気候危機への取り組みにおける政治と霊性の交差点:モハメッド・メスバヒとのインタビュー

STWRの創始者、モハメッド・メスバヒはこのインタビューで、激化する気候変動の緊急事態との関係から、世界資源を分かち合うことの現代の政治的そしてより深い霊的双方の重要性を考察します(パートIは英語の原文以外の、日本語を含んだ外国語の翻訳からは省かれています)。この予備的対話を通して、最も重要な優先事項としてゼロ・カーボン経済への移行を政府に強いる止むことのない抗議デモ活動により、活動家や従事する市民が前進するための方法をメスバヒは提示します。

パートIIではグローバル生態学的危機に内在する心理的・霊的原因へと考察を広げます。それは、なぜ私たちの現代社会が環境的に持続可能な生活様式へまだ移行していないのかという、更に深遠な理由について「内部の」方向性に沿った探求へと導きます。パートIIIでメスバヒが主張するように、不必要な人間剥奪を終結することへの懸念が自然環境を保護する必要と同じ程、大衆意識の中で最重要となる時にのみ「愛の実践」が真の行動の中で実現されるでしょう。全体として、この広範囲にわたるインタビューは、より平等、公正及び均衡な世界秩序へ向かってのメスバヒの大規模な市民参加の先駆的ビジョンへの紹介として働きかけます。

パートII:内部と外部のCO2 

パートIII:愛の実践を行動で示す


 

パート II:内部と外部のCO2

化石燃料の大部分が地中にとどめておかれる必要があるという一致した意見の高まりにもかかわらず、気候危機から利益を上げ化石燃料産業の利益を促進し続ける権力的リーダーや企業のエグゼクティブの思考設定をどう説明しますか。

最も総合的な評価から私たちが実際に目撃しているのは、相反する左翼政権と右翼政権、あるいは確固とした革新派と反動派の姿勢の間のますます分極化した視点によって代表されるように、古い時代と新しい時代の間で起こっている戦争です。国家及びグローバル双方のレベルで悪化する極端な不平等によってもたらされた、ますます拡大する社会的格差とグローバル紛争をもまた私たちは目撃しています。従って、この激化する危機と無秩序の大混乱の中で、ロビー活動や気候変動への否定を通して彼らの化石燃料産業エンパイアを維持することを、何としてでも止めないであろうコーク兄弟のような億万長者の企業のエグゼクティブの意識を理解することは、平均的市民にとって難解です。

地球の破壊から利益を上げている人もまた、キーストーンXLパイプラインに反対する活動家や化石燃料への投資撤退を提唱する人々など、彼らと戦う人々の意識を理解することは決してないでしょう。汚染する企業と新たな契約を公衆の背後で交渉し続ける間、気候変動のための野心的な取り決めに最大限の努力を投じると公言する政治家をも含んだ、今日の気候危機から利益を上げる人々の思考設定を理解することが誰も出来ない時点に来ています。従って、過ぎ去った時代の古いあり方を代表し、自己探求する個人の意図を理解しようとするより、むしろ私たちの集団的未来のために戦う環境運動家の考えを理解し、即急彼らに参加するのが私たちにとって有益でしょう。

100%再生エネルギーとより資源集約型でない生活様式への転換のための経済的、環境的及び社会的な正当性がどれだけ明白であるかということを考慮すると、この偉大な社会改革を緊急に誘導するのに必要な政策の実施になぜ政府が失敗しているのか、実際のところ不思議に思う人がいるかもしれません。現在の経済システムやそのイデオロギー的支配によって課された制限の視点から、十分な政治的行動の欠如について改革的思想家が説明出来るとしても、経済的グロバリゼーションや新自由主義の理論的分析に要約され得ない更に深遠な何かが密かに起こっています。

密教的、霊的視点から、現実には、新たな生命力が迅速に世界に入って来ていますが、古く競争的で退廃し、権力に飢えた過去のあり方に終わりが来ていることを認識する聡明さも優美さも権力層の政治家たちは持ち合わせていません。これらの古いやり方の最も極端な支持者は、自国を再び超大国として復興させ、左翼と右翼の「主義」を通して権力を巡る戦いに従事し続けることについて以外は何も話しません。それは国と国の間の善意と協力の表現を最終的に抑止します。常にそうであったように、これらの無知な態度を源とする政策の巻き添え被害を被るのは、世界の貧困者と環境なのです。

悲しいかな、分かち合い、正義及び正しい人間関係に基づいた経済的、政治的変革を要求する、世界に入って来ている新たな勢力を受け入れる時が来ているということを、意識的または直感的に認識している賢明な男女は今日の主流政治において大変稀です。最終的に、気候変動の根底にある原因要素は人間の意識や認識の問題であり、そしてこの問題は本来私たちの時代を定義付ける、本質的に霊的な相互連結した全危機に密接に関係しています。

気候変動が本質的に霊的であり、人間の意識の問題に起因しているということの意味を更に詳細に考察することは興味深いでしょう。人生について霊的理解と政治的、経済的及び環境的問題を融合させることは革新的思想家や活動的市民にとって価値があることでしょうか。これは、より霊的または密教学的視点から人類の問題を詳細に検討する、あなたの連載執筆、分かち合いの原理についての考察の主なテーマであるようですが。
 

ここであなたは、このインタビューにおいて大変違った種類のエネルギーと原動力を持って全く新たな方向転換をするよう私を即していますが、それに喜んで応じましょう。なぜなら、COPの交渉や他の国連サミットの政策詳細のための解説者となることに私の主な関心があるのではなく、むしろひとつの人類の視点から私がしばしば言及するグローバルな相互連結に関する霊的理解に基づき、公衆の世界的蜂起を扇動することを促進するためだからです。持続可能な経済システムへの正しい推移が実際どうのように起こり得るかについての現実をもし私たちが把握したいなら、人生の内側に対する認識がなくてはならないにもかかわらず、殆どの運動家サークルでは政治と霊性の交差点についてほんの僅かしか話し合われず理解されていません。

私たちがちょうど今考察したように、経済力、競争及び資源の利己的な取得に基づいた古い政治的思考を持つイデオロギー的支持者は、大衆の善意や自己知識に基づいた真の教育を通して世界をどのように変革するかについての教えに興味を持つことはなさそうです。しかし、聡明な人々がより良い世界を提唱する時が来ており、特に若者はハートとその特質についての認識に根付いた更に全体論的、包括的または霊的な知覚能力を持って政治問題を見ることが望まれます。

もし私たちが誠実で世界資源の分かち合いについてより深遠な霊的意味合いを理解することに興味があるなら、ひいては私たちのアドボカシー活動と政治の理論立てにハートについてのこの新たな理解を導入することを学ばねばなりません。それは、社会及び環境正義のための種々の目標を諦めるとか、あるいは政治的追求と並行してある密教哲学について読み始めねばならないという意味ではありません。読む価値のある多くの霊的教えがありますが、しかしそれは、私たちの分割され宿命的に商業化した世界の中の正しい人間関係の意味をもっと私たち自身で調査して行くという問題です。そしてそれは必然的に私たちの現在の活動の中で自分たちの利益となり、社会がどのように変革する必要があるかについての理解に深みを与えます。従って、善意の一般人がこの違った種類のエネルギーと全人類の相互依存について新たな認識を持ち、彼らの思考の中でどのように異なった経路をとれるかということに私たちは第一に関心があるのです。

環境問題に関連して私たちは内部と外部のCO2、あるいは異なったもの同士ではあるものの私たちの惑星の未来を脅かすふたつの相互関係した汚染形態としてこれを捉えることが出来ます。外部汚染は大気や自然環境の視点から果てしなく話し合われていますが、しかしより大きな問題は、今日の文明的または霊的危機の絶頂に達している、何千年もを通して人類の活動を決定して来た内部汚染です。言い換えると、貪欲、自己本位、甚だしい野望、傲慢、自己満足的な無頓着さ、無関心、偏見、憎しみ、その他諸々 − これらが私たち集団としての運命をかたちどり、周囲に見られる悲惨な環境的効果を生み続ける内部の態度と意図なのです。外部のCO2はひとりでには起こりません − それは明らかに個人から国内及び国家間までのレベルにおいて、私たちの考えと行動を動機付ける内部のCO2の結果なのです。

従ってそれは、社会の優勢な「内部の」価値が物質主義的そして自己中心的関心から大きく恩義を受けている時、大企業や政府の外部活動と戦うだけでは安全でバランスのとれた環境をもたらすことは最終的に不可能です。無数の個人の意図を通して表現されているように利益、権力、富及び贅沢への衝動が、既に4度以上の上昇によりこの惑星を加熱するよう私たちに強いている時、世界の気温上昇を1.5度以下にどのように制限出来るのでしょうか。それにもかかわらず、唯一より経験豊かな環境キャンペーナーだけが、人類の内部の態度をどのように変革するかというこの疑問について考えているのです。

特にグローバルな環境危機に関連して、「内部のCO2」と人類の相互依存についてのこの認識の理解とその実行を試みることによって、私たちに有益となり得る具体的な方法は何ですか。

化石燃料を地中にとどめ、緊急に世界をクリーン・エネルギーへ移行させることによるなど気候危機に取り組むために、政府や主要な企業はなぜもっと同調した行動をとらないのかという理由の背後の謎のようなものについて以前私たちは話をしました。そしてこの疑問に実際に答えるために、グローバル資本主義の何が間違っているのか、そして経済システムはどう変革されるべきかということについて、総合的分析の視点から「外部的」説明だけを見ることが出来ないと理由付けました。問題の内部的または心理的原因と人間自身がどのように変わるべきかをもまた同様に私たちは見る必要があります。

世界危機のより深遠な霊的性質に波長を合わせた誰にとってもこの方向性の探求を続ける価値は言わずと明らかであり、それは、私たちのハート及びマインド双方を調和的に連結する、より総合的な認識を持って、人類の問題を見るよう私たちが学ぶことを要求します。しかしながらハートとその特質は決して複雑ではなく、唯一最もシンプルな基盤のもと理解され得るのだということを心に留めておいて下さい。それは、世界問題に関する「内部的」認識がなぜ、知識人や鍛錬された政治的活動家へアピールすることに多くの場合失敗するのかを部分的に説明しています。

上記の例に基づいた、ハートがより従事したこの考え方を導入するために、私たちは100%再生エネルギーへの移行とより簡素な生活水準は比較的短時間枠で実行可能でありそして達成され得ることを観察出来ますが、それは政治的意思があるなしの問題ではありません。より根本的に、それはどれだけの愛がそこにあるかという問題です。なぜなら例えば、水産業やアグリビジネス、あるいは多雨林伐採、露天掘り及び山頂除去の周りの外部の活動の背後に横たわる人間のすべての意図を理解するなら、それは明らかに自然への愛や畏敬の念の気持ちによって動機付けられているのではないからです。それは市場勢力と複雑な経済的インセンティブに基づいた、経済システムへの追従によるお金と利益の思考設定に唯一関係しているのです。 

この「愛」についての話は、機能不全社会に根元を持つ社会的不正や環境劣化の根本的な心理的原因を知覚することに実際私たちの関心があり、従ってどう皆がお互いに仲良く平和に自然と共存するかについてのあやふやなアイデアの中に迷い込んでしまうべきではありません。お金と利益への衝動の背後にある意図自体が、私たち自身にだけでなく、お互いと周りのすべてに対してもまた全方面で有害である傍ら、最も基本的な霊的及び心理的意味の「愛」は、「危害を加えない」ことを意味します。

大規模なオイルサンド事業のディレクターたちがもし美しい遠隔の田園地方へ近づいたとしたら、そして彼らがもしこの世界に存在する万物への愛と畏敬の念の気持ちに動機付けられていたとしたら、明らかに、彼らがその自然環境を破壊することはないでしょう。そして、環境劣化を激化させるよりむしろ治癒することを促進出来る何か他のことを人生に求めるでしょう。内部の認識を持って世界問題を分析する時、これらの個人が彼らの活動から莫大な利益を上げることの出来る唯一の理由は、彼らが自分たち自身を知らず、そして自身が内部に持つものを知らないからです。最終分析においてそれは、自己知識と認識の欠如が私たちの全問題の根底をなしており、内部の自己の真の霊的現実についての無知を意味します。

そのような極めて人間的で基本的に霊的視点から世界危機を考察することにおいて、多くの人々へ広範囲に訴えかけるかもしれませんが、革新的運動家や学者の様々な活動や目標に関係して、よりハートに従事した考え方の導入における彼らにとっての実際的利益についてもっと明瞭にしてもらえませんか。より良い世界を強く求めて戦う人々にとって、この方向性に沿った探求の真の重要性は何ですか。
 

