアを維持することをなにがあっても止めることのないコーク兄弟のような億万長者の企業のエグゼクティブの意識は平均的市民にとって理解しがたいものです。

地球を破壊することによって利益を上げている人もまた、キーストーンXLパイプラインに反対する活動家や化石燃料への投資撤退を提唱する人々など彼らと戦う人々の意識を理解することは決してないでしょう。汚染する企業と新たな契約を公衆の背後で交渉し続ける間、気候のための野心的な取り決めに最大限の努力を投じると公言する政治家など、今日の気候危機から利益を上げる人々の思考設定をもはや誰も理解することのできない時がきています。従って、時代遅れなあり方を代表する利己主義的個人の意図を理解しようとするよりむしろ、私たち集団としての未来のために戦う環境運動家の考えを理解し、遅れをとることなく彼らに参加するのが良いと言えるでしょう。

100%再生エネルギーおよび非資源集約型生活様式に移行することの経済的、環境的、社会的正当性がどれだけ明瞭かを考慮すると、社会のこの壮大な改革を至急誘導するために必要な政策をなぜ政府が実行できないでいるのか実際のところ一部の人には不思議に思えるかもしれません。十分な政治的行動のこの欠如を現在の支配的な経済システムやそのイデオロギーによる制約の観点から改革的思想家が説明できるとしても、経済的グロバリゼーションや新自由主義の理論的分析に要約され得ないさらに深いなにかが陰で起こっているのです。

密教的、霊的観点から現実には新たな生命力が世界に迅速に入ってきていますが、競争、頽廃および権力への渇望という古い過去のあり方に終わりがきていることを認識する聡明さも尊厳さも権力層の政治家たちはもち合わせていないのです。これらの古いあり方の最も極端な支持者たちは自国を再び大国として復興させ、左翼と右翼の「主義」を通してパワーを巡る戦いに従事し続けることについて以外はなにも話さないのです。それは国家間の善意と協力の表現を最終的に抑止します。常にそうであったように、これらの無知な思考設定を源とする政策の巻き添え被害を被るのは世界の貧困者と環境なのです。

悲しいかな、分かち合い、正義および正しい人間関係に基づいた経済的、政治的変革を要求する、世界に入ってきている新勢力を受け入れる時がきていることを意識的または直感的に認識する賢明な男女は今日の主流政治のなかで大変稀です。最終的に、気候変動の根底にある原因要素は人間の意識や認識の問題でありそしてその問題は本来私たちの時代を特徴づける相互連結した本質的に霊的な全危機に密接に関係しています。

気候変動がその本質において霊的であり人間の意識の問題に起因しているということの意味をより詳細に考察するのは興味深いでしょう。人生についての霊的理解と政治的、経済的、環境的問題を融合させることは革新的思想家や活動的市民にとって価値があるのでしょうか。これはより霊的または密教学的観点から人類の問題を詳細に検討するあなたの連載執筆 分かち合いの原理についての考察の主要テーマであるようですが。

ここであなたはこのインタビューにおいて大変異なる種類のエネルギーと原動力をもってまったく新しい方向に転換するよう私を即していますが喜んでそうしましょう。なぜなら私の主な関心は、COPの交渉や他の国連サミットの政策詳細について解説することにあるのでなくむしろひとつの人類の観点から私がしばしば言及する世界的相互連結の霊的理解に基づき公衆の世界的蜂起の扇動を促進することにあるからです。持続可能な経済システムへの正しい移行が実際どう起こり得るかについての現実を把握するために人生の内なる側面への認識が絶対不可欠にもかかわらず、殆どの運動家サークルでは政治と霊性の交差点について話し合われることが稀であるだけでなく理解されてもいません。

私たちが今話し合ったように、経済力、競争および利己的な資源買収に基づいた古い政治的考え方のイデオロギー的支持者が大衆の善意や自己知識に基づいた真の教育を通して世界をどう変革するかについての教えに興味をもつことはなさそうです。しかし聡明な人々がより良い世界を提唱する時がきており、特に若者はハートとその特質への認識に根づいたさらに全体論的、包括的あるいは霊的知覚能力を通して政治問題を考察することが望まれます。

私たちが世界資源の分かち合いについてのより深遠な霊的意味合いを誠意をもって理解することに関心があるなら、ハートについてのこの新しい理解を自分たちのアドボカシー活動および政治理論に導入することを学ばねばなりません。それは私たちが社会・環境正義への多様な目標を諦めねばならないとか、政治的追求と並行してある密教哲学について読み始めねばならないとかいう意味ではありません。読む価値のある霊的教えは沢山ありますが、それはむしろ宿命的に商業化され分割された世界での正しい人間関係の意味をもっと自分たち自身で探求していくという問題です。そしてそれは私たちの現在の活動の利益となり、社会がどう変革すべきかということについての理解を深めるのみです。従って私の第一の関心は、このもっとハートを使ったエネルギーと全人類の相互依存についての新たな認識をもって善意の一般の人々が思考のなかでどう異なった経路をとれるかということなのです。

環境問題に関しては、これを内なるCO2と外なるCO2として異なったふたつの相互関係した地球の未来持続可能性を脅かす汚染形態として私たちは考えることができます。外なる汚染は大気や自然環境の観点から無限に話し合われていますが、より大きな問題は何千年もの間人類の活動を決定してきた内なる汚染であり、それは今日の文明的または霊的危機の頂点に達しています。言い換えると、貪欲、自己本位、甚だしい野望、傲慢、自己満足的無頓着さ、無関心、偏見、憎悪、その他諸々 − これらは私たち集団としての運命をかたちどる、私たちの周りに見られる悲惨な環境的影響を生み続ける内なる態度および意図です。外なるCO2はひとりでに起こりません − それは明らかに、個人から国内および国家間までのレベルにおいて私たちの思考と行動を動機づける内なるCO2の結果です。

従って社会一般に受け入れられた「内なる」価値観が物質主義的、利己的思考に基づいている時、大企業や政府の外なる活動と戦うことによってのみ安全でバランスのとれた環境をもたらすことは最終的に不可能なのです。何千万人という無数の個人の意図を通して表現されるように、利益、権力、富および贅沢への衝動が4度またはそれ以上の上昇によってこの惑星を加熱するよう既に私たちに強いている時、世界の気温上昇を1.5度以下にどう制限できるのでしょうか。それにもかかわらず、もっと成熟した環境キャンペーナーだけが唯一人類の内部の姿勢をどう変革するかというこの問題に考えを巡らせているのです。

「内なるCO2」および人類の相互依存に対するこの認識の理解および実行を試みることによって、特に世界的環境危機との関係から私たちに利益をもたらせ得る具体的な方法はなんですか。

化石燃料を地中にとどめ緊急に世界をクリーン・エネルギーに移行させるなど気候危機に取り組むために政府や主要な企業はなぜもっと同調した行動をとらないのかという理由の背後にある謎について以前私たちは考察しました。そしてこの問いに実際に答えるためには、グローバル資本主義のどこが間違っているのか、経済システムはどう変革されるべきかということについての全体的な分析の観点から「外なる」説明を見るだけでは不十分です;問題の内なる心理的原因と人間自身がどう変わる必要があるかということも見るべきだと私たちは論じました。

世界危機のより深遠な霊的性質に波長を合わせた誰にとってもこの方向性の探求を追求する価値は言うまでもなく明らかであり、それはハートとマインド双方を調和的に連結するさらに総合的な認識をもって人類の問題を考察することを私たちが学ぶよう要求します。しかしながらハートとその特質は決して複雑でなく最もシンプルに理解され得る以外ないことを心に留めておいてください。それは世界問題の「内なる」認識が知識人や鍛錬された政治活動家に訴えかけることにおいてなぜ多くの場合失敗するのかということを部分的に説明しています。

上記の例に基づいてもっとハートを使った思考過程を取り入れると、100%再生エネルギーとより簡素な生活水準への移行が比較的短時間枠で達成され得ることを私たちは観察できます。しかしそれは政治的意思があるかないかの問題ではなくもっと基本的にそれはどれだけ愛があるかという問題です。なぜなら、例えば水産業やアグリビジネス、あるいは多雨林伐採、露天掘りおよび山頂除去の周りの外なる活動の背後にある人間のすべての意図を理解するならそれは明らかに自然への愛や畏敬の念によって動機づけられているのではないからです。それは市場勢力と複雑な経済的インセンティブに基づいた経済システムへの追従からなるお金と利益の思考設定だけに関係するのです。 

この「愛」についての会話は、私たちの実際の関心が機能不全社会に根元をもつ社会的不正や環境劣化の根本的な心理的原因を知覚することであるため、私たちがどのように皆で仲良く平和のなか自然と共存するかについてのあやふやなアイデアに失われてしまうべきでありません。お金と利益への衝動の背後にある意図そのものが私たち自身に対してだけでなくお互いと周りのすべてに対しても全方面で害となる一方、最も基本的な霊的、心理的観点から「愛」は「危害を加えない」ことを意味します。

大規模なオイルサンド事業のディレクターたちがもしこの世界に存在する万物への愛と畏敬の念によって動機づけられていたなら、彼らが美しい遠隔の田園地方などの自然環境を破壊することは明らかになかったでしょう。そして環境劣化を激化させるよりむしろ治癒することを促進できるなにか他のことを人生に求めていたことでしょう。世界問題について内なる認識を通して分析する時、これらの個人が彼らの活動から莫大な利益を上げることのできる唯一の理由は、彼らが自己を知らないかあるいは自己の内にもつものを知らないからです。それは彼らが内なる自己の真の霊的現実を知らないことを意味します。なぜならそれは結局のところ自己知識および認識の欠如が私たちの全問題の根底にあるからです。

そのような人間的で基本的に霊的な観点からの世界危機についての考察は多くの人々に広範に訴えかけるものがあるかもしれません。しかし革新的運動家や学者の様々な活動や目標の関係から、ハートを通して考えることにより彼らが得ることのできる実際の利益についてもっと明確にしてもらえませんか。より良い世界を熱望し戦う人々にとってこの方向性の追求の真の重要性はなんですか。

この問いにあなた自身で答えることを助力するために、先ほどあなたが使ったフレーズ「政治的意志」を再び綿密に考察し暫く熟考するなら、現在の物事の秩序には代替策があらず改革は不可能だという錯覚にそれは包まれているため、そのフレーズ自体が希望的でないどころか絶望的感覚を生みだしていることが明らかになるでしょう。私たちが古いやり方と新しいやり方の間の今日の戦争をどのように目撃しているかを考察しましたが、「政治的意志」というフレーズの全語源は過去の冷戦時代の古いやり方どころかあの時代以前のジョン・ロックやアダム・スミスのような古典的経済学者に属するのです。それは、下方からの公衆の適切な圧力によって、エリートの利益への僅かな負担を通して懐柔的表示行為を示すかもしれない政治的指導者ならびに権力および影響力をもつ者たちの行動によって変革は上方からしかもたらせ得ないということを本質的に意味しています。

さてそのフレーズ「政治的意志」と「愛の実践」についてのアイデアを対比させ、危機的世界状況の関係からその意味の重要性を想像してみてください。一方は相互連結する全体的危機の大混乱のなか急速に崩れ去る古い秩序と制度を象徴するかたわら、もう一方は未来に向かって世界に急速に入ってきている新勢力と統一的エネルギーです。従って今日私たちが最も必要とするものは、なくてはならない政策を実施するための政府のただの「意志」ではありません。それは現在国を運営するそれらの政治的会計士に、私たちのために地球を救うことを頼むに等しいのです。私たちが必要とするものは、世界における愛と知恵の顕現です。なぜならもし愛のエネルギーが人類の集団行動の裏にある一般的な動機要因であったなら、政治的会計士も政治的活動家のようなものも存在しなかったであろうからです。私は以前、無神論者は他者の神への信念と拮抗することなくして存在し得ないと記述しましたが、同じような比喩を使うなら、私たちの世界で愛なくして政治的運動家は存在できないのです。[4]     

政治的行動主義がともかくも無駄であるとか現在の形態において誤った方向に導かれているとか暗示しているのではありません。それは激化する社会的、環境的混乱を考慮するとまったくその逆です。しかし何百万人という人々が貧困のなか死に去り、人為的気候変動の問題が壊滅的クライマックスに迫り、冷血な窃盗と憎しみが国際情勢に蔓延る豊富な資源のある惑星で「愛」が実際なにを意味するのかもし私たち自身で理解したいなら、自分たちの良識および生来の慈悲的認識を私たちは使うしかありません。ここで観察していることは余りに平凡ですが、ハートの真実は常に飾り気がなくシンプルであるため賢明です。今日の世界問題の状況において愛は無執着の必要性と密接に関係しています;この点においてそれは、貪欲および自己本位への執着の放棄の必要性、そして激しい競争、環境破壊および合法化された窃盗など古いあり方への執着の放棄の必要性を意味しています。

従ってこの内なる展望および認識を取り込むことの実際的利益を理解するために、新たに次の不可解な疑問を私たちは慎重に熟考すべきです:クリーン・エネルギーと環境的に持続可能でより公平な生活水準への世界的移行を迅速に達成することがどれだけ実行可能であるかを考慮すると、社会をその移行から妨げていもるのはなんでしょうか。繰り返しますが、その答えは霊的、心理的観点からシンプルです。それは常に単なる愛の欠如なのです。この世界で愛の顕現なくして、人類全体の霊的ハート・センターの目覚めなくして、大多数の人々によって受け入れられるさらに啓蒙された社会秩序を提示することは不可能なのです。消費レベルを制限するためまたは資源を分かち合うために上方から押しつけられたどのような政策も必然的に抵抗され、反対され、そして最終的には拒否されるでしょう。そしてそのような政策が現在の政府によって法制化され成立されると本当に私たちは考えるのでしょうか。

従ってこの方向性の追求を世界的社会変革についての問いに適応するなら私たち個人にとってこれが意味するところはこれ以上的確であり得ません。例えば、2003年にイラク戦争の準備が始まった時、そのひとつの出来事に全世界の注目は集中しました。さて、環境問題はその含蓄において9/11より確実に一層不吉ですが、暴走する気候変動の危険に等しい反応レベルと心からの懸念をもって全世界が集中するためになにが必要とされるか私たちは考えるのでしょうか。同じように、もし十分な愛がありさえするなら、環境問題と密接に関連し断然解決可能な世界的飢餓の危機の現実にどうしたら主流社会が不断の注目を注ぐことを可能にできるかを私たちは思案すべきです。しかし大変多くの人々が彼らの安楽な「生活のあり方」を乱されたくないという人類の蔓延る自己満足的無頓着さと無関心を考慮すると、世界問題のこの内なる認識のより大きな重要性は私たちの直感が感じとるまで待つしかないのです。

私たちの相互連結についての新たなメタナラティブならびに自然への管理責任および畏敬の念の態度に基づいた気候変動の問題へのさらに霊的対応への必要性について認識のある個人とグループがますます増えつつあるようです。あなたが大まかに定義づけている内なる視点または霊的視点からグローバル経済危機の源についてあなたの見解を説明してもらえますか。

何世紀もの間、人類は幻想を通して生きてきました。そしてその幻想が急速に崩れ去る今、全世界が混乱し方向性を失い前進すべき明確な道がないようです。古い考え方を持続する多くの信念や教義は常識はもとより新たな科学的、人類学的調査結果を通して現在疑問視されています。それらの古い考え方には貪欲と自己本位は人類の進歩の駆動力だということ、あるいは競争と不平等は自然な社会秩序だということ、また戦争と貧困は人生の不変の現実だという文化的に根深い信念が含まれます。私たち自身の人生経験のなかでこれらの時代遅れな信念の虚偽を例え私たちが理解したとしてもそれらによって維持される幻想は私たち全員に親しみのあるものです。例えば、富が幸福への鍵だということや権力や成功は非常な努力、競争心および個人的野心の正当な報酬だということを今日誰が進んで公言するでしょうか。

それにもかかわらず比喩的に言うと、政治家とビジネス・コミュニティはこれらの幻想を限りなく製造する大工場のような役割を果たしています。それは既存の形態がもはや機能しなくなる時はいつでも、大昔からの幻想の新形態を絶えず製造する業務平常通りを持続するための体系的手順を彼らは偶発的に開発した程でした。そもそも最初に危機を生みだした同じ競争的で物質主義的な利益主導型思考設定を追求し続けることによってまるで気候危機を解決できるかのように気候変動の取り組みにおいて技術および市場を基盤とする企業の解決策への集中をこの観点から観察することは有益です。内なる観点から人類は大昔からの幻想に余りに条件づけられているため世界の危機 - ヨーロッパ全体を通しての難民や移民の大規模な流入、国内において拡大する極端な不平等あるいは実に環境危機全体 - が、現実に目覚め人生への全姿勢を完全に変革することを自分たちに余儀なくさせているのだと悟ることを私たちは拒否しています。しかし人類は余りに頑固なようで世界中が大混乱にあるにもかかわらず、お金、権力および成功を私たちは求め続けるのです。

私たちのすべての幻想の根底にあるのは、自己調節型プロセスを通して簡素に調和的営みを求めるよりむしろ自然の法則を巧みに操作し、その奔放に分配される富を所有することにより自然の力を超越しようとする意図をもって人間が環境から自己を切り離すことができるという信念です。しかし地球の豊かさを掘りだしまばゆいばかりの贅沢な巨大都市を建設できることがどのように素晴らしく見えてもそれは非常に取るに足らない力なのです。私たちの最も洗練されたテクノロジーさえが自然の力の「内」で働くことによって開発されるのではないためそれは直接的または間接的手段で地球のゆっくりとせまる荒廃に貢献しているのです。人間が自己の内なる態度を完全に変えない限り実際彼は墓穴を掘っているのです。なぜなら自然自体は幻想でなく最終的に私たちに反逆するだろうからです。実際にそうでなくてもそう見えるかもしれないということです。

勿論より深い霊的真実は、自然のバランスのとれた機能のために人類が永久にその一部として不可欠な時、人類の集団的罪のために自然が人間に対して報復を求めることはできないということです。人間は生命でありより高い霊王国とより低い自然王国 - 動物・植物・鉱物王国 - の不可欠必要な中間点です。従って人間が自然環境を支配しようとその限りある資源を過度に搾取しようとするなか破壊と膨大な苦しみをもたらす時、彼は自然万物すべてからだけでなく彼とは不可分なひとつの生命の霊的現実からも自身を切り離しているのです。従って変革すべきは天候でなく彼の幻想と誤った意図の範囲を最終的に知覚することにより人間自身が変革するしかないのです。別の言い方をすれば、利益や人間の優れた能力と技術的プログレスへの壮大な妄想の名のもと正道を踏み外した私たちの願望へと自然界を歪曲させようとするのでなく、自己を知り、万物をありのままの姿でそっとしておくことを私たちは学ばねばならないのです。

私たちは自然の法則を超越する力を求めるだけでなく人間の優位性の幻想および環境からの分離に対するおよそ精神的に異常な程の自己投影を通して自然をいじめているのです。歴史上、自己の力や偉大さの高慢な幻想への自己投影によって良く知られた特定の独裁的人物がいましたが、制度化され一層壮大な規模で同じような幻想を具現化する大きな多国籍企業に支配された世界に私たちは住んでいます。従って、利益を追求するこれらの巨大組織が自分たちの目的のために法律や政府の政策にどのように影響をおよぼすかを考慮すると、その意図において彼らがさらに危険であることが予測できます。自然環境にとって、そして自己認識による人間の霊的成長にとってどれだけ有害な結果をもたらそうと、特に社会の幻想を生み持続するために、これがどのようにインダストリーとしての企業のロビー、マーケッティングおよび宣伝活動の間接的目的であるかを同様に観察することができます。

確かにそれは私たちがここで懸念しているアイデア、信念または「主義」への自己投影ではなく、私たちの文化における全人類の霊的進化を阻止する広範に渡る危険な幻想への自己投影です。啓蒙時代以来、私たちは無邪気に自然を超越する知識と力を探求し始めたかもしれません。そして自然の謎を解明することによって地球の制覇を達成するという意図をもった多くの才能ある誠実な科学者や科学技術者が今日存在することも間違いありません。この思考設定はまた、富、権力、高評価およびうわべの成功を追求するなか、エリート教育を受ける個人さえが事実上この惑星を略奪し他人を踏みつけることを条件づけられる教育組織の全体系を通して同様に広められます。

高い社会的地位の達成を通して自己本位な商業化の術に従うよう働き掛けられることにより特に、いわゆる「良い教育」を受けた個人がどのように今日の悲惨な社会的、環境的動向を事実永続させているかを以前私はどこかで考察しました。 実に、1980年以来世界情勢において統轄要素となってきた無限の利益追求を生んだ、ヴィジョンを欠いた衝動が余りの分裂と破壊をもたらしているため、自然環境を支配し、負担をかけることなく資源を略奪することができない自分たちの不能さと向き合うことを遂に私たちは強いられています。商業化勢力を総合的に人類の「途方もない幻想」のまかない屋として言い表すことができます。それは、幸福への経路として大邸宅やスポーツカーを所有することを夢見る普通人からなにを犠牲にしようと権力や利益を求める連邦議会の企業のロビーイストやペンタゴンの戦争計画者まで世界中のすべての人を惑わしているのです。 

私たち全員がある程度これらの勢力の召使いであり、そして環境が膝をついて慈悲を求めているにもかかわらず、社会の幻想に従うことにより私たちはそれらを維持しています。そして蔓延る商業化の悪意に満ちた影響力にいまだ人類の大部分が気づいていないだろうことは、途方もない幻想のパワーの特性のせいだとしか考えられない事実です。もしこれらの幻想が私たちの集団意識を呑み込み続けるなら、世界規模の核戦争の始まりを私たちが最終的に目撃することになるまで、それは人間のマインドを徐々に乗っ取る巨大なスーパーコンピューターのようなものとなるでしょう。このような予想が現在どう突飛であろうと、商業化の幻想が私たちを導いている最終目的地について熟考するために直感を使ってこの見解に反論できるかどうか見てみてください。

私たち全員が商業化勢力にある程度仕えており、私たち全員がこの途方もない幻想の一部だということがどういうことなのかさらに説明してもらえますか。私たちが個人としてどのようにグローバル資本主義の既存の社会経済秩序を持続し、そしてこの新たなミレニアムにおいて実に信じ難いのですが、どのように国民国家間の全面戦争という最終的可能性の一因となっているのでしょうか。

私たちは「システム」の不可欠部分であり、自己の考えと行動を通してそれを維持していることに気づかないまま私たちの多くが世界問題を政府、企業または「システム」のせいにしています。学校や社会環境からのものであろうとなかろうと、私たちの教育と条件づけが現在の破壊的形態のシステムを永続させる従順な消費者になるよう実際私たちを養成しているのです。従って、私たち皆がどのように商業化に仕えているかということが直ちに理解されるべきです。

例えば、西洋社会や発展途上国の裕福な地域内の殆どの人々がそうであるように、その不当な構造上の取り決めにもかかわらず、グローバル化された市場からの生産物とサービスを消費することにより私たちは搾取や破壊の多面的システムに間接的に参加しているのです。これは今日多くの人々が認識し理解する事実であり、従ってフェアートレード、消費者ボイコットおよびいわゆる道徳的消費主義の全ムーブメントが存在するのです。土地グラブ、多雨林伐採、川の汚染、環境汚染、あるいは低賃金を通しての使い捨ての労働力からの搾取、酷い労働条件などその他諸々に対して多国間企業に責任があることを無数の学識ある人々は十分に認識しています。

様々な補助金、優遇税制措置、そして他のインセンティブを通してこれらの行為を支援する政府を私たちは非難するかもしれず、そして無限の利益のために売られる無数の生産品のすべてを消費するよう私たちを魅了する大企業をもまた私たちは非難するかもしれません。しかし圧倒的大多数の一般人が、横行する商業化の途方もない幻想に進んで参加するという事実は変わらないのです。参加者数がますます膨れ上がる日常の大量消費パターンを通して私たちが世界経済の不当な取り決めを支持し激化させる結果、この生活様式を維持できるのだという幻想が悪循環の繰り返しのなか永続しその動向は日々悪化しているのです。

自分たちの活動を社会規範や現代的流儀の礼儀作法でとりつくることによってより深い現実を私たちがどんなに拭い去ろうとしても、自然破壊や既存の消費者主導型経済システムへの追従を通して他人を食い物にしていることに、間接的であっても幾分かの責任があるという事実からは逃れられないのです。私たちの季節の行事につきものの贅沢三昧なごちそうや消費は、自分たちの政治的信条や活動理念がなんであろうと、私たちの殆どが途方もない幻想にどれだけ追従しているかという非常に適切な例に過ぎないのです。[6]