この疑問をあなた自身で答えることを助力するために、先ほどあなたが使ったフレーズ「政治的意志」を再び綿密に考察し、それについて暫く熟考して下さい。現在の物事の秩序には代替策がなく変えることが不可能だという錯覚にそれは包まれているため、そのフレーズ自体が希望的でないどころか絶望的感覚を生み出していることをあなたは見出すでしょう。従来のやり方と新たなやり方の間の今日の戦争を私たちがどう目撃しているかについて考察した時、そのフレーズ「政治的意志」の全語源が過去の冷戦時代の従来のやり方どころか、その時代以前のジョン・ロックやアダム・スミスのような古典的経済学者にもまた属しているのです。それは、下方にある公衆からの適切な圧力により、エリートの利益の負担のもと最低限の懐柔的表示行為を見せるであろう政治的指導者と、影響力を持つ権力者たちの行動によって、変革は上方からのみもたらされるということを本質的に意味しています。

さて、そのフレーズ「政治的意志」と「実践される愛」についてのアイデアを対比させて、危機的世界状況との関連においてそれが意味することの重要性を想像してみて下さい。一方は全体に浸透した私たちの相互連結する危機の大混乱の中、急速に崩れ去る従来の秩序と制度を象徴する傍ら、もう一方は未来に向けてのものであり、世界に急速に入って来ている新勢力と統一的エネルギーのためのものです。従って、今日私たちが最も必要とするものは、絶対不可欠な政策を実施するための政府の唯の「意志」ではありません。それは、現在国を運営する政治的会計士たちに、私たちを代表して地球を救うことを頼むに等しいのです。私たちが必要とするものは世界における愛と知恵の顕現です。なぜなら、もし愛のエネルギーが人類の集団的行動の背後にある一般的な動機要因であるなら、ひいてはそのための政治的会計士も政治的活動家のようなものも存在していないだろうからです。無神論者は神への信念なしで存在し得ないと私は以前記述しましたが[3]、同じような比喩を使うと、政治的運動家は愛なくして私たちの世界の中で存在出来ないのです。      

政治的行動主義はともかくも無駄であるとか、またはそれが現在の形態において誤った方向へ導かれているとかいうことを私は暗示しているのではなく、私たちの激化する社会的、環境的混乱を考慮すると、それは完全にその逆なのです。しかし、何百万人という人々が貧困の中死に行き、人為的気候変動の問題が大惨事的クライマックスに迫り、冷血な盗みと憎しみが国際情勢に蔓延る、豊富な資源のある惑星で「愛」が実際何を意味するのかもし自分たち自身で理解したいなら、ひいては生来の慈悲的認識と固有の良識の中で私たちは連動する必要があります。私たちが観察していることは余りに平凡ですが、ハートの真実は常に飾り気がなくシンプルであるが故賢明です。今日の世界問題の状況での愛は無執着への必要性と密接に関係しています。それはこの点において、貪欲、自己本位、そして激しい競争、環境破壊及び合法化された窃盗の従来のやり方などへの無執着を意味します。

故に、この内部の展望と認識を導入することの実際的利益を理解するためには、不可解に見える次の疑問を私たちは新たに注意深く思案すべきです:クリーン・エネルギーと環境的に持続可能・より公平な生活水準への世界的移行が、どのように実行可能な方法で迅速に達成され得るかを考慮すると、私たちの社会をその移行から妨げているのは何でしょうか。繰り返しますが、その答えは霊的及び心理的観点から至ってシンプルです。それは常に単なる愛の欠如なのです。この世界での愛の顕現なくして、そして全体としての人類の霊的ハート・センターの目覚めなくして、ひいては大衆の大多数によって認められ受け入れられるであろう更に啓蒙された社会秩序を提案することは不可能なのです。消費レベルを制限するために、または資源を分かち合うために上方から押し付けられたどのような政策も、必然的に抵抗され、反対され、そして最終的には拒否されるでしょう。そしてそのような政策が現在の政府によって法制化され成立されるであろうと、私たちは本当に想像するのでしょうか。

従って、世界規模の社会的、経済的、政治的変革についての疑問にもしこの方向性の追求を適応するなら、これが私たちにとって個人的に何を意味するかはこれ以上的を射たものであり得ません。例えば、イラク戦争の準備が2003年に始まった時、全世界の注目はそのひとつの出来事に集中しました。さて、環境問題はその意味合いにおいて9/11より確実により一層不吉なため、暴走する気候変動の危険に相応しい応答レベルと心からの懸念を持って、全世界が集中するには何が必要であると私たちは考えるでしょうか。同じように、もし十分な愛がそこにありさえすれば、環境問題と密接に関連し断固として解決可能な危機である世界の飢餓の現実に、どうしたら主流社会が断続して注目を注ぐことを可能に出来るかを私たちは思案すべきです。しかし、大変多くの人々が彼らの安楽な「生活のあり方」を乱されたくないという、人類の蔓延る自己満足的無頓着さと無関心を考慮すると、世界問題に関するこの内部の認識のより大きな重要性については私たちの直感に頼るしかありません。

私たちの相互連結についての新たなメタナラティブ、管理責任の姿勢、そして自然への畏敬の念に基づいた、気候変動の問題への更に霊的な対応への必要性について認識のある個人とグループの数がますます増えているようです。あなたが総じて定義付けしている内部的または霊的視点から、グローバル経済危機の源についての見解を説明してもらえますか。
 

人類は何世紀も幻惑を生き抜いて来ました。そしてそれらの幻惑が急速に崩壊する現在、前進するための明確な道がないまま全世界は混乱し、方向性を失っているようです。従来の考え方を維持する多くの信念や教義は、全くの常識を通してでなければ、新たな科学的及び人類学的調査結果を通して現在疑問視されています。貪欲と自己本位は人類の進歩のための駆動要因であるということ、あるいは競争と不平等は自然な社会秩序であるということ、また戦争と貧困は人生の不変の事実であるという文化的に根深い信念がこの世界には存在します。自己の人生経験の中でこれらの時代遅れの信念についての虚偽を認識しながらも、それらに維持される幻惑に私たち全員が慣れ親しんでいますが、例えば、富が幸福への鍵であること、または権力や成功は大変な努力、競争心、そして個人的野心の報酬であると、今日誰が進んで公言するでしょうか。

それにもかかわらず比喩的に言うと、政治家とビジネス・コミュニティは、これらの幻惑を絶え間なく製造する大規模な工場のように振舞っています。それは、既存形態がもはや機能しなくなる時はいつでも、古い幻惑に取って代わる新形態を常に創作出来る、業務平常通りを維持するための偶発的な体系的手順のようなものを彼らは発達させた程でした。そもそも最初に危機を生み出したのと同じ利益主導型で競争的、そして物質主義的な思考設定を追求し続けることによりまるで気候危機を解決出来るかのように、気候変動への取り組みにおける技術と市場を基盤とした企業の解決策への集中を、この視点から観察することは有益です。内部の視点から、人類は古い幻惑に余りに条件付けられているため、世界の危機 ー ヨーロッパ中の難民や移民の大規模な流入、国内での拡大する極端な不平等、あるいは誠にその全環境危機 ー が、私たちが現実に目覚め、人生への全姿勢を完全に変えるよう余儀なくさせていることを、私たちは認識したくないのです。しかし人類は余りに頑固なようであり、自分たちの周りの大混乱の中で世界が爆発しているにもかかわらず、私たちはお金、権力、そして成功を求め続けるのです。

私たちのすべての幻惑の根底にあるのは、自己調節式プロセスの中で簡素に調和的営みを求めるよりむしろ自然の法則を操作し、その奔放に分配される恵みを所有することによって自然の力を超越しようという意図の中で、人間が環境から自身を切り離すことが出来るという信念です。しかし、地球の豊かさを掘り出し、贅沢できらびやかな巨大都市を建設出来ることがどのように素晴らしく見えても、それは大変取るに足らない力なのです。私たちの最も洗練されたテクノロジーさえが自然の力「内」で機能することにより開発されるのでないため、それは直接的または間接的手段で地球の着々とした荒廃に貢献しているのです。人間が自己の内部姿勢を完全に変えない限り、彼は実際には時限爆弾を掘り起こしているのです。なぜなら自然自体は幻惑ではなく、最終的には私たちに敵対するだろうからです。または少なくともそう見えるかもしれないということです。

勿論、より深遠な霊的真実は、バランスのとれた自然の機能のために永久に人類が不可欠である時、その人類の集団的罪のために自然が人間への報復を求めることは不可能だということです。人間生命であり、より高級の霊王国とより下級の自然王国 − 動物・植物・鉱物王国 − の不可欠な中間点です。従って、人間が自然環境を完全に支配しその限りある資源を過度に搾取しようと試み、破壊と膨大な苦しみを生み出す時、彼は自然万物からだけでなく、彼が一部であるひとつの生命の霊的現実からもまた自己を切り離しているのです。従って、変革すべきは天候でなく、彼の幻惑と誤った意図の範囲を最終的に把握することにより、唯一人間自身が変革すべきなのです。他の言い方をすると、利益や人間の優れた能力と技術的プログレスの壮大な妄想の名の下、正道を外れた私たちの願望へ自然界を曲げることを試みる代わりに自己を知り、万物をありのままの姿でそっとしておくことを私たちは学ばねばなりません。

私たちは自然の法則を越える力を求めるだけでなく、人間の覇権への妄想と環境からの分離へのおおよそ精神的に異常な程の自己投影によって自然をいじめています。歴史上、個人的力や偉大さの高慢な幻惑への自己投影によって良く知られた特定の人物たちが存在しましたが、制度化されより一層壮大な規模で同じような幻惑を具現化する大きな多国間企業が支配する世界に、私たちは住んでいるのです。従って、利益を追求するこれらの巨大組織が彼らの目的のために法律や政府の政策に影響を与えることが可能なことを考慮すると、彼らの意図は更に危険であると予知出来るのです。これがどのようにインダストリーとしての企業のロビー、マーケッティング及び宣伝活動の間接的目的であり、自然環境や自己認識による人間の霊的成長にとってどれだけ有害な結果になろうと、特に、社会の幻惑を作り維持するためであることがまた同様に観察出来ます。

明確にしておきますが、それは、私たちがここで懸念しているアイデア、信念または「主義」への自己投影ではなく、私たちの文化における全人類の霊的進化を阻止する広範囲に及んだ危険な幻惑への自己投影です。啓蒙時代以来、私たちは無邪気な感覚で自然を超える知識と力を探求し始めたかもしれませんが、自然の謎を解くことにより地球統制を達成する意図において大変誠実であり続ける、多くの才能に恵まれた科学者や科学技術者が今日存在することは間違いありません。この思考設定は、エリート教育を受けた個人さえが富や権力を得ること、高く評価されること、あるいは成功を装うことを追求して、事実上この惑星を略奪し、他人を踏みつけるよう条件付けられているところの教育組織の全体系によってもまた同様に広められるのです。

特に、社会的地位の達成を通し自己本位な商業化の術に追従するよう働き掛けられることにより、いわゆる「良い教育」を受けた個人がどのように今日の悲惨な社会的、環境的動向を事実永続させているかを私は以前どこかで考察しました。[4] 誠に、それは1980年以来世界情勢の中で統轄要素となった、果てしなく続く利益追求の、ヴィジョンを欠いた衝動であり、そして余りの分裂と破壊を生み出しているため、自然環境を支配することや負担なくその資源を略奪することにおいて、自己の不能さと向き合うことを遂に私たちは強いられています。商業化勢力を総体的に人類の「途方もない幻惑」のまかない屋として言い表すことが出来ます。それは、幸福への経路として大邸宅やスポーツカーを所有することを夢見る普通人から、何を犠牲にしてでも世界中で権力や利益を求める、連邦議会における企業のロビーイストやペンタゴンの戦争計画者まですべての人を惑わしているのです。 

私たち全員がある程度これらの勢力の使用人であり、隠喩的に、環境が膝をついて慈悲を求めているにもかかわらず、社会の幻惑に追従することによってそれらを私たちは維持しているのです。そして制御されない商業化の悪意ある影響力に人類の大部分がいまだ気づいていないであろう事実は、途方もない幻惑のパワーのせいであるとしか考えられないのです。もしこれらの幻惑が私たちの集団的意識を呑み込み続けるなら、次いでそれは世界規模の核戦争の始まりを私たちが最終的に目撃することになるまで、人間のマインドを徐々に乗っ取る巨大なスーパーコンピューターのようになるでしょう。そのような予想が現在どのように突飛であろうと、商業化の幻惑が私たちを導いている最終目的地について深く思案するのに直感を使い、次いでこの見解に異議を唱えることが出来るかどうか確かめて下さい。

私たち全員が商業化勢力にある程度仕えており、従って私たち全員がこの途方もない幻惑の一部だと言うことによって、あなたが何を意味するのか更に詳しく説明してもらえると助けになるかもしれません。私たちは個人としてどのようにグローバル資本主義の既存の社会経済秩序を維持し、そして実に信じ難く見えるのですが、どのように私たち自身が国民国家間の全面的戦争という最終的見通しの一因となっているのでしょうか。
 

私たちは「システム」のなくてはならない部分であり、自己の考えと行動を通してそれを維持しているのだと気づかないまま、私たちの多くが世界問題を政府、企業または「システム」のせいにします。学校や社会的環境によるものであろうとなかろうと、私たちの教育と条件付けが現在破壊的形態のシステムを永続させる、従順な消費者となるよう私たちを実際に訓練しているのです。それ故、どのように私たち皆が商業化に仕えているかということが直ちに理解されるべきです。

例えば、西洋社会や発展途上国の裕福な地域で殆どの人々がするように、不当な構造調整のための協定を通してグローバル化された市場からの生産物とサービスを消費することによって、私たちは搾取や破壊の多面的システムに間接的に参加しています。これは、今日多くの人が認識し理解する事実であり、故に、フェアートレード、消費者ボイコット及びいわゆる道徳的消費主義の全ムーブメントがあります。土地グラブ、多雨林伐採、川の汚染、環境汚染、あるいは発展途上国での低賃金による労働者からの搾取、酷い労働条件などその他諸々に対して多国間企業に責任があることを、何百万人という学識ある人々は良く認識しています。

様々な補助金、優遇税制措置、そしてその他のインセンティブを通してこれらの行為を支援する政府を私たちは非難し、そして際限のない利益のために売られる無数の生産品のすべてを消費するよう私たちを魅了する大企業をもまた同様に非難するかもしれませんが、圧倒的大多数の一般人が、横行する商業化の途方もない幻惑に進んで参加するという事実は変わりません。ますます膨れ上がる人数で私たちは日々の大量消費パターンを通してグローバル経済の不正な取り決めを激化させ、従って、この生活様式が維持され得るという幻惑が悪循環の中永続しそれ自体を繰り返しながら日々その動向の中で悪化しているのです。

社会規範や現代的流儀の見地から、ある礼儀作法を私たちの活動の上に添えることによってどんなにより深遠な現実を拭い去ろうとしても、自然破壊や既存の消費者主導型経済システムへの追従を通して他人を食い物にすることにどれだけ間接的であろうと、私たち全員にある程度の責任があるという事実からは逃れられないのです。季節の行事に付きものの贅沢三昧なご馳走や消費は、自分たちの政治的信条や活動理念が何であろうと、私たちの殆どが途方もない幻惑にどう追従しているかという最も的確な単なる例に過ぎません。

ちょうど私たちが政治家のために投票し、自分たちの代わりに世界の問題を解決してもらうことを彼らに期待するように、製品の出処を気にすることさえせずしばしば盲目的に消費するという意味で、無頓着な消費癖と新たな政府のリーダーへの投票が心理的にどのように同等であるかをあなたは把握することが出来るでしょうか。従って、大手のスーパーマーケットチェーンが世界中の小規模農家を食い物にしていることを私たちは知っていますが、それは私が彼らの農作物を購買する度にその搾取のために私が実際投票しているということを意味します。そして政権を握る権力層の政治家に例え私が投票せずとも、もし私が彼らの政策を変えるために行動せず、彼らの運営する社会に追従するなら、依然として私たちは彼らに間接的に投票しているのです。

私たちはこのシステムを「資本主義」と呼び人類のすべての問題をそのせいにすることを好みますが、非常な驚異的暴力や残忍さを伴うこの世界で、資本主義が実際に何を意味するかを問う時が来ています。今日、私たちが目撃しているすべての苦しみは本当に資本主義自体のせいなのか、それとも、自然環境、動物王国またはお互いと自己に対するすべてに向けて人間が引き起こした驚異的暴力の結果でしょうか。

もし私たちが世界の問題をより総合的及び心理的視点から把握することが出来るなら、ひいては横行する商業化に基づく現在の社会経済システムが実際に戦争の構成要素になるということを、私たちは受け入れるかもしれません。多くのアナリストは、激化する軍事紛争を通して第3次大戦が起こる可能性について話していますが、現実には、商業化によって激化する貪欲、自己本位、無関心が合わさったものの結果として、惑星地球での最も深刻な戦争が既に起こっているのです。それは最終的に生命そのもの、そして人類の霊的進化に対する戦争ですが、おおよそ全員がある程度このスローモーションの戦争に参加しているのです。それでは、大量消費や制御されない商業化が世界情勢での統括要素であり、そして私たち自身がこの自己破壊的暴力における意図しない参加者である時、どのように私たちは持続可能なグローバル経済のための青写真や枠組みを実施出来るのでしょうか。

政治的サークルや活動家サークルで稀にしか話し合われることのない相互連結した世界危機の霊的側面についてのあなたの当初の見解に戻りますが、恐らく人類の問題のより深い根源である「内部のCO2」としてあなたが述べたことについて更に詳しく話してもらえますか。

 

生態学的な境界線、大気汚染及び天候の混乱についてどれだけ多くのデータや証拠を集めようと、自然のエレメントを乱すことなくどのようにこの惑星で営み、進化するかという最も基本的なレッスンを私たちはまだ習得していません。人間の活動が汚染し破壊しているのが物質的、実在的な世界だけでないにしても不可避の真実は、様々な科学者や哲学者が長い間仮定して来たように、全体としての自然は生命体だということです。目に見える世界と見えない世界の双方がありますが、大昔からずっと人類に与えられて来た太古の知恵の教えのすべてにもかかわらず、私たちは自然の隠れた側面を現実として聞くことや認識することを拒否しているのです。まさしく、肉眼でガスやCO2を見ることが出来ないように、小宇宙及び大宇宙双方の顕現において惑星的生物園を調整し維持する不可欠な役割を持つにもかかわらず、いまだ科学的に解明されていない目に見えない無数の生命体が自然の中に存在するのです。従って自分たちの無知において、私たちはこれらの隠れた自然のエレメントが適切に機能することを妨げることにより環境を破壊し続けるのです。そしてそれは、環境を超越しようと試みる人間の間違った行為の宿命的結果なのです。

重要な例を挙げると、今日の大変多くの環境科学者が地球の大気と、地球と他の自然のシステムの相互関係に集中していますが、その中の少数しか人類がグローバル・レベルで生み出している騒音の量について関心がありません。それにもかかわらず、私たちが探求している内部の心理的または密教的な霊的視点から、世界のすべての国から発せられる信じられない騒音は、自然の隠れたエレメントに対して極度に有害な影響を持つのです。それは同様にして、風、雨、海、その他諸々に明らかにされるように、一般に知られた自然のエレメントに有害な効果を与えるのです。この蓄積されたすべての騒音が自然にとってなぜそのように破壊的であるのかという理由を理解するためには、重工業や採取産業、永続的に動き続ける無数の自動車、飛行機、コンテナ船、あるいは戦争で引き裂かれた地域で起こっている容赦ない紛争や破壊活動など、私たちにはその根源の影響について深く思案する必要するしかありません。

しかし環境を破壊するのは、莫大な騒音を生み出す活動の外的効果だけではありません。なぜなら、人類が生み出し蓄積される騒音はまた、どれだけ社会がかき乱され機能不全であるかをも反映し、同様にしてそれは、かき乱され機能不全な環境状態に直接的に関係しているからです。非常に多くの戦争、非常に多くの痛みと苦痛、そして私たちお互いと下級自然王国に対する非常に多くの傲慢や無謀さが存在する世界に住むことは − この混乱のすべてがそれ自体を上方へ向けてこの惑星の生物圏に反映し、隠れた自然のエレメントに作用するのです。有名なヘルメス主義の原理は「下にあるものは上にあるものの如し」と述べていますが、人間の分割的考えと誤った意図が生み出したすべてのストレスをもってそれは、上にあるものは下にあるものの如しであるため、今日の哀れな世界の状態について熟考するならこの原理はより良く理解されます。別の言い方をすると、人間の内部の側面は社会の中の人間の外部活動と同じくらい地球の環境的不均衡の原因です。そして人類の内部は余りの機能障害を起こしているため、それはおおよそ精神的、感情的病気のようです。

他の例をあげると、パキスタンが核爆弾を完成したその日、路上で泣いていた人をも含め、国民がどのように歓喜の中飛び跳ねていたかをあなたは思い出すかもしれません。それは、私たちの惑星で人間の知性と感情がどのように誤った方へ行ってしまったかということの僅かな兆候に過ぎません。他国で何万人という多くの罪のない民間人を殺すことのできる武器をつくるという展望の中で一般公衆が陶酔状態に浸る時、国家威信とはそのようなものだとあなたは言うかもしれません。そしてそれらの祝いの真っ只中で、この惑星は破壊的な戦争と紛争、貧困で苦しむ何百万という人々の痛み、そして現代社会の人間の生活のストレスと不安 − このすべてが気候の大惨事と天候の混乱を通して私たちに跳ね返って来ています − を感じていました。

個人同士やグループ内の衝突から、社会全体を通して経験される多くの不平等や不正まで人間関係における問題は、産業活動と大量消費の態度を通して私たちが環境に負わせている破壊と同等か、またはそれ以上に環境的不均衡の直接的原因となっているという意味ですか。
 

もうひとつの密教学的真実は、世界の全問題に付随する音あるいは音符がありますが、今日、それらの音の摩擦的性質は気候変動や自然災害の予測不可能性や混乱を通して私たちに跳ね返って来ているのです。簡単な言葉でこれを理解するために、世界全体がすべてのレベルでどのように紛争の中にあるかを思い描いて、そして更に広範囲で環境に与える影響を深く思案してみて下さい。私たちの目の前で激しく口論しているふたりの人をもし想像するなら、その空気はまた心理的レベルで私たちの内部の天候の一部でもあるのです。そのことについては、ちょうど天上の外部の天候に対するのと同じくらいの認識を持つことが重要なのです。そして環境の外部の状態が現在まさに絶えることなく変動及び混乱状態にあるように、心理的、社会的に人類が活動するところの内部の天候は悲惨であり、混乱状態にあるのです。

私たちの認識の中でこれを更にもう一歩前進させるにあたって、蔓延る商業化の途方もない幻惑が、激しい暴力の現実をどのように隠しているかということを私たちは以前観察しましたが、そのような暴力はその本質において社会的、経済的であることは勿論のこと、心理的でもあるということが強調されるべきです。従って、絶えまなくストレスの多い生活の中で機械のように長時間労働せねばならないことから鬱状態の人は実際、彼が心理的に体験するより大きな体系的暴力の犠牲者なのです。そして、内部から外部へと人間と環境の間のすべては相互関連し相互依存しているため、あらゆるところに行き渡ったその暴力の効果は自然のエレメントに深い影響を与えるのです。

従って、政府間の兵器の販売は明らかに暴力行為以外の何であり得るのでしょうか。しかし同じように、路上のホームレスの人々の存在自体は社会的不正義なだけでなく、政府及び社会によって間接的に永続される暴力行為でもあるのです。もし私たちが自己の心理的、霊的相互連結性についての理解を持ってこの内部の現実をもっと深く見るなら、富裕国が更なる「繁栄」を欲することは、世界で無数の人々が飢え生活のための最低必需品を欠いている時、それもまた暴力行為なのです。大変多くの人々が遠方の国々で貧困から死ぬ一方で、西洋社会が過剰消費や暴飲暴食を通してクリスマスを祝う時、それもまた間接的暴力行為なのです。私たちの集団無関心と自己満足的無頓着さは自然環境や動物王国への、そして私たちより恵まれない貧窮化した無数の家族への想像を絶する暴力行為です。これらすべての社会的、経済的、心理的暴力形態をともかくも日常生活の当然の部分として、そして業務平常通りのものとして私たちは受け入れています。そしてその上、私たちの周りにこれらの内部の姿勢と振る舞いの蓄積が見られます。気候変動、極貧、戦争及び紛争などすべては、人類が正しい人間関係の必要性や生命を大変機能不全なやり方で何十年、実に数千年に渡って無視する時生じる最終結果なのです。
 