ちょうど私たちが政治家に投票し、自分たちの代わりに彼らに世界の問題を解決してもらおうと期待するように、製品の出処を気にすることさえせずしばしば盲目的にそれを消費するという意味で、無頓着な消費癖と政府の新リーダーへの私たちの投票が心理的にどれだけ等しいかをあなたは把握できるでしょうか。従って、大手のスーパーマーケットチェーンが世界中の小規模農家を食い物にしていることを私たちは知っていますが、私が彼らの農作物を購買する度に、その搾取のために私が実際投票しているということをそれは意味します。そして政権を握る権力層の政治家に例え私が投票せずとも、もし私が彼らの政策を変えるために行動せず彼らの運営する社会に従うなら、依然として私たちは間接的に彼らに投票しているのです。

私たちはこのシステムを「資本主義」と呼び、人類のすべての問題をそのせいにすることを好みますが、非常に途方もない暴力や残忍さを伴うこの世界で、資本主義が実際なにを意味するかを問う時がきています。今日私たちが目撃しているすべての苦しみは本当に資本主義自体のせいなのか、それとも自然環境、動物王国またはお互いと自己に対するすべてに向けて人間が引き起こした驚異的暴力の結果なのでしょうか。

もし世界の問題をより総合的に心理的観点から把握できるなら、横行する商業化に基づいた現在の社会経済システムが事実戦争の構成要素となっていることを私たちは認めるかもしれません。アナリストの多くが、激化する軍事紛争から第3次大戦が起こる可能性について話していますが現実には商業化によって激化する貪欲、自己本位、無関心が合わさった結果、惑星地球で最も深刻な戦争が既に起こっています。それは最終的に生命そのものと人類の霊的進化に対する戦争ですが、およそ全員が大なり小なりこのスローモーションの戦争に参加しているのです。それでは、大量消費や制御されない商業化が世界情勢のなかの統括要素であり、私たち自身がこの自己破壊的暴力への意図しない参加者である時、どのように持続可能なグローバル経済のための青写真や枠組みを実現できるのでしょうか。

政治的サークルや活動家サークルで話し合われることが殆どない相互連結した世界危機の霊的側面に対するあなたの最初の見解に戻りますが、人類の問題のより深い根源である「内なるCO2」としてあなたが述べたものをさらに詳しく話してもらえますか。

生態学的な境界線、大気汚染および天候の混乱についてどれだけ多くのデータや証拠を集めようと、自然のエレメントを乱すことなくどのようにこの惑星で営み進化すべきかという最も基本的なレッスンを私たちはまだ習得していません。不可避の真実は、様々な科学者や哲学者が長い間仮定してきたように全体としての自然が生命体だということですが、人間の活動が汚染し破壊しているのは物質的で客観的な世界だけではありません。目に見える世界と見えない世界の二つがありますが、大昔からずっと人類に与えられてきた太古の知恵の教えのすべてにもかかわらず、それは私たちが現実としてきくことも認めることも拒否する自然の隠れた側面です。まさしく肉眼でガスやCO2が見えないのと同様に、ミクロコズムおよびマクロコズム双方の顕現のなかで惑星的生物園を調整し維持する不可欠な役割をもった科学的に証明されていない不可視の生命体が無数に自然には存在するのです。従って、私たちは自分たちの無知のなかでこれらの隠れた自然のエレメントが適切に機能することを妨げることにより環境破壊をもたらし続けるのです。それは自然環境を超越しようと試みる人間の誤った行為の致命的結果なのです。

重要な例をあげると、今日大変多くの環境科学者が地球の大気、ならびに地球と他の自然のシステムの間の相互関係に集中していますが、彼らのうち少数しか人類がグローバルレベルで生みだしている騒音の量に関心がありません。それにもかかわらず世界のすべての国によって発せられる信じられない騒音は、私たちが探求する内なる心理的展望または密教的霊的展望から、自然の隠れたエレメントに対して極端に有害な影響をおよぼします。そしてそれは同様に、風、雨、海、その他諸々を通して明らかにされるように、私たちの知る自然のエレメントに有害な影響をおよぼします。その蓄積されたすべての騒音が自然にとってなぜそんなに破壊的なのかという理由を理解するためには、重工業や採取産業、永続的に走り続ける無数の自動車、飛行機、コンテナ船、あるいは戦争によって引き裂かれた地域で起こっている容赦ない紛争や破壊活動など、騒音の根源の影響について思案するだけで良いのです。

しかし環境を破壊するのは莫大な騒音を生みだす活動の外なる効果だけではありません。なぜなら人類によって発せられ蓄積される騒音はまた、どれだけ社会がかき乱され機能不全であるかを反映し、そしてそれは同様に、かき乱され機能不全な環境状態に直接関係するからです。非常に多くの戦争、非常に多くの痛みと苦しみ、そして私たちお互いおよび下級自然王国に対する多大な傲慢さや無謀さが存在する世界に住むことは - この混乱のすべてがそれ自体を上方へ向けてこの惑星の生物圏に反映し隠れた自然のエレメントに作用するのです。有名なヘルメス主義の原理は「下にあるものは上にあるものの如し」と述べていますが、今日の哀れな世界の状態について熟考するなら人間の分割的考えと誤った意図が生みだしたすべてのストレスで下は満たされているため、上にあるものは下にあるものの如しと逆にしたほうがこの原理はより良く理解されます。別の言い方をすると、人間の内なる側面は社会における人間の外なる活動と同じくらい地球の環境的不均衡の原因となっています。そして人類の内部は余りに酷い機能障害を起こしているためそれはおよそ精神病のようです。

他の例をあげるとパキスタンが核爆弾を完成した日、道で泣いていた人も含めあの国の人々がどのように歓喜のなか飛び跳ねていたかあなたは思いだすかもしれません。それは私たちの惑星で人間の知性と感情がどのように誤った方向へ行ってしまったかということの僅かな兆候でしかありません。他国の何万人という多くの罪のない民間人を殺すことのできる武器製造の展望のなかで一般公衆が陶酔状態に浸る時、国家威信とはそのようなものだとあなたは言うかもしれません。そしてその祝いの真っ只なか、この惑星は破壊的な戦争と紛争、貧困で苦しむ何百万人という人々の痛み、そして現代社会の人間の生活のストレスと不安 - このすべてが気候の大惨事と天候の混乱を通して私たちに跳ね返ってくるのです - を感じていました。

これは個人同士やグループ内の衝突から、社会全体を通して経験される多くの不平等や不正に至るまで人間関係における問題は、産業活動と大量消費の振る舞いを通して私たちが環境に負わせている破壊と同等またはそれ以上に環境的不均衡の直接的原因となっているという意味ですか。

もうひとつの秘境学的真実は、世界の全問題に対応する音や音符ですが、今日それらの音の摩擦的性質は気候変動や自然災害の予測不可能性や混乱を通して私たちに跳ね返ってきています。簡単な言葉でこれを理解するために、世界全体が全レベルでどのように紛争のなかにあるかを想像し、それがより広範囲で環境に与える影響を思案してみてください。目の前で激しく口論しているふたりの人をもし想像するなら、彼らの周りの空気は心理的レベルで私たちの内なる天候の一部でもあるのです。それについての認識はまさに天上の外なる天候についての認識をもつことと同じくらい重要なのです。そして環境の外なる状態が現在まさに絶え間ない変動と混乱にあるように、心理的、社会的に人類が活動するところの内なる天候は悲惨で混乱状態にあります。

私たちの認識においてこれをさらにもう一歩前進させるにあたり、蔓延る商業化の途方もない幻想が途方もない暴力の現実をどう覆い隠しているかということを私たちは以前詳しく考察しましたが、そのような暴力は社会的、経済的性質だけでなく心理的性質をもつことも強調されるべきです。従って、常にストレスの多い生活のなかで機械のごとく長時間労働せねばならないことから鬱状態の人は、実際彼が心理的に体験するさらに大きな体系的暴力の犠牲者なのです。そして内から外へと人間と環境の間のすべては相互関連し相互依存しているためあらゆるところに行き渡ったその効果は自然のエレメントに深い影響をおよぼします。

従って、政府間の兵器の販売は明らかに暴力行為以外のなにものでもあり得ません。しかし同じように、路上のホームレスの人々の存在そのものは社会的不正義であるだけでなく、政府および社会によって間接的に永続されている暴力行為でもあるのです。もし私たちが自分たちの心理的、霊的相互連結性に関する理解を通してこの内なる現実をより深く考察するなら、世界で無数の人々が飢え最低限の生活必需品を欠いている時、富裕国がさらなる「繁栄」を欲することは暴力行為なのです。大変多くの人々が遠方の国々で貧困から死んでいく一方、西洋社会が過剰消費や暴飲暴食しながらクリスマスを祝うこともまた間接的暴力行為なのです。私たち集団としての自己満足的無頓着さは私たちより恵まれない無数の無名の人々に対する想像を絶した暴力行為なのです。そしてその暴力行為によってそれはさらに広範な環境に影響をおよぼすのです。これらすべての社会的、経済的、心理的暴力形態をどういうわけか日常生活の自然な部分として、そして業務平常通りとして私たちは受け入れています。そしてその上、私たちの周りにこれらの内なる姿勢と振る舞いの蓄積が見られます。数十年間どころか事実数千年間にも渡って人類が正しい人間関係の必要性を無視して非常に機能不全なあり方で生活する時、気候変動、極貧、戦争および紛争などすべてが必然的な最終結果としてもたらされるのです。

極度に疲労させられる人類の振る舞いが社会に非常な混乱と不均衡をもたらしている時点に達しており、この惑星の現在の気象状態は正常に機能するにはストレスで一杯過ぎるマインドに類似しています。従ってそれはあたかも私たちが環境を自分たちの敵に仕立てあげ、津波、地震、洪水、干害およびその他の自然災害から生みだされた全混乱を通して反撃に転じるようそれはやむなくされたかのように見えるかもしれません。そして環境によって生みだされたその混乱は社会のなかでさらに大きな混乱を生みだしているのです。多くのアナリストはそれが水などの枯渇する自然資源を巡る国同士のさらなる戦争を引き起こす可能性があると予測しています。環境の振る舞いは人間の振る舞いを反映し、そして私たちが現在目撃しているものは単なる始まりに過ぎません。従って世界情勢に分かち合いの原理を実現することによって人間がやり方を変えない限り、繰り返しますが、未来の最大の危険は暴走する気候変動でなく、グローバル戦争を解き放つことにより最終的に万物を破壊するかもしれない人間でしかないことが予測できます。

もし人間が現在の針路を進み続けるなら、最終的に惑星的混乱をもたらすのは気候変動でなくむしろ個人や国家としての私たち自身の行為であろうと不吉な予測をあなたは今立てました。あなたが述べたように、これらの動向の背後の全体的な推進力となる商業化の驚異的幻想に対して多くの人々が無頓着であり続ける今日において、この見解には予想外の惨事的結末のさらなる側面があるのですか。

環境危機の実際の範囲がどれだけ深刻でただならないかということを殆どの人々がまったく考えつかないように、大部分の人々が商業化の深刻な危険性に気づいていないことは疑いありません。この問題に関して人類を大体4つのグループに分けることができます。すなわち環境科学者、キャンペーナー、運動家、そして残りの一般大衆です。この問題に関わりをもたない大部分の人類のなかで、自己と家族を養うために日々苦戦している4、50億人が世界の発展途上国の貧困層を構成しており、ますます増えるそれらの人々が天候関連の災害の罪のない犠牲者であるにもかかわらず、当然ながら彼らの殆どが地球温暖化の化学的現実について熟考する傾向もなければ時間もないのです。

気候危機について幾分か認識のある無数の懸念する市民の相当な割合もまた、このチャレンジの本当の現実や真の規模についてまったく考えがおよばず、彼らはこの問題をしばしば家庭内でのリサイクルや道徳的消費主義の個人的問題に縮小させています。しかし人類がこの惑星をどれだけ破壊し劣化させたかという真の範囲をもし彼らが知ったなら、あるいは上昇する世界の温度の危険の真の脅威についてもし彼らが知ったなら、ひいては世界中で多くの涙が流されていることでしょう。まさに環境のただならぬ状態を知る多くの化学者がしばしば涙を流さずにいられないように、この地球という私たちの家がどれだけ破滅に近づいているかということをもし私たちが突然知覚することができたなら、全人類が長い間涙を流し続けることでしょう。