極度に消耗させる人類の振る舞いが社会で非常な混乱と不均衡を生み出している時点に達しており、この惑星の現在の気象状態が正常に機能するにはあまりのストレスに苦しむマインドに類似しています。従ってそれは、あたかも私たちが環境を自分たちの敵に仕立て上げ、津波、地震、洪水、干害及び他の自然災害から生み出された全混乱を通して、反撃に転じるようそれはやむなくされたかのように見えるかもしれません。そして環境によって生み出されたその混乱は、社会の中で更に大きな混乱を生み出しているのです。そのことについては多くのアナリストが、それは水など、枯渇する自然資源を巡って国同士の更なる戦争を引き起こす可能性があると予測しています。環境の振る舞いは人間の振る舞いを反映しており、そして私たちが現在目撃しているものは単なる始まりに過ぎません。従って、世界情勢に分かち合いの原理を実現することによって人間がやり方を変えない限りは、ここで再び、未来の最大の危険は暴走する気候変動によってでなく、最終的に万物を破壊するであろうグローバル戦争を解き放つことを通して、唯一人間によってのみ生み出されることが予測出来ます。

もし人間が現在の針路を進み続けるなら、最終的に惑星的混乱をもたらすのは気候変動ではなく、むしろ個人や国家としての私たち自身の行為であろうと、不吉な予測をあなたは今立てました。あなたが述べたように、これらの動向の背後の総体的推進力となる商業化の驚異的な幻惑に関して多くの人々が無頓着であり続ける今日において、この見解には予想外の惨事的成り行きの更なる層があるのですか。
 

環境危機の実際の範囲がどれだけ深刻で困難かということに、殆どの人の考えがまったく及ばないのと同じように、大部分の人々が商業化の深刻な危険性に気づいていないことは疑いありません。この問題に関して、大体4つのグループに人類を分けることが出来ます。すなわち、環境科学者、キャンペーナー、運動家、そして残りの一般大衆です。この問題に関わっていない人類の大部分のうち4、50億が彼ら自身と家族を養うために日々苦闘する世界の発展途上国の貧困層を構成しており、その殆どが当然のことながら地球温暖化の化学的現実について深く思案する時間も傾向もなく、その中のますます増加する人々が天候関連の災害の罪のない犠牲者なのです。

気候危機に関して幾分か認識があり懸念する無数の市民のかなりの割合にもまた、本当の事実やこのチャレンジの真の規模に関してまったく考えが及んでおらず、彼らはしばしばこの問題を家庭内でのリサイクルや道徳的消費主義の個人的問題に縮小させています。しかし、人類が実際どの程度までこの惑星を破壊し劣化させたか、あるいは上昇する世界の温度の危険性についての真の脅威についてもし彼らが知るなら、ひいては世界中で沢山の涙が流されていることでしょう。まさに環境のただならぬ状態を知る多くの化学者がしばしば涙を流すよう駆り立てられるように、この地球という私たちの家がどれだけ破滅に近いかということをもし突如知覚することが出来たら、全人類は長い間泣き続けることでしょう。

そしてあなたが的確に述べるように、それでもなお私たちの状況の予想外の惨事的成り行きがここにあるのです。それはその中で人類の大部分が、今日どのように商業化が私たちの問題の根源となっているかということ、そしてそれらの問題には多かれ少なかれ私たち全員が一役買っているということを知覚することから更に程遠いということです。この認識の欠如の理由は至って簡単に理解され得ます。それは人類のハートが世界の一点集中する危機を緩和することに対して十分目覚めていないかあるいは従事していないということです。繰り返し言ったように、もし十分な数の人々が気候危機の実際の範囲とその内部の人為的原因を本当に把握するなら、何十億人といるうち懸命な活動家が一握しか存在しないということはなかったでしょう。多くの懸念する市民のマインドはこの問題に活発に関与し、彼らの善意は積極的に関心を持っているかもしれませんが、全体としての人類のハートが必要とされるのです。それは、何百万何千万人という一般人の活発で方向性を持った愛が必要とされるという意味です。真っ赤に燃え立つハートを持つ大衆があなたの背後に必要とされるのです。そして、平均的な善意の人の自己満足的な無頓着さが、堅固な抗議者が僅かしか存在しないことの原因なのです。

環境危機の真の規模についての認識の欠如は単に、愛または世界問題における「従事するハート」の欠如のせいであると言うことは十分なのでしょうか、または、広範囲に渡る人間の自己満足的な無頓着さの基本的な原因を更に良く理解することは可能でしょうか。もし可能なら、劇的で緊急な社会変革の必要性についての認識だけでなく、蔓延る商業化の問題についての認識を妨げているいくつかの要因をもまた更に詳しく述べてもらえますか。

ここで再び私たちは、自分たちの自己満足的で無頓着な生活様式を維持する幻惑、「どうせ何があっても人生は続くんだ」、「楽しまなきゃ損よ」、「人生は一度きりなんだから」、「人生は楽しむためにあるんだよ」などと私たちに語る幻惑について熟考せねばなりません。そして現実から絶え間なく私たちの注目を逸らすこれらの幻惑やファンタジーは、ハートを打ちのめす効果を持ちます。癌やエイズ・ウイルスのような病気が人体にとって何を象徴するのかということと、そして幻惑が人間のハートにとって何を象徴するかという双方の間の類似性を引き出すことが出来ます。ハートは子供のようにとても純粋無垢なことを思い出して下さい。そしてハートはあなたがそれを従事させない限り、話すことも音を立てることも出来ません。なぜならハートには傲慢さや計算高さ、あるいは自己利益という考えが皆無だからです。唯一脳だけが計算し、裁き、パーソナリティや「私」への自己投影を通して日常生活のすべての分割を生み出しています。しかしパーソナリティはハートではなく、そしてはハートは当然のことながらパーソナリティではないのです。
 

本やただの知的理解でなく内部の認識を通してのみハートの霊的現実を把握し体験することが出来るため、社会変革の問題に関連して愛や幻惑のこれらの概念を明確にすることはしばしば困難です。しかしもしあなたがこの問題を私が提案したように考察するなら、裕福な社会に広く行き渡った自己満足的な無頓着さや無関心な態度を形成するふたつの主な構成要素、すなわち、ひとつは恐怖、そしてもうひとつはその恐怖を和らげるために必要な幻惑、があります。例えば、私たちの社会のような分割された機能不全の社会の中で単独で幸せになれるという幻惑を見てみましょう。そしてそれに伴う孤独への恐怖、人生の「成功者」として認められないことの恐怖、死そのものの虚しい結末への恐怖を次いで観察して下さい。心理的安全性への私たちの絶え間ない探求は、恐怖の基盤から常に生じる幸福への自己探求的切望の根拠をなす無意識的動機なのです。最も霊的意味で恐怖は、永久にまわり続ける粉挽機に繋がれたロバのように、何千年もの間人間の進化を妨げて来た重荷なのです。

そしてこれらの習慣的心理傾向の結果は、世界の問題に従事するハートの欠如としてあなたが質問の中で明示したものです。なぜなら、殆どの人々が商業化の「驚異的な幻惑」の事実、あるいは実際には、危機と混乱の中にある世界の事実を実現するために、個人的幸福及び成功のための聖戦にどっぷり浸かっているからです。完全に腐敗していなとしても政治家は混乱しており、私たちも市民として世界状況の深刻な現実に関して同等に混乱しているため、それは盲人が盲人の手引きをしているようなものです。そしてそれにもかかわらずまだ、大規模で法外な選挙運動において私たちは新たな政治家に投票するのです。なぜなら人類は、古い幻惑の中でも特に、伝統を通して断続性や永続性を掲げたものを愛し続けるからです。

商業化の脅威と同等に、集団での自己満足的な無頓着さを深刻な危険として私たちは見るべきです。なぜなら、資本主義的企業や経済的グロバリゼーションが存在する遥か以前に人間の自己満足的な無頓着さは生まれていたのだということを忘れないで下さい。そして、それが個人的または社会的基盤のどちらかにおいて無関心と融合する時、その影響力において今日の商業化勢力より更に有害な、人類の知る最古の病気のひとつであるとそれを述べることが出来ます。ジカウイルスやエボラ出血熱のような恐るべき病気のワクチンを発見することに関して人類のやる気があるということはなんと素晴らしいことでしょうか。しかし、確実に世界の苦しみの根源にある私たち特有の自己満足的な無頓着さの治癒を、私たちはまだ求めてさえいないのです。

この視点から、商業化がそれ自体どのように容易ならない、人類及び人類の霊的進化に対する戦争であるかを観察するのは大変奇妙です。それにもかかわらず、商業化のメカニズムは大変洗練され捉えどころがないため、多くの人々は戦争の現実を見れないか、またはそれをただの消費主義と勘違いするのです。消費主義と商業化双方は依存し合い、それらは存続のためにお互いを養っています。しかし今日私たち全員が一役買っている、惑星的破壊のプロセスを駆動しているのは商業化勢力です。まさに私が食べ物、安い衣類、そして現代生活の身の回り品を消費するように、物質的、感情的執着を通して心理的安全性への自己中心的探求を軸として回る人生に自己が捉われるまで、分割され生態学的に維持不可能な社会において個別で幸せになるアイデア自体をもまた私は消費しているのです。それは商業化勢力によって私たちに提示された大変邪悪な罠なのです。それは、認識を持って明瞭に機能することからマインドを妨げ、それによって現実を不透明にする混乱の濃い霧により私たちを阻害する心理的驚異として商業化が宿るところの、私たちの微妙体や感情体を操作することによりすべての個人に無意識のうちに影響を与える罠なのです。殆どの権力層の政治家や経済的に成功した個人が、市場勢力の破壊的結果に疑問を持つことなく当然のようにそのイデオロギーを支持する一方で、日常生活において人類は余りに群れのようであるため、私たちの多くが商業化の有害な存在を知覚出来ないのです。

この理解に人間の意識の中の分割的「主義」の問題を加えると、私たち全員がなぜこの時代の危機における意図しない参加者であるのかに関しての状況を、私たちはおおよそ完全に把握するかもしれません。例え主義やイデオロギーが何千年と古くても、それらが社会の幻惑を食い物にして存在しているのと同じように、商業化は主義やイデオロギーを食い物にして存在しているのです。それが資本主義、社会主義、国家主義、あるいは私たちの思考と行動を特徴付けるどのような政治的または宗教的主義であろうと、商業化の動力を永続させるのは、すべての主要な表現における主義同士の戦いであるため、包括的視点からこのメカニズムがどう機能するかについてもまた同様に観察出来ます。

例えば、あるグループや国家がその対立側と国家主義的またはイデオロギー的理由から戦う時、更なる兵器の製造と購買などを通して常に莫大なお金と資源が必要とされます。そして更なる戦争兵器が売買されればされる程、市場勢力に先導された機能不全の競争のようなものを通して更なる利益が生み出されるのです。それは世界中で商業化のパワーと範囲を激増させます。内戦と地域紛争が原因の貧困化や強制退去に貧困層が遭い続ける一方で、裕福層はより更に豊かになります。同時に、経済成長と企業利益を社会的及び環境的懸念のすべてに優先し続ける傍ら、競争し合う国々は世界資源を支配するよう絶え間なくプレッシャーをかけられています。

商業化のこれらの悪循環を説明するための例はいくつでもありますが、それは相反し合う主義への私たちの固守から生じる、人々と国々の間の以前からの分離によって大部分が維持されています。事業利益を促進する密かな援助を多くの場合伴い、パワーと領域を増すために現代的な経済戦略を用いる多くの宗教的テロリストグループなど、彼らの理念と分割的目標を普及させるために特定の主義が商業化を必要とする、今日の世界全体で起こっている独特の驚異もまた同様に存在します。更に一般的には、ここ数十年に渡る世界的な経済統合のプロセスにより影が薄れた人種差別問題を含んだ、商業勢力にますます乗っ取られている主義の問題に多少なりとも私たち全員が関与しています。海外の安価な労働力から生じる商業利益、あるいは欧州連合などの地域のより規制の少ない入国管理にもかかわらず、勿論、人種差別は現代社会に蔓延り続ける主義の一形態です。

商業化は、全側面から全方向へと、人類全体によって永続される騒乱と破壊を激化するために再度私たちの血管に巧妙に入り込んだ物質勢力のむしろ非常に太古の表現であるため、それがどのようにただの事業活動や利益主導型の追求以上のものであるかを把握することにおいて、これらの手短な見解があなたの助けになることを願います。それは大量消費主義の刺激を通して地球を破壊し、私たちの霊的成長を妨害することを探し求めるかもしれません。そして消費者選択、個人的幸福及び物質的快適さの幻惑を拡大するために、一般人を無意識的に混乱させ隷属させるかもしれません。またそれは欺瞞的イデオロギーの名の下に更なる戦争を生み出すために、人間の意識の主義の中に巧妙にこっそり入り込むかもしれません。それは知覚可能かつ不明瞭ないくつもの顔を持つ龍なのです。そしてそれは、人類の中で一体となって最大の幻惑を維持する多数の異なった勢力によって構成されています。それは、非常に不正で分割された自己破滅的世界秩序の中で人類が生き続けることが出来るという幻惑です。商業化が目的を達成するために使う心理的メカニズムを観察すると、それは文字通り邪悪以外の何ものでもありません。

特に環境問題に関連して、革新的運動家や従事する市民自身が大混乱、認識の欠如、そしてあなたが述べる自己満足的無頓着さ及び無関心の一部ではないのかという反論を思い付く読者もいるかもしれません。運動家はこの危機の真の規模について認識がないのでしょうか。そして公正で維持可能な世界をもたらすための奮闘の中で彼らがハートを従事させていない場合が多いのでしょうか。
 

環境問題への世界的認識の視点から私が話した4種類の人々のグループのうち、環境科学者と運動家の間で現在非公式のパートナーシップが結ばれているのは興味深いことです。彼ら双方が、私たちの前にある課題の圧倒的規模を明確に認識しており、そして変革への道に立ち塞がる自己本位な政治、企業による政府の押さえ込み、広く行き渡った惰性や公衆の自己満足的無頓着さを総括するシステムに直面する中お互いを必要としています。従って、もし私たちが愛と認識の霊的視点から話すなら、ひいては運動家と目覚めた科学者はこの問題の中で確実に誰よりもハートの特質を従事させています。そして私たちが以前言及したように、彼らはそれを成熟と責任の点から表現しているのです。

多くの環境運動グループは概してこれらの問題に関して実際は人間の善意の活力的代表者です。しかしここにパラドックスがあります。なぜなら環境危機への対応として、愛が花開くことを許さない複雑なシステムと私たちは戦っているからです。すなわち、多くの運動家が彼らが立ち向かうシステムの不正によって鍛えられ、無感覚になり、苦い思いをしているのは理解出来ることです。結局のところ彼らが全人口のために取り組み、全人類の共益を代表しているにもかかわらず、大規模なデモンストレーションと気候変動問題への断続した取り組みにより同様に人々が彼らを支持していないのです。従って、世界のあらゆる革新的形態の運動家なくして「正義」という言葉さえ私たちの認識内に存在するに決して至らなかったであろうことから、彼らは神の祝福を受けるに値するでしょう。

従って、運動家を批判したりあるいは彼らが間違った方向へ向かっているとほのめかしたりすることを、私が意図しているのではないことをどうか知っておいて下さい。しかし、ハートを従事させる新たな方法を更に明確に直観しようと試みるために、何が世界的行動主義に欠如しているかということをもし考察するなら有益かもしれません。それはなぜなら、前例を見ない数の人々と一緒に私たちが追求出来る異なった種類の行動主義が存在し得るからであり、そしてその行動主義とは、共になること、自由、そして主義やイデオロギーを越えた人間関係への非分割的アプローチの思想に基づいたものだからではないでしょうか。残念ながら、チャレンジでさえが「資本主義vs気候」の視点から定められる環境運動や学界などにおいて、現在多くの運動家が反資本主義的立場を導入しています。これは反対勢力の膨大さを考慮するとある程度理解出来ることかもしれません。しかし、次の点は以前の考察で明確にされたことを願いますが、私たち自身が資本主義からともかく自由であると信じることは、私たち全員が実際にはこのシステムの機能とプロセスの構成部分である時、深刻な誤りです。

従って、資本主義に立ち向かうことが社会の問題から自己を引き離すことを示唆する時、そうすることは不可能なのです。そしてこの種の考えはそれ自体の中に、同じく問題の一部である更なる「主義」を生み出すのです。これは以前私が何度も書いた題材ですが、その見解の中には愛がなく、それは単に知性に訴えるだけのものだと言えば十分です。問題は、資本主義ではありません。新自由主義でもありません。それは保守主義でも自由至上主義でもないのです。問題は、私たちの世界の中での愛と正しい人間関係の欠如なのです。そして、人々が消費し、成功し、物質主義的に生活するという有害な条件付けを通して、商業化勢力が今日のこの問題の中心にあるのです。

すべての人々と国々が真の平和と調和の中で生きることを最終的に学ぶと想定すると、様々な「主義」の周りのすべての複雑な分析はいつの日か解決されねばならないでしょう。それにもかかわらず、この過度に知的な時代には、大変良くない発想を伴う熱狂的方法で資本主義原理を行使することを選ぶ代わりに、従事するハートの内部の認識を通して私たちの問題を見ることを僅かな運動家が選ぶだけです。それは、人を殺す時でさえ「神の御旨のままに」と言う程、多種多様な状況で発せられる「神」という言葉のようです。同じように資本主義という言葉は、世界の全問題がそれの責任であると誤解する運動家によってまで、すべての種類の理由で乱用され、尊厳を下げられて来ました。私たちは少なくとも非難することにおいては正確であるべきであり、これは実際に起こっている戦争、より適切には商業化と呼ばれる暴力的勢力及びエネルギーの戦争だと認識することが出来ます。そして、これらの悪意に満ち全体に浸透したプロセスの背後にある駆動要因は何でしょうか。ここで再び、お互いや自然界との分裂感に基づく見当違いの人間の意図と、私たち全員が一役買っている有害な振る舞いを私たちは観察すべきです。

それに立ち向かう人々を簡単に除外したりまたは圧倒出来る非常にパワフルなシステムの性質に関係して、反資本主義的立場への自己投影には更なる危険があるのでしょうか。これは、分かち合いの原理をグローバル経済政策に完全に融合させるよう政府へ同調して呼びかける背後で結束した大衆を必要とする、新形態の世界的積極行動主義の必要性を提示したあなたの執筆の中のもうひとつの主なテーマです。[5]
 

この質問への手短な回答は常識であると信じますが、従って、惑星規模の変革へのシンプルな道に関する内部認識を曖昧にすることしか果たさない、更に複雑な知的理論を私たちは導入する必要はありません。環境及び社会正義問題に取り組んでいるかなりの割合の運動家が現在のシステムに対立しているように見ますが、もし何百万という多くの一般人が同じ態度で彼らに参加したとしたらどうなるかをただ想像して下さい。多国間企業が政府を支配し、警察や他の権力者の保護を受け、都合の良いように法律や政策を形取るパワーを持っています。従って、もし抗議者が権力層への集団敵対や対立を通して変革を生み出そうとしたなら、誰が勝つと思いますか。どの個人や制度であろうとあなたが立ち向かって行けば行く程、彼らが自分たちを守るために全必要手段をとるであろうことは当然です。そして、新たな法律を作るパワーを持つ多国間企業や政府に関しては、世界的な公衆監視についての暴露を通して現在の動向の不吉な結果を私たちは既に目にしています。

勿論、すべての運動家が「反」や「主義」の思考設定を導入しているわけではありません。今日の世界にはより積極的に活動し、公衆の態度や政府の政策の大規模な変革の必要をより認識する、革新的若者たちという新たな驚異があります。ストレスと混乱を伴う、そしてすべてが民営化され市場価値にまで下げられた、過度に商業化された社会の中で動くことがますます難しいにもかかわらず、彼らが実際には世界の希望なのです。私たちが知るように、若者の多くが学費のために重い負債を負い、何百万人という多くが失業し、まともな家を購入出来る人は僅かです。それにもかかわらず、人類の新時代というものが何を意味しようとその開始を示すことが出来るのが主に彼らなのです。霊的グループによって使われる「新時代」や「宝瓶宮の時代」などの言葉を私たちはしばしば耳にしますが、私はもっと現実的な言葉でハートの時代あるいはハート時代について話すことを好みます。なぜならハートは常に私たちと共にあり、新しいレッテルを必要としないからです。その上、もし私たちが新時代を開始したいなら、集団でハートを従事させない限りそれはあり得ないからです。

これがなぜ、分かち合いの原理がこの時期において非常に決定的な重要性を持つのかという理由のひとつです。それは隠喩的な意味で、人生のすべての部門のすべての運動家が飲むことの出来るミルクの泉のようなものであり、皆を高みに持ち上げ、様々な試みの中で私たち全員を結束させるのです。分かち合いの原理は常識、善意、そして愛そのものからできています。例え無意識にであろうと、そのためにすべての運動家は異なった方法で戦っており、それは内部の視点や霊的視点から、調和と正しい人間関係に関するものなのです。それはハートの全特質の母であると言えるでしょう。

 

 

パートIII:愛の実践を行動で示す

先ほど、環境主義者がアドボカシー活動の中で分かち合いの原理をどのように受け入れ始めているかをあなたは説明しましたが、分かち合いについての内部の展望を環境問題への取り組みに導入するというのはどういう意味ですか。他の言い方をすると、運動家が「ハートを従事させ」、そして「愛の実践」を行動で示す時、それをどのように知ることが出来るでしょうか。

それは、私たちが各々の目標を追求し続けると同時に、世界問題の内側について考えるという問題であり、環境運動家がしていることを止めるべきだとか、方向転換すべきだとかいうことではありません。これが主に何を意味するかというと、私の著書、世界人権宣言第25条を布告するの中で考察されるように、気候変動や私たちが支持する何か他の目標に取り組むよう政府に行動を要求すると同時に、世界飢餓の完全根絶を提唱することは可能です。環境危機の基本的な内部的または霊的意味合いは、それが人間の意識を惑星レベルにまで拡大したということであり、それは何百万という人々が自国や自己のコミュニティ内の環境だけでなく、世界全体の環境、私たち万人のものである世界の大気や生物圏にも良いことを考えているということです。飢餓及び風土病的貧困の現実への世界的認識が祟られているかのようである一方、環境的懸念を心棒することはそれに比べて現在おおよそ流行りとなっています。

しかしながらもし私たちが大きな環境デモをオーガナイズ出来るなら、毎年貧困関連の原因から何百万という人々が不必要に死んでいるのを私たちが知っていると同時に、飢餓者に食べ物を与え予防可能な病気に苦しむ人々を助けるために政府に前例のない行動を要求する、大規模な抗議デモをなぜオーガナイズ出来ないのでしょうか。私の著書で既に述べた同じ論点を繰り返したくはありませんが、世界問題に関する私たちの認識は余りに断片的であり、環境主義者の多くに私たちは世界の飢餓及び貧困危機について話すことさえ殆ど出来ません。それは、環境主義が他の幻惑や自ら作り上げた「主義」に服従しているということです。

環境主義者が未来世代の子供たちのために発言するのを私たちはしばしば耳にしますが、公認済みの政府の怠慢の結果として飢餓から死んで行っている今世代の子供たちについてはどうでしょうか。それらの子供たちは事実、私たちの集団的自己満足的な無頓着さ、無知及び無関心を通して主に表現されるように、この惑星に充満する内部のCO2の結果死んで行っているのです。最も実際的及び人間的視点から、貧しいコミュニティの子供たちもまた、私たちが世話をし保護すべき自分たちの子供ではないのでしょうか。恵まれた富裕国における「私の子供たち」または「私の未来」のことだけを考えるものの見方のようなものは、それ自体の中で正しい人間関係に関連して存在する最悪な種類の公害です。それは、愛の実践や真の認識の理解から程遠く、実に偏って惑わされた考え方です。

再度グローバル経済危機が起こった場合、政治家が環境を棚にしまい込んでしまう危険性について私は先ほど述べましたが、何百万もの人々が気候変動の脅威に集中している現在、それはいかにも私たちが永続的な世界飢餓の危機を既に棚にしまい込んでしまっているかのようです。極貧生活の結果、毎週死んで行く何万人という子供たちと比べあなたの家族が既に必要以上に恵まれている時、あなたの曾孫の福利について懸念することが健康的態度だと、本当に私たちは信じることが出来るのでしょうか。これらの心情を地球温暖化に関しての知識豊富な意見の中にいくらくるもうと、それでもそれは「飢餓は過去にも未来にも常に付きものなんだ」と言う、自己満足的で無頓着な人間と同じ思考設定なのです。そしてこの思考設定が世界人口の幅広い層に存続し続ける限りは、気候危機への対応として「どうこうしても私たち全員が結局のところ絶望的なんだから、考えてももうどうしょうもないよ」と言う人々が常にいることでしょう。

世界の死に行く貧困者に食べ物を与えることより世界の平均気温を下げることにもっと関心があるかのように、世界の飢餓及び貧困危機について決して言及することのない多くの著名な気候変動活動家やキャンペーナーもまた存在します。従って、彼らは全世界やひとつの人類の共益ではなく、現代の豊かな社会に住む人々の共益を実際は支持しているのです。私に関する限りは、ブラント報告と最新の回勅「ラウダート・シ(主に賛美)」に反映されるように、それがなぜこの問題の最先端に立つ霊的権威者がウィリー・ブラントとローマ教皇フランシスコであるのかということです。