そしてあなたが的確に述べるように、それでも、ここに私たちの状況の悲劇的な皮肉さがあるのです。それは、人類の大部分が今日どのように商業化が私たちの問題の根源となっているかを知覚することからさらに程遠く、そしてそれらの問題に私たち全員が多かれ少なかれ一役買っているということです。この認識の欠如の理由は至って簡単に理解され得ます。それは、人類のハートが十分に目覚めていないかあるいは世界危機を緩和することに従事していないということです。私が繰り返したように、もし十分な数の人々が気候危機の真の範囲とその内なる人為的原因を真に理解するなら、何十億人ものなか一握りの懸命な活動家しか存在しないということにはなっていなかったでしょう。多くの懸念する市民は意思と善意をもって積極的にこの問題に従事しているかもしれませんが、あなたは人類全体の霊的ハートセンターを目覚めさすことを必要とするのです。それは、何百万、何千万、何億という数の一般人の行動的で方向性のある愛をあなたは必要とするという意味です。真っ赤に燃え立つハートをもった大衆の支持をあなたは必要とするのです。そして、平均的な善意の人の自己満足的無頓着さが、なぜそれらの堅固な抗議者が僅しかいないのかという原因なのです。

 環境危機の真の規模についての認識の欠如は単に愛の欠如または世界の問題における「従事するハート」の欠如のせいだと言うことが十分なのか、それとも人間の広範な自己満足的無頓着さの基本的原因をもっとよく理解することはできるのでしょうか。もしできたら、劇的かつ緊急の社会変革の必要性についての認識、そして蔓延る商業化の問題についての認識を妨げているいくつかの要因もさらに詳しく述べてもらえますか。

ここで再び私たちは自分たちの自己満足的で無頓着な生活様式を維持する「人生は続くのだから」「楽しまなきゃ損よ」「人生は一度きり」「人生は楽しむためにあるんだ」などと私たちに語る幻想について熟考せねばなりません。そして現実から絶えず私たちの注意を逸らすこれらの幻想やファンタジーはハートを圧倒する効果をもつのです。癌やエイズ・ウイルスのような病気が人体にとってなにを象徴し、幻想が人間のハートにとってなにを象徴するのかについて、双方の間の類似性を引き合いにだすことができます。ハートは子供のようでとても純粋無垢であることを思いだしてください。そしてハートはあなたがそれを従事させない限り、話すことも音をだすこともできません。なぜならハートには傲慢さや計算高さ、あるいは自己利益という考えがまったくないからです。唯一脳だけが計算し、裁き、パーソナリティや大きな「私」への自己投影を通して日常生活のすべての分裂を生みだしているのです。しかしパーソナリティはハートであらず、そして当然のことハートはパーソナリティではないのです。

本やただの知的理解を通してでなく唯一内部の認識を通してのみハートの霊的現実を知覚し体験することができるため、社会変革の問題の関連から愛や幻想のこれらの概念を明確にすることは多くの場合難しいのです。しかし私が提案したように、もしあなたがこの問題を考察するなら、裕福な社会のなかで広く行き渡った自己満足的無頓着さと無関心な態度を形成する主な構成要素がふたつあります。ひとつは恐怖、そしてふたつめはその恐怖を和らげるために必要とされる幻想です。例えば、私たちの社会のような分割された機能不全の社会のなかで単独で幸せになれるという幻想を考察してみましょう。そしてそれに並行して起きる孤独への恐怖、人生の「成功者」として認められないことへの恐怖、死自体の虚しい終焉への恐怖を観察してください。心理的安全性への私たちの絶え間ない探求は、恐怖を基にして常に生じる私たちの幸福への自己探求的切望の根拠をなす無意識の動機です。最も霊的な意味で恐怖は、永久にまわり続ける粉挽機に繋がれたロバのように何千年もの間人間の進化を妨げてきた重荷です。

そしてこれら習慣的な心理的傾向の結果は世界の問題に従事するハートの欠如としてあなたが明らかにしたものです。なぜなら殆どの人々が商業化の「驚異的な幻想」の真実を理解するには、あるいは実際に危機と混乱の世界の真実を理解するには、個人的な幸福および成功のための聖戦にどっぷり浸かり過ぎているからです。完全に腐敗していなとしても政治家は混乱しており、私たちも市民として世界状況の深刻な現実について同じほど混乱しているために、それは盲人が盲人の手引きをしているようなものなのです。それにもかかわらず法外に費用のかかる大規模な選挙運動のなかまたもや私たちは新たな政治家に投票するのです。なぜなら人類のなかでも特に伝統を通して断続性、永続性を掲げる人々が古い幻想を愛し続けるからです。

集団としての自己満足的無頓着さを商業化の脅威と同等に深刻な危険として私たちは考えるべきです。なぜなら資本主義的企業や経済的グロバリゼーションが存在に至る遥か以前に人間の自己満足的無頓着さは誕生していたのだということを忘れないでください。そして個人的または社会的基盤のどちらかでそれが無関心と融合する時、今日の商業化勢力よりさらに有害な人類の知る最古の病気のひとつとしてその影響力を述べることができます。ジカウイルスまたはエボラ出血熱のような恐るべき病気のワクチンを発見することに対して人類にやる気があるというのはなんと素晴らしいことでしょう。しかし私たちは、確実に世界の苦しみの根源にある自分たち特有の自己満足的無頓着さの治療法をまだ探すことさえしていないのです。

この観点から、商業化がそれ自体のなかでどのように深刻な戦争 – 人類および人類の霊的進化に対する戦争 – であるかということを観察するのは大変奇妙です。それにもかかわらず商業化のメカニズムは大変洗練され捉えどころがないため、多くの人々はその戦争の現実に気づかないか、あるいは彼らはそれをただの消費主義と勘違いするのです。消費主義と商業化双方が依存し合い、それらは存続のためにお互いを養っています。しかし今日私たち全員が一役買っている惑星的破壊のプロセスを推進しているのは商業化勢力です。私がまさに食べ物、安い衣類、そして現代生活の身の回り品を消費するように、物質的、感情的執着を通して心理的安全性への自己中心的探求を軸として回る人生に自己が捉われるまで、分割され生態学的に持続不可能な社会のなかで個別で幸せになるという考え自体をもまた私は消費しているのです。それは商業化勢力によって私たちに提供された大変邪悪な罠なのです。それは、認識をもって明瞭に機能することからマインドを妨げ現実をぼやかす混乱の濃い霧を通して私たちを阻害する心理的驚異として商業化が宿る、私たちの微妙体や感情体を操作することによりすべての個人に無意識的影響を与える罠なのです。市場勢力の破壊的影響について疑問をもたない殆どの権力層の政治家や経済的成功者が当然のごとくそのイデオロギーを支持する一方で、日常生活の表現における人類は群れのように振る舞い私たちの多くは商業化の有害な存在をまったく知覚できないのです。

この理解に人間の意識のなかの分割的「主義」の問題を加えると、私たち全員がなぜこの時代の危機への意図しない参加者であるのかについての全体像を把握できるかもしれません。たとえ主義やイデオロギーが何千年という古いものであっても、生存のために社会の幻想だけでなくそれらも商業化は食い物にしているのです。包括的観点からそれがどう機能するかというメカニズムもまた同様に観察できます。なぜならそれが資本主義、社会主義、国家主義、あるいは私たちの考えと行動を特徴づけるどのような政治的または宗教的主義であっても、商業化の活力を永続させるのはすべての主要な主義の形態の間の戦いだからです。

例えばあるグループまたは国家が国家主義的理由やイデオロギー的理由から他国と戦う時、さらなる兵器の製造と購買などを通して常に莫大なお金と資源が必要とされます。そしてさらなる戦争兵器が売買されればされる程、市場勢力にもたらされた機能不全の競争を通してさらなる利益が生みだされます。そしてそれらすべてが融合して世界中で商業化のパワーと範囲を激化させます。内戦および地域紛争が原因となる貧困化や強制退去に貧困層が遭い続けるかたわら裕福層は一層豊かになるのです。同時に、経済成長および企業利益をすべての社会・環境問題より優先し続けるかたわら、競争する国々は世界資源を支配するよう絶え間なくプレッシャーをかけられます。

商業化のこれらの悪循環を説明する多数の例がありますが、それは相反し合う主義の固守から生じる異なった人種間および国家間の以前から存在する分離によって大部分が持続されています。多くの場合事業および国家利益を企む秘密の援助をもって、権力および領域拡大を狙って現代的経済戦略を行使する多くの宗教的テロリストグループなどが彼らの選んだ理念と分割的目標を普及させるために、特定の主義が商業化を必要とする独特な驚異もまた今日世界全体で起こっています。さらに一般的には、ここ数十年間に渡る世界的経済統合プロセスによって影が薄れた人種差別問題を含んだ、商業勢力にますます乗っ取られつつある主義の問題に多少なりとも私たち全員が関与しています。海外の安価な労働力から生じる商業利益、あるいは欧州連合などの地域のより規制の少ない入国管理にもかかわらず、人種差別は勿論現代社会に蔓延り続ける主義のひとつの形態です。

商業化がどのようにただの事業活動や利益主導型への追求以上のものであるかを理解するためにこれらの手短な見解が役に立つことを願います。なぜならそれは、人類全体によって永続される騒乱および破壊を全側面から全方向へと激化するために、再度私たちの血管に巧妙に入り込んだ物質勢力のむしろ太古の表現だからです。それは大量消費主義の刺激力によって地球を破壊し私たちの霊的成長を妨げることを求めるかもしれません。そして消費者選択、個人的幸福および物質的快適さの幻想を広めるために一般人を無意識的に混乱させ隷属させるかもしれません。またそれは欺瞞的イデオロギーの名のもとさらなる戦争を生みだすために、人間の意識の主義のなかにこっそり巧妙に入り込むかもしれません。それは知覚可能であると同時に不明瞭ないくつもの顔をもった龍なのです。そしてそれは、人類のなかで一体となり最大の幻想を持続する多くの異なった勢力により構成されています。それは非常に分割された不正で自己破滅的な世界秩序のなかで人類が生き続けていけるという幻想です。商業化がその目的の達成のために使う心理的メカニズムを認識するならそれは文字通り邪悪以外のなにものでもありません。

革新的運動家や従事する市民自身が、特に環境問題に関して大規模な混乱、認識の欠如、そしてあなたが話す自己満足的無頓着さおよび無関心の一部ではないのかと異議を唱える読者がいるかもしれません。運動家はこの危機の真の範囲について認識がないのでしょうか。そして彼らは公正で持続可能な世界をもたらすための戦いのなかで、多くの場合ハートを従事させていないのでしょうか。

環境問題への世界的認識の点から私が言及した4種類の人々のグループのうち、環境科学者と運動家の間で現在非公式のパートナーシップが結ばれているのは興味深いことです。彼ら双方が、私たちが直面する課題の圧倒的規模を明確に認識しており、そして変革への道に立ち塞がる利己的な政治、企業による政府の押さえ込み、広く行き渡った惰性や公衆の自己満足的無頓着さを総括するシステムに直面するなか彼らはお互いを必要としています。従ってもし私たちが愛および認識の霊的観点から話すなら、運動家と目覚めた科学者はこの問題に関して確実に誰よりもハートの特質を従事させています。そして以前私が言ったように、彼らは成熟および責任の点からそれを表現しています。

多くの環境運動団体は概してこれらの問題に関して実際、人間の善意の活力的な代表者です。しかしここにパラドックスがあるのです。なぜなら、環境危機への反応として愛が花開くことを許さない複雑なシステムと私たちは戦っているからです。この点から多くの運動家が彼らが立ち向かうシステムの不正によって鍛えられ、無感覚となり、苦い思いをしている事実は理解できることかもしれません。結局のところ彼らが全人口のために取り組み全人類の共益を代表しているにもかかわらず、同様に大規模なデモンストレーションと気候変動問題への断続的取り組みを通して人々も彼らを支持していないのです。従って、世界のあらゆる革新的種類の運動家なしで決して「環境正義」という考えさえも私たちの認識内に存在するに至らなかったであろうことから、彼らに神のご加護があらんことを願います。