世界人権宣言第25条を布告するの第3章であなたは、「全生態学的問題解決の起点となる豊かさの中の貧困という不正を是正することなく、気候変動や環境危機に取り組むこともまた決して出来ない」と主張しています。あなたの理屈付けの方向性を要約して貰えますか。
 

読者が自身で理屈付けの方向性を熟考することを私は促しますが、必要不可欠のメッセージは、絶え間ないデモンストレーションがすべての国における何百万人という人々の間の結束の莫大な表現を通して、危機的な世界情勢に新しい方向性を与えるための唯一の方法だということです。すべての男女子供が基本的生活必需品へアクセス出来るべきだと要求する世界人権宣言第25条は、その実現がグローバル政治及び経済情勢において驚くべき変革の前兆となることを考慮すると、大衆のための正義と自由への真に偉大なガイドです。

これは特に、国連安全保障理事会に代表される企業利益や主要なパワーでなく、世界の人々の組織として見なされるべき国連に関係しています。このように、第25条の人権を中心に回る絶え間ない世界規模の抗議デモが最終的にブラント報告を交渉テーブルへ、または少なくとも主要な国際的優先事項として、飢餓及び極貧根絶の再分配緊急プログラムのために第25条の申し立てを高レベルにおける交渉テーブルへ戻すことが出来るのです。それは本質的に、私たちのより長期的な安全保障と環境危機へ取り組むために必要な世界経済の更なる構造変革への入り口なのです。

このインタビューである程度私たちが考察したように、私の著書の中で私が事実と仮定する商業化の問題についての見解が中心となる手短な記述を誰もがフォローし、理解することが出来ます。何ヶ月でなく何年と続く、そして何百万でなく何億もの人々による止むことのない抗議活動なくしては、結果として、政治及び経済制度を支配する商業化勢力は世界の動向を更なる大惨事と大混乱へと激化させ続けるでしょう。

現在の状況では、世界の炭素排出の規制、飢餓の永続的根絶、難民危機への取り組みの重荷分担のための大胆な議題を国々が実施することは不可能です。しかし短い年数内で命を脅かす貧困の道徳的屈辱を根絶するために政府が世界資源を分かち合うことに一度全力を投球するなら、気候変動への取り組みと環境の修復に付随する問題など、解決において国々が協力し合い分担せねばならないであろう他の多くの問題があります。万人の基本的社会経済権を永続的に確保することにより、どのように世界の人口レベルを安定させ最終的に逆転させるかについての難解な問題など、議論の余地のない論理を説明するために私の著書の中では単純な演繹的推理を用いています。

しかしながらこれら実際的及び人間的疑問を理解するために学説や「主義」の中で動く必要はないため、これは私が促進しようと試みている変革に関する更なる学説ではありません。私が提案するままの世界問題の解決策はその概念化において際立って簡単明瞭ですが、より深淵な疑問は、もし何百万という人々が単一目標と統一した目的を持って断続して抗議するなら何が起こるかということに関係します。それは、愛とハートの認識の欠如についての「内部」的探求の方向に私たちを連れ戻す疑問です。もし私たちがすべての国での第25条の実現を監督する権限を国連に与えることに集中した、無限に続くデモンストレーションを見通すことが出来るなら、ひいてはそれは何百万という人々が危機的世界情勢の現実をより明確に見るための、更なる認識をもたらす効果を持つでしょう。

今日私たちが目撃している問題、惨めさ、分裂及び憎しみのすべては、国連の創設以来私たちが世界の資源を分かち合うことに失敗して来たこと、そして間違った方向に一直線に突っ走り続けているという事実が原因だということを、私たちは集団的に認識せねばりません。この意味で、第25条が世界問題への解決策ではなく、認識、共になること、愛を通して、そして、手遅れになる前に分かち合いの原理を世界情勢に実現せねばならないという理解を通して、惑星規模で人間のハートが目覚めることが解決策なのです。

もし十分な人々がこの喜ばしく希望に溢れる理解に達するなら、ひいては自分たちの集団認識が世界の相互連結した危機の間の繋がりを認識するためにやがて拡大されるであろうことを、私たちは心に思い描くことが出来るでしょう。一度人類の大部分が飢餓及び貧困問題を解決することに心底から集中するなら、人間の人間による搾取の観点から、そして多国間企業によってもたらされ合法化された窃盗と破壊の観点から、環境問題の下地となる正義を私たちはより進んで知覚することが出来ます。その内に何百万という一般人が社会の有形財や無駄な消費への強迫観念に疑問を持つよう導かれ、成功しお金持ちになるために常に奮闘する代わりにもっと簡素に生活することを求めるでしょう。

それは文化的及び社会的制度だけにでなく、教育制度にもまた途方もない効果を持つでしょう;誠に、万人の基本的ニーズを確保することの効果は、最終的に人間の試みの全側面を持ち上げ有益でしょう。もし私たちが第25条を最終的に一世代で実現したら社会に起こるであろう膨大で並外れた変革を、私は手短に要約しているだけです。それは、例え世界の大部分がこの壮大な目標を支持したとしても、長く難しいプロセスになることは疑いありません。

富裕国でのより資源非消費型の生活様式や国内及び国家間でのより公平な生活水準を実際どう実現し得るかということに関係する、これまであなたがただ軽く触れていただけの重要な問題について今あなたは示唆しました。このインタビューの最初の部分でこの問題を顕教的または「外部的」視点からあなたは手短に言及しましたが、現代の消費者社会における私たちの姿勢や態度に不可欠な変革をどうもたらせるかについて多くの疑問が残っています。これは、人間の意識転換や私たちの集団的認識の拡大の観点から、内部的または心理的展望からのみ真に理解され得る問題でもあるのですか。

私たちが真の答えを知覚できる唯一のところの、もっと包括的、霊的または心理的展望からこの疑問の駆け引きを僅かな改革的思想家しか考察しないというのは本当です。最初に理解すべきことは、地球の生物物理学的限界の中で人口がより簡素及び公平に生きるために、全世界を通してストレス及び落ち込みを減少させねばならないということです。人類の大部分が終わりのない紛争、分裂及び不正を伴う機能不全社会で生きる重圧が原因のストレスで苦しんでおり、そしてそれらすべてのストレスの結果がすべての側面における恐怖なのです − 他人に対する恐怖、変化への恐怖、生きることへの恐怖、自分自身になることへの恐怖。そしてより簡素に生きることが、内部的により自由で無執着であることをもまた私たちに要求する時、ストレス、落ち込み及び恐怖に苦しむ人にそうすることは期待出来ないのです。

ストレスや落ち込みに苦しむ誰かを内的に観察すると、その人の中の動きは、その性質が物質的であろうと心理的であろうと執着によってより安心感を得るという逆の傾向なのです。そして存在することへの恐怖の結果として、すべての不平等さを伴う社会に反撃することにより、多くの人々は更に安心感を得ようとし、従って多くの「主義」と「イデオロギー」が常に強化され避難所として目を向けられます。この内部の追求に沿った方向性を追うことは、私たちの時代の大混乱がなぜ非常に深刻で衰弱させる要素を持つのか説明するにもまた役立つかもしれません。なぜなら混乱が世界規模の伝染病となる時、それは人類の創造性を著しく減少させ、社会に必要とされる斬新な変革が起こるのを更に妨げるからです。

熟考すべきこの問題のもうひとつの重要な側面は、生きることの歓びを経験することなく、私たちは集団で自分たちの生活様式を簡略化することが出来ないということです。それにもかかわらず、非常に不平等で不正な、そして非常に混乱して無知な政治家に腐敗させられた機能不全な社会では真の歓びはあり得ません。私たちが識別し大まかに区別できる二種類の歓びに満ちた生活があります。ひとつは表面的な楽しみや商業化の幻惑から生じ、私たちが長い間考察して来たようにそれは全幻惑の中で最大の幻惑です。しかしもうひとつの人生の歓びは真の霊性における生きる歓びであり、分かち合いの原理がグローバル経済と政治情勢に一度融合されるなら、それは明瞭となりその本質を明らかにすることが出来ますが、今日おおよそ誰にも知られていないのです。

これらふたつの相反する生活様式は、まるでお互いが相殺し合うかのようですが、今日、商業化勢力によって提示され幻惑的な喜びに満ちた生活は、人類が無意識に取り入れるよう押しつけられて来たのです。従って生きることの歓びは、慈悲を通して、認識を通して、そして私たちは皆ひとつであり、共になることや愛において皆平等であり本質的に同じであるという歓びに満ちた理解を通して、ハートによって差し出されるのです − それは、大量消費によって失墜させられ、私たちの日常の出来事の中で大部分が感じられていない生活様式です。コミュニティ・レベル、または2011年のウォールを占拠せよタハリール広場など平和的大衆抗議のための臨時の野営地において、私たちは歓喜に満ちた在り方のほんのかすかな光を経験したに過ぎません。

これは、世界人権宣言第25条を布告するで紹介され更なる詳細が必要な題目であるところの、豊かな主流社会でのよりシンプルな、より歓びに満ちた生活様式は、世界中での第25条の実現によってのみもたらされ得るという意味ですか。
 

もしあなたが私が言っていることを知的にだけでなく、ハートの認識を通して理解出来るなら、ひいてはシンプルに生きるということはこの過度に商業化された世界ではかなり大変なことであり、私たち共有の惑星の資源力内でどのようにもっとシンプルに生活すべきかを人類に教えるのは第25条の実現だと理解出来るでしょう。飢餓や他の貧困関係の原因で毎年何百万という人々が不必要に死んで行く限り、私たちは各自の生活水準の中でもっとシンプルにそして平等に生きることが決して出来ないのだとあなたは考えることはないですか。

まさに、日々生存するための苦闘に疲れ果てた何百万という多くの貧困者がいるように、隔離された環境の中で裕福であることに飽き飽きした多くの極度に裕福な人々がいますが、彼ら全員を結びつけ、世界中で生活水準の壮大な格差によってもたらされた緊張を削減出来るのが、第25条を完全に保障することの展望です。心理的及び霊的視点から第25条は、人生と人間関係への私たちの態度の中の貪欲、不正直さ及び野心の発生率を削減させる可能性を持つ尊厳と自由の驚くべき基盤を象徴します。そのことは、社会組織の様々な様式を簡略化するのに必要な愛と認識を解放する前触れとなるのです。

結局のところ、利益やパワーの追求から生まれた乱用でないなら、気候変動の根本的原因は何でしょうか。なぜなら、環境を乱用し、他の人々を食い物にしない限り、膨大な規模で利益を上げることは不可能だからです。持続不可能である大規模な消費パターンを通して、まさに全システムを維持することに私たちが加担しているように、政府と大企業もまたこの破壊的な経済秩序の維持にどのように加担しているかを私たちは観察して来ました。しかし、「ひとつの惑星生活」の視点からは悲惨にも持続不可能だと私たちが知る通り、西ヨーロッパや北アメリカで生活する人々のように過度の消費型生活様式を味わいたいと熱望する発展途上国の何百万という貧困者を含んだおおよそ全員が、更に消費し、彼らの生活様式を向上させたいと望んでいるのです。

この社会で簡素な生活をする唯一の方法は、隔離されたコミュニティに引きこもることですが、それは、一定の不可逆的転換点を既に超えたと科学者の多くが信じる気候変動の世界問題の解決策にはなりません。自給自足のコミュニティでもっと質素に生活することがどのように有益であろうと、それは実際には唯一短命な逃避でしかないのです。なぜなら早かれ遅かれ世界の問題は、どこに住もうと私たちを見つけ出しにやって来るからです。これは、今日のすべての問題は世界的問題であり、それらを解決するには全世界の参加が要求されることを人類に教える、気候変動のもうひとつの霊的意義を指し示しています。それはまるで天候でさえが、人類の霊的結束から自分たち自身を分割するのを止めるよう私たちに求めているかのようであり、貧困根絶と環境救済の問題を連結させることに十分な人々がハートを従事させない限り、よりシンプルでより歓びのある生活様式がもたらされることは決してないのだということを意味します。

世界情勢においてまず初めに第25条の実現が優先されるまで、世界的によりシンプルな生活水準を実現することは不可能だとあなたは言っているようですが、これが、分かち合いの原理に基づく必要のある社会とグローバル経済システムの「外部的」構造改革だけでなく、人類が変革すべき必要性に対する「内部的」認識双方を解き放つものだからでしょうか。
 