従って、どのような政治的またはイデオロギー的信念の運動家でも批判することを私が意図してるのではないことをどうか心に留めておいてください。しかし、ハートを従事させる新しい方法をさらに明確に直観しようとするなかグローバル行動主義になにが欠如しているかを考察することは有益なことかもしれません。なぜならそれは、前例のない莫大な数の人々と共に私たちが追求できる異なった種類の行動主義があり得るからではないでしょうか。一体感および自由についてのアイデア、そして主義やイデオロギーを越えた人間関係への非分割的アプローチのアイデアに基づいた行動主義が。残念ながらチャレンジでさえが「資本主義VS気候」の観点から定められるところの環境運動や学界などにおいて現在多くの運動家が反資本主義の立場を導入しています。これは反対勢力の膨大さを考慮するとある程度理解できることかもしれません。しかし – 次の点は以前の考察で明確になったことを願いますが - 私たち自身が資本主義からなんとか自由である信じることは、実際には私たち全員がこのシステムの機能およびプロセスの構成部分であることから深刻な誤りです。

 従って、資本主義に立ち向かうことが社会問題から自己を切り離すことを示唆する時、そうすることは不可能なのです。そしてこの誤った論法はそれ自体のなかに同じように問題の一部であるさらなる「主義」を生みだします。これは私が以前何度も書いた題材ですが、その見解には愛が欠落すると言えば十分です。それは単に知的なものに過ぎません。問題は資本主義ではありません。新自由主義でもありません。それは保守主義でも自由至上主義でもないのです。問題は私たちの世界のなかの愛および正しい人間関係の欠如です。そして消費、成功、物質主義的生活、他人への無関心さという有害な条件付けを人々に植えつけることにより商業化勢力が今日この問題の中心にあるのです。

すべての人々と国々が真の平和と調和のなかで生きることを最終的に学べると想定すると、様々な「主義」に関する複雑な分析のすべてがいつの日か解消されねばならないでしょう。それにもかかわらずこの過剰に知的な時代に良くない発想をもって狂信的に資本主義原理を振りかざす代わりに、従事するハートの内なる認識を通して私たちの問題を考察することを選ぶ運動家は僅かです。それは、人を殺める時でさえ「神の御旨のままに」と言う程、多種多様な状況で発せられる「神」という言葉のようです。同様に資本主義という言葉は、およそ学説やイデオロギーが人間の思考や行動から独立して行動できるかのように、社会の問題がそれらのせいだと誤った見解をもつ運動家によってまであらゆる種類の理由で乱用され尊厳をさげられてきました。私たちは少なくとも非難することに関しては正確で、これが実際に起こっている戦争、商業化と適切に呼ばれる暴力的勢力およびエネルギーの戦争だと理解できます。ではこれらの悪意に満ち全体に浸透したプロセスの背後にある推進要因はなんでしょうか。ここで再び私たちは、お互いそして自然界との分裂感に基づいた誤り導かれた人間の意図および自分たち全員が一役買っている有害な行いを観察すべきです。

余りにパワフルで、それに立ち向かう人々を容易に除外するかまたは圧倒するシステムの性質に関係して、反資本主義的立場への自己投影にはさらなる危険があるのでしょうか。これは、分かち合いの原理をグローバル経済政策に完全に融合させるための政府への同調した要求のもと結束した大衆を必要とする、新形態の世界的積極行動主義への必要性が提示されるあなたの執筆のなかのもうひとつの主要テーマです。[7]

この質問の簡潔な答えは至って理論的であると信じます。従って、惑星規模の変革のシンプルな道についての内なる認識を曖昧にするだけのさらに複雑な知的理論を導入する必要はありません。環境および社会正義問題に取り組む相当な割合の運動家が現在のシステムとは真っ向から対立しているように見えますが、もし一般大衆が同じ姿勢で彼らに加わったらどうなるかただ想像してください。政府を支配し、警察や他の権力者の保護を受け、都合の良いように法律や政策を形取るパワーをもつのは多国籍企業です;従って、もし抗議者が権力層への集団的敵対および対立を通して変革をもたらそうとしたら誰が勝つと思いますか。どのような個人や制度もあなたが立ち向かって行けば行く程、彼らが自分たちを守るためにすべての必要手段をとるだろうことは当然なのです。そして、新しい法律をつくるパワーをもった多国籍企業や政府に関しては、世界的に公衆監視が暴露されたことにより現在の動向の不吉な成り行きを既に私たちは知らされています。

勿論、すべての運動家が「反」や「主義」の思考設定を取り入れているわけではありません。今日の世界にはより積極的に活動し公衆の考え方や政府の政策の大規模な変革の必要性を認識する革新的若者たちという新驚異があります。ストレスと混乱が充満しすべてが民営化され市場の価値まで下げられ、そして過度に商業化された社会で動くことが彼らにとってますます難しくなっているとしても、実際に若者は世界の希望です。知られているように、若者の多くが学費のために重い負債を抱え、何百万人もが失業し、まともな家を購入できる若者は僅かです。それにもかかわらず、人類の新時代という言葉がなにを意味しようとその開始を示すことができるのは主に彼らなのです。霊的グループによって使われる「新時代」や「宝瓶宮の時代」などの言葉を私たちはしばしば耳にしますが、私はハートの時代またはハート時代についてもっと現実的な言葉で話すことを好みます。なぜならハートは常に私たちと共にあり新しいレッテルを必要としないからです。その上、もし私たちが新時代の開始を望むなら集団でハートを従事させない限りそれはあり得ません。

これが、なぜ分かち合いの原理がこの時代にそのように決定的な重要性をもつのかという理由のひとつです。それは隠喩的な意味で、人生のすべての部門のすべての運動家が飲むことのできるミルクの泉のようなものであり、皆を高みにもち上げ、様々な試みのなかで私たち全員を結束させます。分かち合いの原理は常識、善意、愛そのものでできています。たとえ無意識にであろうとすべての運動家はそのために様々な方法で戦っており、それは内なる観点または霊的観点から調和と正しい人間関係に関係します。それはハートの全特質の母だと言えるかもしれません。


パートIII:愛の行為を実践する

先ほどあなたは環境主義者がアドボカシー活動のなかでどのように分かち合いの原理を受け入れ始めているかを説明しましたが、分かち合いに関する内なる展望を環境問題の取り組みに導入するというのはどういう意味ですか。別の言い方をすると、運動家が「ハートを従事させ」「愛の行為」を実践しているかどうか私たちはどのように知ることができるのでしょうか。

それは、私たちが各々の目標を追求し続けると同時に、世界問題の内部について考えるという問題であり、環境運動家がしていることを止めるべきだとか方向転換すべきだとかいうことではありません。これが主になにを意味するのかというと、私の著書「世界人権宣言第25条を布告する」のなかで考察されているように、気候変動や私たちが支持する他の目標に取り組むよう政府に要求すると同時に、世界飢餓の完全根絶を提唱できるということです。[8] 環境危機の基本的な内なるまたは霊的重要性はそれが人間の意識を惑星レベルにまで拡大したということであり、それは何百万人という人々が自国や自己のコミュニティ内の環境だけでなく世界全体の環境、万人のものである世界の大気や生物圏にとってもまた良いことを考えているということです。飢餓および地球特有の貧困の現実への世界的認識が呪われたかのようである一方で、環境的懸念を心棒することは現在まるで流行のようです。

それにもかかわらず、もし私たちが大きな環境デモをオーガナイズできるなら、毎年貧困関連の原因から何百万もの人々が不必要に死んでいる事実を踏まえると、飢餓者に食べ物を与え予防可能な病気に苦しむすべての人々を助けるための比例のない行動を政府に要求する大規模な抗議デモをなぜ私たちはオーガナイズできないのでしょうか。私が以前述べた同じ論点を繰り返したくありませんが、世界問題への私たちの認識は余りに断片的であり、環境主義者の多くには世界の飢餓および貧困危機について話すことさえ殆どできません。それは、環境主義が他の幻想や自ら作り上げた「主義」に屈しているということです。

未来世代の子供たちのために環境主義者が発言するのを私たちはしばしば耳にしますが、公認済みの政府の怠慢の結果として飢餓から死んで行く現世代の子供たちについてはどうでしょうか。それらの子供たちは事実、私たちの集団的自己満足的無頓着さ、無知および無関心を通して主に表現されるように、この惑星に充満する内なるCO2の結果死んでいるのです。最も実際的かつ人間的立場から、貧しいコミュニティの子供たちもまた私たちが世話をし保護すべき自分たちの子供ではないのでしょうか。特権的立場にある富裕国における「私の子供たち」や「私の未来」のことだけを考えるものの見方のようなものは正しい人間関係の観点からそれ自体のなかで最悪の公害です。それは愛の行為や真のハートの認識の理解から程遠く実に偏り惑わされた考え方なのです。

再度グローバル経済危機が起こった場合、政治家が環境問題を棚にしまい込んでしまう危険性について私は先ほど述べましたが、何百万人もの人々が気候変動の脅威に集中している現在それはいかにも私たちが永続的な世界飢餓の危機を既に棚にしまい込んでしまっているかのようです。極貧生活の結果、毎週死んでいく何万人という子供たちと比べあなたの家族が既に必要以上に恵まれている時、あなたの曾孫の福利について懸念することが健康的な態度だと私たちは本当に信じることができるのでしょうか。これらの心情を地球温暖化に関しての知識豊富な意見をもって私たちがいくら誤魔化そうとそれは「飢餓は常に存在してきたし、これからも常に存在するだろう」と言う、自己満足的で無頓着な人と同じ思考設定なのです。そしてこの思考設定を世界人口の広範な層が維持し続ける限り、気候危機への反応として「どうこうしても私たち全員が結局のところ絶望的なんだから考えてもどうしょうもない」と言う人々がなくならないでしょう。

世界の死に行く貧困者に食べ物を与えることより世界の平均気温を下げることにもっと関心があるかのように、世界の飢餓および貧困危機に決して言及することのない多くの著名な気候変動活動家やキャンペーナーも存在します。従って、彼らは全世界やひとつの人類の共益でなく実際には現代の豊かな社会に住む人々の共益を支持しているのです。私に関する限りそれがなぜ、ブラント報告と最新の回勅「ラウダート・シ(主に賛美)」に反映されるように、この問題の最先端に立つ霊的権威者がウィリー・ブラントとローマ教皇フランシスコであるのかという理由です。

世界人権宣言第25条を布告する」のパート3のなかであなたは、「豊かさのなかの貧困という不正を是正することなく気候変動や環境危機に取り組むことも決してできない。そしてそれが全生態学的問題解決の起点となる」と主張しています。この論理の道筋を要約して貰えますか。

読者が各自でこの論理の道筋を熟考することを促しますが、肝心なメッセージは、断続するデモンストレーションが、すべての国で何百万人もの人々の結束の大規模な表現を通して、危機的な世界情勢に新たな方向性を与えるための唯一の方法だということです。万人が基本的生活必需品へのアクセスをもつことを要求する世界人権宣言第25条は、その実現がグローバル政治および経済情勢のなかで驚くべき変革の前兆となることを考慮するなら、大衆のための正義と自由への真に偉大なガイドです。

これは、国連安全保障理事会に代表される企業利益や大国でなく世界の人々の組織として見なされるべき国連に特に関係します。このように、第25条の人権を中心に断続する世界的抗議デモが最終的にブラント報告を交渉テーブルへ、あるいは、主要な国際的優先事項として飢餓および極貧根絶の再分配緊急プログラムのために少なくともそのハイレベルな申し立てを交渉テーブルへ戻すことができます。それは本質的に、私たちの長期的安全保障と環境危機へ取り組むために必要な、世界経済のさらなる構造変革への入り口です。

このインタビューである程度私たちが考察し、私が本のなかで事実と断定する商業化の問題についての見解を中心とした手短な記述を誰もがフォローし理解できます。何ヶ月間どころか何年間も続く、そして何百万人どころか何億人もの人々によるとどまるところを知らない抗議活動なくして、結果的には政治経済制度を配する商業化勢力は世界の動向をさらなる大惨事と大混乱へと激化させ続けるでしょう。