どの方向からこの問題を見ても、すべての国々で一連の効果的な法として第25条実施の必要性を私たちが理解するまで、それが人類の「内部的」変革と、惑星的限界内で機能する持続可能な経済を最終的にもたらす社会の「外部的」変革双方への入り口であるため、私たちの考えの中で、そして新たな社会のための遠大な展望を伴う提案の中で前進することは出来ません。枯渇する天然資源の過度の搾取を防止する新たな法律及び経済の実践維持に必要な集団的認識へ他に何が私たちを導くと考えられるでしょうか。万人が基本的ニーズを保証される時、そして資源が世界中でより平等に分配される時、ひいては新たな国際ガバナンスの枠組みが、私たちが環境を保護し、不正義から解放された生活をすることを可能にし、従って人々がただ単に生きることが出来るよう、生きる歓びをもっと簡単に実現するだろうことを恐らく私たちは見通すことが出来るでしょう。
 
ここで私たちは、国々の間の未来の貿易協定を第25条の実施が決定するであろうところの、グローバル・レベルでの完全に異なった経済的取り決めによる資本主義と社会主義の融合したものについて実際話しているのです。それは例えば、もしどこかの国に余剰食糧があるとして、世界の他の場所で何百万人もが飢える傍ら、その国が利益のためにその食糧を輸出することを求めたり大倉庫で腐るまま放ったらかしにすることがないということです。ひとつの代替的経済パラダイムとして、どの国であっても生産物が国内ニーズを上回るなら、生産が不十分な他国へ再分配または交換されることを可能にする国連内の新たな専門機関など、その目的のために特別に設置された機関によって管理される、世界的蓄えの何らかの形態に寄付するということも可能でしょう。
 
私たちはこれを、地球の非再生可能資源の限界ある供給を使い尽くすことなく万人が楽しむ権利のある十分な量の物資や農産物を国際コミュニティが生産することを可能にする、真の構造調整として考えるかもしれません。しかし、断続する世界人口の爆発、最富裕国及び最貧困国での人々の生活水準における拡大する両極端、そしてこの惑星のバイオキャパシティを既に遥かに超え増加する天然資源の過剰消費をもって、これをどう達成出来るのでしょうか。
 
分かち合いの原理に基づく簡略化された経済システムについての詳細を私たちは好きなだけ議論出来きますが、事実は、利益や競争的な自己権益の完全な追求が背後に潜む商業化勢力によって人間が非常に条件付けられている間は、これらの方向に沿ったどのような構造改革も新たな法律も導入され得ません。人類の意識の中で環境コモンズを妨げている心理的要因が利益の追求でないなら、それは何でしょうか。そして、社会でフリーエネルギーの基盤として常温核融合技術を確立することへの内部的障害が利益の追求でないなら、それは何でしょうか。人生の内部的または霊的現実への認識の中で遥かな未来へ私たちの想像を拡張することによって、この古い問題からの唯一の出口は需要と供給の法則の中のグローバル経済情勢に物々交換の実践を構造化することだという結論に私たちは達するかもしれません。知られるように、利益の追求は人間及び自然双方に害を及ぼしストレスの原因となります。その傍ら、物々交換の実践は無害であること、シンプルであること、そして正しい人間関係へと正反対の傾向に基づいています。
 
このトピックについて更に多くが語られるべきですが、人間関係と経済的交換のこのような新たな様式は、私たちお互いの関係や私たちと自然環境との関係を完全に異なった方法で見ることを要求するそれ自体が広大な主題である、自己知識に基づいた新教育が同時に導入されることなくして持続することは不可能でしょう。言うまでもなく私たちは、もっと原始的な生活様式に戻ることについて話しているのではありません。そして宇宙の中の自己の存在について人間生来の好奇心が学ぶことを止めることが出来ない傍ら、人間社会の進化においてイノベーションとテクノロジーの役割が常にあるでしょう。より簡素な生活水準の必要もまた、私たちが消費する資源の量や種類以上のことに関係するのです。なぜなら、外界と私たちの関係における内部の自己についての認識を暗示する生きる術があるからです。更にシンプルで更に歓びのある、そして更にハートが従事する生活のあり方は、外部からのどのような権威者によっても人々に強制されるべきでなく、そしてそれは他のすべての生き物と霊的結束の中生きるという自己の意図への内部の認識を通して各人、そしてすべての人の内部から養成されねばなりません。
 

可能ならばこれら最後の所感、特にシンプルに生きる術があるというアイデアについて更に詳しく説明してもらえますか。ジョン・スチュアート・ミルが、18世紀半ばに産業の発展の最終目的について熟考した時に、心に描いたものと同じ「生きる術」についてあなたは話しているのですか。それとも、アート形態としてもっとシンプルに生きることには他の異なった意味があるのですか。それは、文字通りの意味でなく霊的意味で理解されねばならないと推定しますが。

 

それは、熟達した建築家が建設を必要最小限に保ち、質素な資源使用にもかかわらず、外観が素晴らしい建物を設計出来るように、シンプルに生きるということは実にアートです。またはアーティストが、彼の絵が視覚的に魅力的で意味深いものとなるよう適切なところへ異なる色を入れることを知るように、私たちもまた、完全に無害で他人への奉仕に向けられた、尊厳があり創造的な、充実した人生のために必要なものを万人が持つよう適切なところにこの社会を置こうとしているのです。もし私たちが、自己の存在が現代世界のストレスと分裂以上に意味あるものだと信じるなら、そして生来の創造的可能性を探求する自由と機会を皆が持つ、違った生き方が可能だと感じることが出来るなら、ひいては人間の進化のすべては、ひとつの生命の共同創造主としての役を皆が演じるところの科学的アートのようだという真実を私たちは直感出来るのです。私たちは皆、内部から外部へ向かって私たち自身を創造するアーティストなのです。そして生きる術、あるいは霊的視点から更に正確に表現される、存在する術なくして「シンプルに生きる」ことはあり得ません。

私たちの日常生活の表れの中でシンプルに生きることが殆ど不可能に近い、惑星規模の混乱及び変換期のこの時において、ひいては人類にとって第一ステップは、考えをその適切なところへ置くことを意味する、思考の術と呼ばれるかもしれないものであることを私たちはまた同様に観察することが出来ます。結局のところこれが、まず第一に人生の霊的現実、そして国々という家族としての私たちの態度、振る舞い及び意図の完全な変革への必要性について認識を持つようになることにより、私たちを人生のアーティストに仕立て上げることの出来るものなのです。

この意味で、生態学的に回復力のある社会へと私たちが移行すると同時に、万人の共益を私たちがより良く実現するかもしれないように、人類が国家及び世界情勢の管理方法を変革することに関心のあるアーティストが既に世界に多くいます。もし私たちが、正しい人間関係についてある崇高なアイデアを代表する革新的な市民社会団体や人道機関の存在を想像出来るなら、ついで思考の術は、一般市民の大衆参加を通してそのアイデアを実現することに関係しています。貧困、持続可能な経済、平和な世界及び健全な環境;これらすべてのアイデアは、この考察を通して私たちが全面的に認めて来たように、全社会がそれらの後ろ盾となって結束するまで決して実現しないでしょう。そして、全人類によるこれらのアイデアの受け入れが、人類家族としての私たちの意識を拡大し、私たちの全生活をもっと歓びに満ちたものとし、そして霊的進化に沿ってとても迅速なペースで人間の聡明さが姿を現わすよう導くのです。

従って、この地球最大の病は内部及び外部双方の形態における分裂であり、正しい思考の術は、私たちの集団的惑星規模の変革の初期段階に関係します。正しい人間関係のシンプルな道を外れるよう私たちを導く幻惑への認識を持つことがより一層重要であるため、現時点ではよりシンプルに生きる術に没頭し過ぎる必要はないと思います。もし私たちが、より啓蒙されハートが従事する社会に住むことがどのようかについてこれらの予測的な霊的疑問を更に熟考したいなら、商業化の拡大する動向がどのように私たちを逆方向へ導いているかについてもっと知ることから始めることを提案します。ビジュアル・アーティストの例えを延長すると、以前何度も言ったように、誤用された人間の知性が迫り来る自己破滅へ向けて私たちを導くまで、私たちに間違った教育をし、私たちを条件付けし、そして私たちが全ての色を適切なところへ塗ることを妨げているのは商業化なのです。

この全てが、何が人間の愛と認識を十分に目覚めさせ、従って、あなたが提案したように、大規模な市民参加を通しての世界変革のプロセスを開始し得るかという疑問へと導きます。これらの内部及び外部の変革の始まりを意味するかもしれない瞬間または口火を予測することは可能でしょうか。世界の資源のより公平な分かち合いのための絶え間ないデモンストレーションを通して結束する何百万、何千万人というあなたのビジョンから私たちはまだ程遠いように見えます。そして、これは多くの読者を世界問題について絶望感と混乱感の中に取り残すかもしれません。

 

もし私たちが人類の外部的問題のみを詳しく考察するなら、ひいては余りの複雑さ、そして余りに多くの要因やその他多種多様なものに直面するため、世界の問題の解決策のための明瞭な回答を突き止めることは不可能です。これが、どのように世界が変革する必要があるかについてのより深淵でよりシンプル、そしてより変革的な洞察へと私たちを導くであろう、人間の進化の内部的または霊的側面を熟考することがなぜ有益かということです。何千年もの間、多くの賢明な教師と予言的な思想家は、内部を見つめ、変革の必要性を知覚するよう人間に懇願して来ました。それにもかかわらず私たちは、親切心と愛情を持ってお互いをどのように扱うか、そして自己利益、競争及び貪欲なくして地球の生産物をどのように分かち合うかという最も基礎的なレッスンを習得出来ていないのです。 

これまでの何世紀にも渡る技術的及び社会的進歩の後、人類が正しい人間関係について何か学んだと思いますか。私たちの社会的振る舞いを特徴付ける多くの「主義」を国々は捨て去ろうと試みて来ました。私たちは大規模な戦争、そして何世紀にも渡る植民地主義や帝国主義に耐えて来ました。そしてそれにも関わらず、すべての結果的な分裂や不平等を持って、世界舞台でパワーを巡って猛烈に競争するという古いやり方を私たちは未だ続けているのです。

それでは、自然界の事実として、私たちが本質的に平等で相互依存するひとつの人類であるということを、どうしたら世界のすべての人々が悟るとあなたは思いますか。内部の視点から、私たちの問題の解決策を握るのは第25条の経済的、政治的保護ではありません。なぜなら、すべての世界問題は相互連結しており、同じ人類学的発端を持ち、それは、最終的にはただひとつの問題とただひとつの解決策しかないという意味だからです。もっとも基本的な霊的及び心理的意味においてのみ、愛の欠如として今一度再び表現され得る問題そのものが解決策なのです。唯一人間のハートだけが血清を持っている故、人類を苦しめるこの古代の病のワクチンを発見出来ることは決してないと言っておきます。

 

マインドの条件付けの新形態を作り出すことなく、宗教的及び政治的「主義」の仮面の後ろに隠れることなく、そして自国の歴史に埋葬された偏見や憎悪を再生することなしに、お互いにどのように生きるかを私たちは未だ学んでいないようです。最終的に、正しい人間関係は、全次元における社会的、経済的及び環境的危機の解決策への鍵であるとしか私たちには言えません。それはこの機能不全社会の状況において、大量の愛と認識が世界中で解放されることを私たちは必要とするという意味です。

しかし、国家的誇りや個人的繁栄における古いやり方を続ける同じ政治家に私たちが投票し続ける限り、そして抗議活動やデモンストレーションが相対的に少人数に限られ続ける限り、ひいては人間の認識の迅速な拡大のために2つの展望しかありません:それは、聖なる介入あるいは国際経済システムの完全な崩壊です。世界人権宣言第25条を布告するの終わりの方で私が書いたように、私たちを現実感に目覚めさせ、現在の生活のあり方とその背後に潜む心理的すべて − 個人的野心の津波、何百万もの人々の富と成功への衝動、幸福と保証の利己主義的追求 − を完全に中断させるために大惨事が必要なように見えます。世界恐慌以来経験されたことのない深く長引いたもうひとつの世界経済危機が、私たちがどのように考え、社会を組織化するかということに深淵な影響を与えるでしょう。それは象徴的意味で、人類がどのように袋小路に達し、そして間違った根拠や原理が前提の社会秩序を維持する、私たちの内部の態度と振る舞いの完全な変革なくして前進する道はないということを、明らかにするでしょう。