現状において世界の炭素排出の規制、飢餓の永続的根絶、難民危機への取り組みの重荷分担のための大胆な計画を国々が実施することは不可能です。しかし命を脅かす貧困の道徳的屈辱を短期間で根絶するために、政府が世界資源を分かち合うことに一度全力を投球するなら、気候変動への取り組みおよび環境の修復に関する問題など解決のために国々が協力し合い分担せねばならないであろう他の多くの問題があります。議論の余地のないこの論理を説明するために、私は本のなかでは単純な演繹的推理を用いています。それは、万人の基本的社会経済権を永続的に確保することによりどのように世界の人口レベルを安定させ最終的に逆転させるかという難解な問題などを含んでいます。

しかしながら、これら実際的かつ人間的問題を理解するために理論や「主義」を探る必要はなく、従ってこれは私が促進しようとしている変革についてのまた別の学説ではありません。私が提案するままの世界問題の解決策はその概念化において極めて簡単明瞭ですが、より深い疑問はもし何百万もの人々が単一目標と統一した目的のなか絶えることなく抗議するならなにが起こるかということに関係します。それは、自分たちの愛とハートの認識の欠如についての「内なる」探求の方向に私たちを連れ戻す疑問です。もし私たちがすべての国で第25条の実現を監督する権限を国連に与えることに集中した断続的デモンストレーションを見通すことができるなら、それは何百万人もの人々が危機的世界情勢の現実をより明確に見るためのさらなる認識をもたらす効果をもつでしょう。

今日目撃されているすべての問題、惨めさ、分裂および憎しみのすべては、私たちが国連の創設以来世界の資源を分かち合うことに失敗してきたという事実が原因であること、そして誤った方向に一直線に突っ走り続けているということを集団的に自分たちで認識せねばなりません。この意味で、第25条が世界問題の解決策となるのでなく、認識、一体感および愛を通して、そして手遅れになる前に分かち合いの原理を世界情勢に実現せねばならないのだという理解を通して惑星規模での人間のハートの目覚めが解決策となるのです。

もし十分な人々がこの喜ばしく希望に溢れた理解に達するなら、世界の相互連結した様々な危機の繋がりを認識するためにやがて自分たちの集団意識が拡大されるだろうことを私たちは想い描くことができるでしょう。一度人類の大部分が飢餓および貧困問題を解決することに心底から集中するなら、人間の人間による搾取の観点から、そして多国籍企業がもたらした合法化された窃盗と破壊の観点から、環境問題の基礎となる正義を私たちはより進んで知覚できます。そのうち何百万人もの一般人が社会における有形財や無駄な消費への強い執着に疑問をもつよう導かれ、成功しお金持ちになるために常に奮闘する代わりにもっと簡素に生活することを求めるでしょう。

それは文化的、社会的制度にだけでなく教育制度にもまた遠大な効果をおよぼすでしょう;実に、万人の基本的ニーズを確保することの効果は最終的に人間の努力のあらゆる面をもち上げ利益をもたらすでしょう。もし私たちが第25条を最終的に一世代で実現したとしたら、社会に起こるであろう計り知れない途轍もない変革を私は簡単に要約しているだけです。それは例え世界の大部分がこの壮大な目標を支持したとしても難しく長いプロセスになることは疑いありません。

富裕国でのより資源非消費型の生活様式や国内および国家間でのより公平な生活水準を実際にどう実現できるかということに関係した、あなたがこれまでただ軽く触れただけの重要な問題に今あなたはそれとなく言及しました。このインタビューの最初の部分で顕教的または「外なる」視点からあなたはこの問題に手短にふれましたが、現代の消費者社会における私たちの姿勢や態度に必要な変革をどうもたらすかについて多くの疑問が残っています。これは、人間の意識の転換や集団的認識の拡大に関連して内なる視点または心理的視点からしか真に理解され得ないテーマでもあるのですか。

私たちが真の答えを唯一知覚できるところのもっと包括的、霊的または心理的視点からこの疑問の政治学について考察する革新的思想家が僅かしかいないというのは本当です。理解すべき第一のことは、地球の生物物理学的限界のなかで人がより簡素かつ公平に生きるためには、世界全体を通してストレスおよび鬱状態を軽減させねばならないということです。人類の大部分が、無限の分裂および葛藤を伴う機能不全社会のなかで生きる重圧が原因のストレスで苦しんでおり、そしてそれらすべてのストレスはすべての側面で恐怖をもたらしています – 他者への恐怖、変化への恐怖、生きることへの恐怖、存在すること自体への恐怖。そしてより簡素に生きることが内的により自由で無執着であることをも要求する時、ストレス、落ち込みおよび恐怖に苦しむ人にそれを期待することはできないのです。

ストレスや落ち込みに苦しむ人を注意深く観察すると、彼の心理的傾向はその性質が物質的であろうと感情的であろうと執着を通して内なる安心感を探し求めようとすることです – それは明らかに、認識をもって自由でシンプルな生活を追求することとは反対です。広くいき渡った苦しい人生のあり方への治療法のひとつは、日常の活動の全分野における絶え間のない愛情に満ちた注意力です – しかしここにまた私たちの苦境があるのです。なぜなら、全世界が愛や霊性だけでなく内なる自由への認識をも欠いている時、私たちはどのようにして社会のストレスを相殺できるのでしょうか。従って私たちの状況の不条理があるのです。なぜなら、私たち共通の問題の唯一の永続的な解決策であるシンプルな生活への可能性自体を私たちは拒まれているからです。クリシュナムルティ·スクールを例にとると、その教師の多くが、どのように彼らの生徒が正しい価値観および営みのなかシンプルかつ聡明な人生を追求することを学び、そして彼らが教育を終えた後、聡明さ、愛情および認識をもって生きるということがなにを意味するかをまったく知らない機能不全社会に入っていくことを嘆いてきました。

また、存在することの恐怖の結果として、多くの人々が不公平な社会に立ち向かっていくことで心理的安心感を得ようとすることから、多くの「主義」およびイデオロギーが常に再活性化され逃げ場として注目を向けられています。これはおおよそ私たち自身で考察するのが良いであろう大変重要な課題です。今日これは、内なる変革から多くの人々を妨げている存在することの恐怖だけではなく、主義を失うことの恐怖や、主に宗教的、政治的または文化的信念という彼らのアイデンティティの不可欠な部分を形成する親しみのあるアイデアでもあります。この内なる探求の方向性を追求することはまた、私たちの時代の大混乱がなぜ非常に深刻で消耗的なのかということを説明するのにもまた役立つかもしれません。なぜなら世界規模で蔓延する混乱は人類の創造性を著しく低下させ、社会に必要とされる斬新な変革が起こるのをさらに妨げるからです。

熟考すべきこの問題のもうひとつの重要な側面は、生きる歓びを経験することなしに私たちは集団で自分たちの生活様式を簡略化できないということです。それにもかかわらず非常に不平等で不正な、そして非常に混乱し無知な政治家に腐敗させられた機能不全な社会では真の歓びはあり得ません。私たちが識別し大まかに区別できる二種類の歓びに満ちた生活があります。ひとつは表面的な楽しみや商業化の幻想から生じ、私たちが今考察してきたようにそれは概して全幻想のなかで最大の幻想です。しかしもうひとつの人生の歓びである真の霊的な生きる歓びは、分かち合いの原理がグローバル経済および政治情勢に一度融合されさえするなら明瞭となりその本質を明かすことができますが、今日およそ誰にも知られていません。

これらふたつの相反する生活様式は、まるでお互いが相殺し合っているかのようです。しかし今日商業化勢力によって提供された幻想的な生きる歓びは人類が無意識に取り入れるよう押しつけられてきたそれなのです。従って、生きる歓びは、慈悲を通して、認識を通して、そして私たちは皆ひとつであり、共になることや愛においては皆平等で本質的に同じなのだという歓びに満ちた理解を通してハートによって差しだされるのです – それは、大量消費によって失墜させられ、私たちの生活パターンのなかでその大部分が感じられていない生活様式です。コミュニティ·レベルで、または「ウォールを占拠せよ」や「タハリール広場」など平和的大衆抗議のための臨時の野営地において、私たちは歓喜に満ちた在り方のほんのかすかな光を経験したに過ぎません。

これは、主流の豊かな社会でのより簡素より歓びに満ちた生活様式は、世界的な第25条の実現を通してのみもたらされ得るということを意味しているのですか – これは「世界人権宣言第25条」のなかで紹介されましたがさらなる説明が必要なテーマです。

もしあなたが私が言っていることを知性だけでなくハートの認識をも通して理解できるなら、シンプルに生きるということはこの過度に物質主義的な世界で並外れて大変なことであり、私たち共有の惑星の資源の限界内でどのようにもっとシンプルに生活すべきかということにおいて人類を導くのは第25条の実現であることが理解できるでしょう。飢餓や他の貧困関係の原因から毎年何百万人もの人々が不必要に死んでいる限り、私たちそれぞれの生活水準のなかでもっとシンプルかつ平等に生きることが決してできないのだとあなたは思うことはないですか。

まさに、日々生存するための苦闘に疲れ果てた何百万人もの多くの貧困者がいるように、隔離された環境のなかで裕福であることに疲れた極度に裕福な人々が多くいます。そして彼ら全員を結びつけ世界中の生活水準における壮大な格差によってもたらされる緊張を和らげることのできるのが、第25条を完全に保障するという展望です。心理的および霊的観点から、人生と人間関係に対する私たちの態度における貪欲、不正直さ、野心の発生を減らす可能性をもつ、尊厳と自由の驚くべき基盤を第25条は象徴します。それは、社会組織の様々な様式を簡略化するために必要とされる愛と認識を解放する先駆者です。

結局のところ、利益やパワーの追求から生まれた乱用でないなら気候変動の根本的な原因はなんでしょうか。なぜなら、環境を乱用し、他人を食い物にしない限り、膨大な規模で利益を上げることは不可能だからです。持続不可能な消費の大規模なパターンを通して全システムを維持することにまさに私たちが加担しているように、政府と大企業もまた、どのようにこの破壊的な経済秩序の維持に加担しているかを私たちは見てきました。しかし、「ひとつの惑星生活」の観点から悲惨にも持続不可能であると私たちが知っているように、西ヨーロッパや北アメリカで生活する人々のように過度の消費型生活様式を楽しみたいと熱望する、発展途上国の何百万人という貧困者を含んだおよそ全員が、さらなる消費と生活様式の向上を望んでいるのです。

この社会でシンプルな生活をする唯一の方法は隔離されたコミュニティに引きこもることですが、それは一定の不可逆的転換点を既に超えたと科学者の多くが信じる気候変動の世界問題の解決策にはなりません。自給自足のコミュニティでもっと質素に生活することがどれだけ有益であろうと、それは実際には儚い逃避でしかないのです。なぜなら、早かれ遅かれ世界の問題は、どこであろうと私たちを見つけにやってくるからです。

これは、今日のすべての問題は世界的な問題であり、それらを解決するためには全世界の参加が要求されることを人類に教えるという、気候変動のもうひとつの霊的意義を指し示しています。それはまるで天候でさえが人類の霊的結束から自分たち自身を分割することを止めるよう私たちに頼んでいるかのようであり、貧困根絶と環境救済の問題を連結させることに十分な人々がハートを従事させない限り、よりシンプルより歓ばしい生活様式がもたらされることは決してないということを意味しています。

まず第一に、世界情勢に第25条の実現が優先されるまで世界的によりシンプルな生活水準を実現することは不可能だとあなたは言っているようですが、これは分かち合いの原理を基盤とすべき社会およびグローバル経済システムの「外なる」構造改革、そして人類が変革すべき必要性への「内なる」認識の双方を解き放つものだからでしょうか。

どの方向からこの問題を見ようと、一連の効果的な法律として第25条をすべての国で実現する必要性を理解するまで新しい社会のための考えやビジョンある提案を進めることはできません。なぜなら確かにこれが人類の「内なる」変革と、地球の限界内で機能する持続可能な経済を最終的にもたらす社会の「外なる」変革の両方への入り口だからです。枯渇する天然資源の行き過ぎた搾取を防止する新法律と新経済の営みを維持するために必要な集団的認識へ他になにが私たちを導いてくれると考えられるのでしょうか。万人が基本的ニーズを保証される時、そして資源が世界中でより平等に分配される時、新たな国際ガバナンスの枠組みが環境保護および不正義から解放された生活を可能にすることから、「人々がただ生きることができるよう」シンプルに生きる歓びが実現されるだろうことを予見できるかもしれません。

ここで私たちが実際に話しているのは、国々の間の未来の貿易協定を第25条の実施が決定するだろうところの、グローバル・レベルのまったく異なった経済的取り決めによる資本主義と社会主義の融合に関することです。それは例えば、世界のどこかで何百万人もの人々が飢えるかたわら、ある国が余剰食糧をもつとしたら、その国が利益のためにその食糧を輸出しようとしたり大倉庫で腐るまま放ったらかしにしたりすることを防ぐものです。代替的経済パラダイムとして、生産物が国内のニーズを上回る国は、国連の新専門機関などその目的のために特別に設置された機関が管理するなんらかの形態の世界的蓄えに寄付することにより、生産が不十分な国に余剰が再分配されるかその国とそれを交換することを可能にします。

私たちはこれを、地球の非再生可能資源の限られた供給を使い尽くすことなく万人が権利をもつ十分な物資や農産物を国際コミュニティが生産することを可能にする真の構造調整として考えるかもしれません。しかし、断続する世界人口の爆発、最富裕国および最貧困国の生活水準における極端な差、そしてこの惑星のバイオキャパシティを既に遥かに超え上昇する天然資源の過剰消費をもってこれをどう達成できるのでしょうか。

分かち合いの原理に基づく簡略化された経済システムについてさらに詳しく好きなだけ議論できますが、事実は、利益や競争的な私欲の徹底的追求が背後に潜むところの商業化勢力によって人間が非常に条件付けられている間はこれらの方向に沿ったどのような構造改革も新しい法律も導入され得ません。人類の意識内で環境コモンズを妨げている心理的要因は利益追求以外なんでしょうか。そして、社会でフリーエネルギーの基盤として常温核融合技術を確立することの内なる障害は利益追求以外なにがあるのでしょうか。人生の内なるまたは霊的現実への認識のなかで遥かな未来に向かって自分たちの想像を拡張することにより、この太古の問題の唯一の解決策は需要と供給の法則内のグローバル経済情勢において物々交換の実践を構造化することだという結論に私たちは達するかもしれません。周知のように、利益追求は人間および自然双方にとって害がありストレスの原因となります。その一方で物々交換の実践は、無害であること、シンプルであること、そして正しい人間関係という正反対の傾向に基づきます。

このトピックについてさらに多くが語られるべきですが、このような新しい経済的交換様式は、私たちお互いの関係や私たちと自然環境との関係を完全に異なった方法でみることが必要な、それ自体が広大な主題である自己知識に基づいた新教育が同時に導入されることなくして持続することは不可能でしょう。明らかに、私たちは原始的な生活様式に戻ることについて話しているのではありません。そして宇宙のなかの自己の存在についての人間生来の好奇心を止めるのことが不可能であるかたわら、人間社会の進化のなかで常にイノベーションとテクノロジーの役割があるでしょう。より簡素な生活水準の必要性もまた私たちが消費する資源の量や種類以上のことに関係します。なぜなら、外なる世界と私たちの関係のなかで内なる自己についての認識を意味する、生きる術があるからです。もっとシンプルでもっと歓びに満ち、そしてもっとハートを使った生活のあり方は、外からどんな権威者によっても人々に強制されるべきでなく、そしてそれは、生きとし生けるものすべてに敬意をもち、無害に生きる自己の意図への内なる認識を通してすべての人により各人で内から養成されねばなりません。

可能なら、これら最後の所感について、特に、シンプルに生きる術があるというアイデアについてさらに詳しく説明してもらえますか。18世紀半ばにジョン・スチュアート・ミルが産業の発展の最終目的について熟考した時心に描いたものと同じ「生きる術」についてあなたは話しているのですか。それとも術の形態としてもっとシンプルに生きることには他に異なった意味があるのですか。それは文字通りの意味でなく霊的な意味で理解されねばならないと推定しますが。

それは、熟達した建築家が建設様式を必要最小限に抑えて資源の使用が質素であるにもかかわらず、外観の素晴らしい建物を設計できるように、シンプルに生きるということは実にアート(術)です。またはアーティストが彼の絵を視覚的に魅力的で意味のあるものにするよう適切なところに異なった色をつけることを知っているように、私たちもまた、完全に無害で他人への奉仕に向けられた、尊厳があり充実した創造的人生のために必要なものを万人がもつために社会を適切な場所に置こうとしているのです。自己の存在に現代世界のストレスおよび分裂以上の意味があるともし私たちが信じるなら、そして生来の創造的可能性を探求する自由と機会を皆がもつ違った生き方が可能だともし私たちが感じることができるなら、人間の進化のすべては、ひとつの生命の共同創造主として自己の役を全員が演じるところの科学的アートのようだという真実を私たちは直感できるのです。私たち全員が内から外への自己創造のアーティストなのです。そして生きる術、あるいは存在の術として霊的に正確に表現されたものなくして「シンプルに生きる」ことはあり得ないのです。

日常生活の表現のなかでシンプルに生きることが殆ど不可能に近いところの、惑星規模の混乱と過渡期のこの時期にこれをまた私たちは観察できます。従って人類にとっての第一ステップは、私たちが思考の術と呼ぶかもしれないものです。結局のところこれが、まず第一に人生の霊的現実への認識をもつようになり、そして国々という家族としての自分たちの態度、振る舞いおよび意図の完全な変革の必要性への認識をもつようになることにより、私たちを人生のアーティストにできるものなのです。例えばもし私が、成功した裕福な「起業家」になるというアイデアに自己投影するなら、利益を上げ個人的富を蓄積する機会に関心があっても、公共公園や保護された自然保護区の実行可能性、ましてや地球の気候システムの安定性などに関心のある可能性はなさそうです。正しい思考の術はそれゆえ私の元々の意図に関係します。それは、常に人類および地球全体の最大の共益に向けられていなければなりません。

この意味で、生態学的に柔軟な社会へと私たちが移行すると同時に万人の共益を私たちがさらに首尾よく実現するかもしれないように、人類が国内および世界情勢を管理する方法を変革することに関心のあるアーティストが既に世界には大勢います。もし私たちが正しい人間関係についてある崇高なアイデアを代表する革新的な市民社会団体や人道機関の存在を想像できるなら、思考の術は一般市民の大衆参加を通してそのアイデアを実現することに関係します。貧困、持続可能な経済、平和な世界、健全な環境;これらすべてのアイデアは、この考察を通して私たちが全面的に認めたように、全社会がそれらを支持して結束するまで決して実現しないでしょう。そして、全人類がこれらのアイデアを受け入れることが人類家族としての私たちの意識を拡大し、私たちの全生活をもっと歓びで満たし、霊的進化に従って大変急速なペースで人間の聡明さが姿を現わすよう導くのです。

従って、この地球最大の病は内および外の形態双方における分裂であり、正しい思考の術は集団的惑星規模の変革の初期段階に関係します。正しい人間関係のシンプルな道から私たちを外れさす幻想への認識をもつことがもっと重要であり、よりシンプルに生きる術に没頭し過ぎる必要は現時点でないと思います。もし私たちが、より啓蒙されハートが従事する社会に住むことがどのようかということについてこれらの予測的な霊的疑問をさらに熟考したいなら、商業化の拡大する動向が私たちをどう逆方向に導いているかについて詳しく知ることを提案します。ビジュアル・アーティストの例えに続きをつけ足すなら、以前何度も言ったように、誤用された人間の知性が迫りくる自己破壊の方向へ私たちを導くまで商業化は私たちに間違った教育をし、私たちを条件づけし、そして私たちが適切な場所にすべての色を塗ることを妨げているのです。

このすべてが、なにが人間の愛と認識を十分に目覚めさせることができるかという疑問をもたらします。従ってあなたが提案したように、大規模な市民参加を通して世界変革のプロセスを開始するのです。これらの内と外の変革の始まりを知らせるかもしれない時や徴を予測することは可能でしょうか。世界資源のより公平な分かち合いのための絶え間ないデモンストレーションを通して結束する何百万、何千万人もの人々というあなたのビジョンから私たちはまだ程遠いようですが、これは多くの読者を世界問題について絶望感と混乱感のなかに取り残すかもしれません。

もし私たちが人類の外なる問題だけを詳しく考察するなら、余りの複雑さ、そして余りに多くの要因やその他の多種多様なものに直面するため世界問題の解決策への明瞭な答えを突き止めることは不可能です。これが、世界がどう変革すべきかについて深淵かつシンプルな変革的洞察もたらすであろう、人間の進化の内なる側面または霊的側面を熟考することがなぜ有益なのかという理由です。何千年もの間多くの賢明な教師および予言的思想家は、内を見つめ変革の必要性を知覚するよう人に懇願してきました。それにもかかわらず、私たちは親切心と愛情をもってお互いをどう扱うか、そして自己利益、競争および貪欲なくして地球の生産物をどう分かち合うかという最も基礎的なレッスンを学べていないのです。 

これまでの何世紀にも渡る技術的および社会的進歩の後、人類が正しい人間関係についてなにかを学んだと思いますか。私たちの社会的振る舞いを特徴づける多くの「主義」を国々は捨て去ろうと試みてきました。私たちは大規模な戦争および何世紀にも渡る植民地主義や帝国主義に耐え忍んできました。そしてそれにも関わらず、結果としてのすべての分裂や不平等のなか世界舞台においてパワーを巡って猛烈に競争するという古いやり方を私たちはいまだ続けています。

それでは自然界の事実として、私たちが本質的に平等で相互依存するひとつの人類だということをどうしたら万人が悟るとあなたは思いますか。内なる視点から私たちの問題の解決策を握るのは、第25条を経済的、政治的に保護することではありません。なぜならすべての世界問題は相互連結して同じ人類学的発端をもち、最終的には唯一ひとつの問題とひとつの解決策しかないことをそれは意味するからです。問題そのものが解決策なのです。それは最も基本的な霊的および心理的意味において、今一度繰り返しますが、愛の欠如としてしか表現され得ません。唯一人間のハートだけが抗体をもつことから、人類を苦しめるこの古代の病のワクチンを私たちが発見できることは決してないと言えるでしょう。

マインドの条件付けの新形態を作りだすことなく、宗教的および政治的「主義」のマスクの背後に隠れることなく、そして自国の歴史に埋葬された偏見や憎悪を再び生みだすことなくしてお互いとどう生きるか私たちはいまだ学んでいないようです。最終的に、正しい人間関係は全次元における社会的、経済的、環境的危機の解決策への鍵であるとしか言えません。それはこの機能不全社会の状況において莫大量の愛と認識が世界中で解き放たれる必要があるという意味です。

しかし国家的誇りや個人的繁栄という古いやり方を続ける同じ政治家に投票し続ける限り、そして抗議活動やデモンストレーションが比較的少人数に限られ続ける限り、人間の意識の急速な拡大のために2つの展望がるのみです:それは聖なる介入、あるいは国際経済システムの完全な崩壊です。「世界人権宣言第25条を布告する」の終わりの方で私が書いたように、私たちに現実感をもたらし、現在の生活のあり方とその背後に潜む心理のすべて – 個人的野心の津波、何百万という人々の富と成功への衝動、幸福および保証の利己主義的追求 – を完全に中断させるためには大惨事が必要なようにみえます。世界恐慌以来前例のない、より深刻な長期化した新たな世界経済危機が私たちの考え方および社会の組織化の仕方に深い影響を与えるでしょう。人類がどのようにこれ以上先に進むことのできない袋小路に達してしまったかをそれは象徴的意味で証明するでしょう。そして、間違った根拠や原理が前提の社会秩序を持続する、私たちの内なる態度と振る舞いの完全な変革なくして前進する道はないのです。

不可抗力的なものである大量消費主義を止め、十分な数の人々から自己満足的無頓着さを取り払えるものが他にあるでしょうか。しかし国家間の信用が皆無となり、政府機関に愛の顕現が欠落し、そして政治的リーダーたちの間に前進のための真の協力的道の見通しがなくなるまで人類が純然たる経済危機を経験する必要のあるこの時点に達することは、実際には21世紀の初頭において私たちが落ちた深みの哀れな兆候です。私たちがどのように共存し人類家族として行動するかを変えることがいつでも非常に簡単なはずだったにもかかわらず、世界情勢において正常さを目覚ますために絶え間ない大規模なデモンストレーションまでをもなぜ必要とするのか私たちは自問すべきです。