他に何が不可抗力な大量消費主義を止め、十分な数の人々から自己満足的な無頓着さを取り払えるのでしょうか。しかし国家間に信用がなくなり、政府機関に愛の顕現がなくなり、そして政治的リーダー達の間に前進のための真の協力的道の見通しが完全になくなるまで、人類が純然たる経済危機を経験する必要があるこの時点に達するということは、実際には21世紀の初頭に私たちが落ちた深みの痛ましい兆候なのです。私たちの共存の仕方、そして人類家族としての行動の仕方を変えることが常に大変簡単であった時、世界情勢において正常さを目覚ますために絶え間ない大規模なデモンストレーションまでもをなぜ必要とするのか、私たちは自己に問うべきです。
 

気候変動の霊的重要性と象徴的意義を様々な方法であなたは簡潔に触れました;環境危機の内部的原因及び意味合いについて更に付け足したいことはありますか。

これは、私たちが自分たち自身で更に思案すべきもうひとつの重要な疑問です。なぜなら、もし万物に霊性が宿るなら、私が主張して来たように人間は生命であり、それは私たちの行為のすべてが、各人から共同体としての全人類に至るまで、私たちの周りの環境に影響を持つということです。環境の中の大混乱は私たち自身の中の大混乱を反映し、従って地球温暖化の危機は私たちの合同思考と行為の直接的結果です。聖書に書かれているように、蒔いた種は刈り取らねばならないのです。それはこれ以上シンプルであり得ません。しかし、誰かの所有物というものは存在せず、この地球の資源の公平な分配、管理及び保護は私たち全員の責任であるということを、文明として私たちはまだ理解し受け入れていないのです。私たちの真の人間性と共有の神性へのなくてはならない第一歩を一度私たちが学び実践するなら、ひいては自然がどのように不思議な奇跡的方法でバランスを取り戻すかを私たちは目にするかもしれません。人間と自然は霊性及び進化の視点から永遠に一体であるが故、もし分裂が人間の傲慢や無知によって何世紀にも渡ってもたらされるなら、ひいては創造物のすべてが、人間の存在以前に自然に生成し維持されたバランスを失うのです。

この視点から人為的な気候変動に象徴される幾つかの深淵な象徴的意義について私は述べましたが、その中で全レベルにおいて経済的及び政治的にだけでなく、心理的、社会的及び霊的にもまたどのように人類が危機にあるかをそれは反映しているのです。従って、ガバナンス制度の運営に影響を与える政治的危機だけでなく、人間の考えや行為への私たちのアプローチのすべてに疑問を投げかける「主義」の危機をもを私たちは目撃しているのです。同様に、新たな経済秩序モデルを必要とする再生された世界経済危機だけでなく、自己の存在の本質自体と目的を見直すことを余儀なくさせる、山場を迎えた心理的・社会的・霊的危機をも私たちは間もなく経験するかもしれません。まさに経済及び政治システムのすべての形態がゆっくり溶解または崩壊しつつあるように、すべての古い主義は崩壊または結晶化しつつあります。それがすなわち左翼及び右翼、保守反動派及び堅固な革新派など相反する分極化した考え方の間にあるすべての混乱を生み出しています。人類がより正常な世界への痛々しく混沌とした転換を経験すると同時に、私たちはまるで大混乱の時代に生きているかのようです。そしてこれらの困難な時を記す多数の危機への私たちの対応次第で、この風土病的混乱期がこの先長い将来に渡り激化する運命にあると予測することも可能なのです。

これは、この混乱及び危機の時代からの唯一の脱出は世界情勢における分かち合いの原理の実現を通してのみだという密教的見地から、気候変動の最も決定的な象徴的意味なのでしょうか。
 
環境問題の内部原因に関するこのインタビューの初めから私が言って来たように、それが基本的に何を意味するかというと、人類は不可避な究極的選択を迫られているということです。最終的に自己破壊へ至るであろう昔ながらの自己中心的で競争的なやり方を続けて行くか、あるいは最後の希望として、世界の資源を分かち合わねばならないというこれまで以上に明瞭な認識へと、正しく思考するすべての善意の人々を導くよう、人類を対立するもの同士に分割する新たな勢力とエネルギーを私たちは受け入れるかです。
 
自己本位な政府や企業に対し戦っている人生の全部門の運動家だけでなく、この壮大な闘争において両者が混乱し失望しています。商業化の支持者さえが、どのように漠然とであろうと無意識的であろうと感じられ、そして何らかの形で知覚出来る、これらの新たなエネルギーに関してどうして良いのかわからないのです。そして利益追求及び個人的野心が唯一安堵感を与える源なのです。どのような宗教的または学説的な解釈が意味するとされるものものをも超えて、私たち生来の神性及び一体性の真実を遂に受け入れる準備が私たちに出来ていることを最も象徴的に意味する時代が現在人類に到来しているため、たとえ右や左の主義にしがみつこうと大混乱に関する限り私たちは皆同じ境遇にあるのです。それはあたかも天候が、自己を霊的結束と相互連結から切り離すことをやめるよう私たちに頼んでいるだけでなく、これは私たちの集団的内部変革のための最後の機会である故、私たちが世界危機の内部原因にどのように一役買っているかを自分たちで見て理解することをもまた哀願しているのです。
 

要約すると、市民社会団体の提案がどのように道理にかなっていようと、または賞賛すべきものであろうと、彼らのアイデアやアドボカシー活動だけでは世界変革は起こり得ず、世界の大多数の人々の意識転換の結果としてのみ実を結ぶことが出来るのだとあなたは明白にしました。そしてこの新意識と心からの認識は何よりもまず、すべての国での第25条を万人に保証する道徳的、霊的、実際的緊急性を受け入れる大規模な大衆の抗議デモを通して表現される必要があるでしょう。これが、あなたの他の執筆に関連してあなたが概要を述べているように、国連に権威を与え、国際的な経済の分かち合いと政府間の協力の新時代へと先導するための入り口です。従って、内部的または霊的視点からはやや逆説的ながらもそれは、人間の物質的剥奪の緊急な廃絶の必要性を受け入れないなら、環境危機への永続的な解決策をもまたあり得ないという意味ですが、これはあなたの考えの偏りのない要約でしょうか。それとも他に何か明瞭にすることまたは付け足すことがあるでしょうか。

世界の生態学的危機に関しての全思考形態は、その対となる霊的片われが殆どの活動家のサークルや大衆討議で触れられることが殆どないため、現在更にますます結晶化しています。少なくとも世界的及び象徴的意味で、単一争点において人類を徐々に結束させている気候変動が、現在私たちの唯一の教師だとどこかで私は主張しました。しかし、人類が相互依存したひとつの家族だともし私たちが理解し、真にそれを実践するつもりなら、地球を救うための戦いの中で同時進行の最優先事項として第25条を無視し続けることは出来ません。世界資源の大規模な再分配と国際的経済構造の壮大な再構築を本質的に要求する第25条の迅速な保護が、気候変動への解決策に断然繋がっていることは、従事するどのような市民や政治家にとってもますます明らかな筈です。なぜなら、資源のより公平な分かち合いを通してもしこの世界に少しでも社会正義があったとしたら、そして地球で飢餓や他の貧困関係の原因から人が死に続けることがなかったとしたら、ひいては気候は今日のようなアンバランスで混乱した状態になかっただろうからです。

私が強調して来たように、努力分担の公平な枠組みを通してどのように政府が気候危機へ取り組むべきかということのための市民社会の提案に関するこのインタビューの最初の熟考のいくつかによって、私たちはこれを理論的及び演繹的に外部または政策関係の視点から理解出来ます。しかし世界の環境問題を真に心から理解するためには、すなわち、隠された自然のエレメントと、全人類の総体的な思考及び行為の間の巨大な繋がりの重要性をもし私たち自身で知覚したいのであれば、自己の内部の認識、直感、慈悲心及び常識と連動するよう私たちは求められます。恐らくは、人類の大部分が第25条を布告することによりハートを従事させることにまず成功しないことには、世界の問題を解決する方法は他にないかもしれません。それは、物質勢力及び商業化勢力への固守という私たち全員の共同犯罪によって維持された、現在の成長型経済パラダイムがもたらした全体的な行き詰まりから逃れる唯一のルートかもしれません。
 
従って、世界情勢に分かち合いの原理を実現することの内部的意義を思案し聞き入れることは最も重要なことだと私は信じます。それは、ハート自体が知的化され得ない時、そのハートの認識を通してこれらの問題を詳しく考察するよう私たちに要求するため、確かにこれはある矛盾した難解さを提起します。異国の人々の間で信頼を得ることが出来るように、グローバル経済の取り決めに分かち合いの原理をどのように融合させる必要があるかについて、新たな注目を持って自己の中で再び静かに熟考すべきです。それはこれから先、更に簡単・迅速にハートの特質を放つことを私たちが出来るようにするでしょう。
 
当然のこと商業化勢力は、この世界での愛と知恵の顕現の反対に立ちますが、ハートの特質が前例のない規模で解放される時、ひいては新たな驚異が社会に起こるでしょう。その中では、全形態における抑鬱及び心理的苦しみの減少によって個人の創造力は大いに高められ、世界の緊張とストレスは劇的に減少し、生きる歓びが実感出来る普遍的現実となり、病の治癒さえがより迅速で新しい進歩経過を迎えるでしょう。
 
手短に言うと国々の間での分かち合いの原理の実現は、内部から外部へ、霊的ハート・センターから神聖化されたマインドへ、生命への内部的認識から私たちの周りの世界の外部的バランスへと、異なった方向へ人類を導くであろうため、特にそれは環境危機に関してより良い世界への私たちの最大の希望と前兆なのです。これらはこれから分かち合いの原理についての考察で私が更により詳細に探求するであろう不可欠な疑問の幾つかです。
 

最後の質問ですが、人類が必要な規模の変革能力及び傾向を持たず、それ故、私たちは今後100年間暗黒卿的未来へ向かっていると多くの人々が信じています。間もなく前途に待つ大転換を私たちが乗り切れるという希望をあなたは個人的に持っていますか。

希望がない理由はありません。第2次世界大戦中、多くの人々が希望を失ったにもかかわらず、ドイツ、イタリア、日本の一党独裁政権に顕現された闇の勢力に同盟国のパワーは勝利しました。現在私たちは、もうひとつの暗く途方もないパワーに勝たねばなりません。それは、このインタビューを通して考察されて来たように、私たちの文明を破壊へと導く極度の市場主導型イデオロギーを通して、全社会を宿命的に掴み込んだ商業化勢力です。私たちの人生の全側面におけるこれらの勢力の威圧的な影響を超えるためには、まるで聖なる介入が必要であるかのようですが、以前一度私たちはそれらの物質勢力を打ち破っており、再度そうすることは可能なのです。もし必要なら、私たちはそれらを10度でも打ち破ることが出来るのです。なぜなら、この地球に闇の勢力が存在するなら、光の勢力が存在することは間違いないからです。そして今一度私たちは、それらの光の勢力を支持するでしょう。なぜなら、私たちの存在の目的は尊厳、平等及び自由の中で霊性を持って進化することだからです。

従って、私たちが成功するかどうかを疑う人々への私の答えは以下の通りです:人類がこの画期的な文明危機を乗り越えられるという希望、大きな希望があります。愛の特質を持つハートを通して、何百万、何千万という人々の間で、世界的驚異として表現される分かち合いのパワーを私たちはまだ目撃していません。そして分かち合いの原理が世界の政府の政策に真に取り入れられる時、ひいては私たち全員が驚くような速度で、政治的及び経済的構造の劇的変革が起こり始めるでしょう。従って、何世紀もの搾取と破壊による自然への最大の呪いは、人類が万人の共益のために結びつき行動することを常に拒否して来たことであるということを私たちは遂に理解するかもしれません。なぜなら、生命はひとつであり、人間は生命そのものだからです;これ以上言うべきことは何もありません。

 

参考文献

[1] “At the deal's heart must be a settlement between the rich world and the developing world covering how the burden of fighting climate change will be divided – and how we will share a newly precious resource: the trillion or so tonnes of carbon that we can emit before the mercury rises to dangerous levels.” See the full editorial: Copenhagen climate change conference: 'Fourteen days to seal history's judgment on this generation', The Guardian, 7th December 2009.

[2] Encylical letter, Laudato si': On care for our common home, Libreria Editrice Vaticana, May 2015.

[3] モハメッド・メスバヒ、「対談〜主義と分かち合いの原理」、シェア・ザ・ワールズ・リゾースィズ、2014年7月。

[4] モハメッド・メスバヒ、「世界人権宣言第25条を布告する:世界変革への人々の戦略」、Troubador Publishing Ltd, 2016年。

[5] 例として参照:奮い立て、アメリカよ、奮い立て!アメリカ人活動家への手紙、2014年10月;世界の人々をひとつにする、2014年5月。


モハメッド・メスバヒはSTWRの創始者である。

インタビュー:アダム・パーソンズ

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