気候変動の霊的重要性および象徴的意義についてあなたは様々な方法で簡潔に述べました;環境危機の内なる原因および意味合いについてつけ足したいことはありますか。

これは私たちが自分たち自身でさらに思案すべき別の重要な問いです。なぜならもし万物に霊性が宿るなら、私が主張してきたように人間は生命であり、それは私たちの行為のすべてが各人から共同体としての全人類に至るまで私たちの周りの環境に影響をもつことを意味するからです。環境のなかの大混乱は私たち自身のなかの大混乱を反映し、従って地球温暖化の危機は私たちの集団としての思考や行為の直接的結果です。聖書に書かれているように蒔いた種は刈り取られねばなりません。それはこれ以上シンプルであり得ません。しかし、誰かの所有物というものはありえず、この地球の資源の公平な分配、管理および保護は私たち全員の責任だということを文明人として私たちはまだ理解し受け入れていません。私たちの真の人間性および私たち共有の神性のためのなくてはならない第一歩を一度私たちが学び実践するなら自然がどのように不思議な奇跡的方法でバランスを取り戻すかを私たちは目撃するかもしれません。人間と自然は霊性と進化の点から永遠に一体であることから、人間の傲慢や無知によってもし分裂が何世紀にも渡ってもたらされるなら、人間が存在するようになる以前に自然に生みだされ維持されたバランスをすべての創造物が失うのです。

この点から、人為的な気候変動に象徴される幾つかの深い象徴的意義について私は述べましたが、そのなかで全レベルにおいて経済的、政治的、社会的、心理的および霊的に人類がどう危機に瀕しているかをそれは反映しています。従って、ガバナンス制度の運営に影響を与える政治的な危機だけでなく、人間の思考と行為への私たちのアプローチのすべてに疑問を投げかける「主義」の危機をも私たちは目撃しています。同じようにそれは、私たちが間もなく経験するかもしれない新しい経済秩序モデルを要求するさらなる世界経済危機だけでなく、私たちが自己の存在の本質そのものと目的を見直すことを余儀なくさせる山場を迎えた心理的、社会的、霊的な危機でもあるのです。

まさに経済、政治システムのすべての形態がゆっくり溶け崩れつつあるように、すべての古い主義は崩壊するか結晶化しつつあります。それが、すなわち左翼および右翼、保守反動派および堅固な革新派など対立し分極化した考え方の間のすべての混乱を生みだしているのです。人類がより正常な世界への痛々しく混沌とした移行を経験すると同時に、まるで私たちは大混乱の時代に生きているかのようです。そしてこれらの困難な時代を象徴する多様な危機への私たちの対応次第で、この風土病的混乱期がこの先長い将来に渡って激化する運命にあると予測することが可能なのです。

これは、世界情勢に分かち合いの原理を実現することによってのみ唯一この混乱と危機の時代から脱出できるのだという密教的見地から、気候変動の最も確実な象徴的意味なのでしょうか。

環境問題の内部の原因に関するこのインタビューの初めから私が言ってきたように、それが基本的になにを意味するかというと、人類は不可避の究極的選択を迫られているということです。最終的に自己破壊をもたらすだろう昔ながらの自己中心的で競争的やり方を続けていくか、あるいは最後の希望として、世界の資源を分かち合わねばならないというこれまで以上に明瞭な認識の方向へと正しく思考するすべての善意の人々を導くよう、人類を対立する両者に分割する新勢力およびエネルギーを私たちが受け入れるかです。

自己本位な政府や企業と戦っている人生の全部門の運動家だけでなく、この壮大な闘争において両者が混乱し失望しています。商業化の支持者でさえが、漠然とであろうと無意識的であろうと感じなんとか知覚することのできる、これらの新エネルギーにどのように対応して良いか分からず戸惑っています。そして利益追求および個人的野心が唯一それから解放感を与える源なのです。たとえ右翼や左翼の主義にしがみつこうと大混乱に関する限り私たちは皆同じ境遇にあるのです。なぜなら、現在人類は成熟期に達しており - 最も象徴的な意味で、私たち生来の神性および一体性 - これらの言葉が意味するとされることについてどのような宗教的解釈や学説的解釈も超え - の真実を遂に受け入れる準備が私たちにはできているからです。それはあたかも天候が、私たちが自己を霊的結束および相互連結から切り離すことをやめるよう頼んでいるだけでなく、これは私たちの集団的な内部の変革の最後のチャンスであるため、私たちが世界危機の内部の原因にどう一役買っているかを自分たちで見て理解することをもまた哀願しているかのようです。

要約すると、市民社会団体の提案がどう道理にかなっていようと、または賞賛すべきものであろうと、彼らのアイデアやアドボカシー活動によるだけでは世界変革は起こりえず、世界の大多数の人々の意識の転換の結果を通してのみ成就され得るのだとあなたは明白にしてきました。そしてこの新意識と心からの認識はなによりもまず、すべての国において万人のために第25条を保証する道徳的、霊的、実際的緊急性を受け入れる大規模な大衆の抗議デモを通して表現されることを必要とするでしょう。これが、あなたの他の執筆に関連してあなたが概要を述べたように、国連に権威を与え、国際的な経済の分かち合いと政府間の協力の新時代へと先導するための入り口です。従って、内部的または霊的視点からはやや逆説的ながらもそれは、人間の貧困の緊急な根絶の必要性をも受け入れないなら、環境危機への永続的な解決策はあり得ないことを意味します。これはあなたの考えの偏りのない概要でしょうか。それともさらに明瞭にすることや付け足すことがあるでしょうか。

世界の生態学的危機についての全思考形態は、その霊的パートナーが殆どの活動家のサークルや大衆討議においてふれられることも滅多になく現在ますます結晶化しています。「世界人権宣言第25条を布告する」の第3章で私は、単一争点のなかで人類を徐々に結束させている気候変動は、少なくとも世界的および象徴的に、現在私たちの唯一の教師であるという認識を通してこの問題に取り組んでいます。しかし、人類が相互依存したひとつの家族であることをもし私たちが理解し真にそれを実践するつもりなら、地球を救うための戦いのなかで同時進行の最優先事項として第25条を無視し続けることはできません。本質的に、世界資源の大規模な再分配と国際的経済構造の大々的な再構築を要求する第25条の迅速な保護が、気候変動への解決策に完全に繋がっていることは、従事するどのような市民や政治家にとってもますます明らかな筈です。資源のより公平な分かち合いを通してもしこの世界に少しでも社会正義があったなら、そして地球で飢餓や他の貧困関係の原因から人が死に続けることがないなら、気候は今日のような混乱した不均衡な状態にはなかったでしょう。

私がこれまで強調したように、努力を分担した公平な枠組みを通して気候危機に政府がどう取り組むべきかという市民社会の提案に関するこのインタビューの最初の考察のいくつかによって、私たちはこれを理論的かつ演繹的に外部や政策関係の点から理解できます。しかし世界の環境問題を真に心から理解するために、自己の内部の認識、直感、慈悲心および良識を従事させるよう私たちは求められます。それは、隠された自然のエレメントと、全人類の総体的思考および行為の間の大きな繋がりの重要性をもし私たち自身で把握したければの場合ですが。恐らくは、人類の大部分が第25条を布告することによりハートを従事させることにまず成功しないことには、世界の問題を解決する方法は他にないかもしれません。それは、物質勢力および商業化勢力の固守によって持続することに私たち全員が共犯者であるところの、現在の成長型経済パラダイムによってもたらされた全体的な行き詰まりから逃れる唯一のルートかもしれません。

従って、世界情勢に分かち合いの原理を実現することの内部の意義を思案し心に留めることは最も重要だと私は信じますが、それは確かに矛盾した難しさを提起します。なぜならハート自体が合理化され得ない時、それはハートの認識を通してこれらの問題を詳しく考察するよう私たちに要求するからです。異国の人々の間での信頼を得ることができるように、グローバル経済の取り決めに分かち合いの原理をどう融合させる必要があるかについて、新たな注目をもって自分自身のなかで静かに再び熟考すべきです。それはこれから先、さらに簡単かつ迅速にハートの特質を放つことを私たちができるようにするでしょう。

当然のことながら商業化勢力は、この世界で愛と知恵の現れの対極に立ちますが、ハートの特質が前例のない規模で解放される時、新たな驚異が社会に起こるでしょう。そのなかで、全形態の抑鬱と心理的苦しみの減少により、個人の創造性は非常に向上し、世界の緊張とストレスは劇的に減少し、生きる歓びが実感できる普遍的現実となり、病の治癒さえが急速に新たな進歩の道を辿るでしょう。

手短に言うと、国家間での分かち合いの原理の実現は、内部から外部へと異なった方向へ、霊的ハート・センターから神聖化されたマインドへ、生命に対する内部の認識から私たちの周りの世界の外部のバランスへ、人類を導くだろうため、それは特に環境危機に関して、より良い世界への私たちの最大の希望と前兆です。これらは、「分かち合いの原理についての考察」で私がこれからさらに詳しく探求するだろう非常に重要な疑問の幾つかです。

最後の質問ですが、必要とされる規模の変革能力および傾向を人類がもたず、私たちは今後100年間暗黒卿的未来へ向かっていると多くの人が信じています。間もなく前途に待ち受ける大転換を私たちが乗り切りれるという希望を個人的にあなたはもっていますか。

希望がもてない理由はありません。第2次世界大戦の間、多くの人々が絶望的であったにもかかわらず、ドイツ、イタリア、日本の一党独裁政権に顕現された闇の勢力に同盟国は勝利しました。現在私たちはまた別の恐るべき闇の勢力に勝たねばなりません。それは、このインタビューを通して考察されてきたように、私たちの文明を破壊へと導く極端な市場主導型イデオロギーを通して社会を決定的に捉えた商業化勢力です。私たちの人生の全側面におけるこれらの勢力の威圧的な影響を超越するためには、まるで聖なる介入が必要であるかのようですが、以前一度私たちはそれらの物質勢力を打ち破っており、また再びそうすることが可能なのです。必要なら、私たちはそれらを10回でも打ち破ることができるのです。なぜなら、この地球に闇の勢力が存在するなら、光の勢力が存在することも間違いないからです。そして今一度、それらの光の勢力を私たちは支持するでしょう。なぜなら私たちの存在の目的は、尊厳、平等および自由のなか霊的進化を遂げることだからです。

従って、私たちの成功を疑う人々への私の答えは以下の通りです:人類がこの画期的な文明危機を乗り越えられるという希望が、大きな希望があります。愛の特質をもつハートを通して、何百万人、何千万人という人々の間で分かち合いのパワーが表現されるところの世界的驚異をまだ私たちは目撃していません。そして分かち合いの原理が世界の政府の政策に真に導入される時、私たち全員にとって驚くような速度で政治的・経済的構造の劇的変革が起こり始めるでしょう。従って、何世紀もの搾取と破壊という自然への最大の呪いは、万人の共益のために結びつき行動することを人類が常に拒否してきたことだと、遂に私たちは理解するかもしれません。なぜなら、生命はひとつ、そして人間は生命そのものだからです;これ以上言うべきことはなにもありません。

 

参考文献

[1] “At the deal's heart must be a settlement between the rich world and the developing world covering how the burden of fighting climate change will be divided – and how we will share a newly precious resource: the trillion or so tonnes of carbon that we can emit before the mercury rises to dangerous levels.” See the full editorial: Copenhagen climate change conference: 'Fourteen days to seal history's judgment on this generation', The Guardian, 7th December 2009.

[2] Encylical letter, Laudato si': On care for our common home, Libreria Editrice Vaticana, May 2015.

[3] モハメッド・ソフィアン・メスバヒ、「対談〜主義と分かち合いの原理」、シェア・ザ・ワールズ・リゾースィズ、2014年7月。

[4] モハメッド・ソフィアン・メスバヒ、「世界人権宣言第25条を布告する:世界変革への人々の戦略」、Troubador Publishing Ltd, 2016年。

[5] 例として参照:奮い立て、アメリカよ、奮い立て!アメリカ人活動家への手紙、2014年10月;世界の人々をひとつにする、2014年5月。


モハメッド・ソフィアン・メスバヒはSTWRの創始者である。

インタビュー:アダム・パーソンズ

Image credit: optimarc, Shutterstock

翻訳:村田穂高

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