奮い立て、アメリカよ、奮い立て!

アメリカ人活動家への手紙

世界資源の正しい分かち合いに基づき、より包括的、霊的な展望を通し、アメリカがその価値観を即急に変貌させねばならない時が来ました。アメリカの若者たちよ、平和的抗議の全国的波が遂には地球規模で広がるまで、全州で止むことのないデモンストレーションをオーガナイズすることにより、道を開くことは君たちにかかっているのです。


アメリカ合衆国のような偉大な国が、今日のような大動乱の奥底へ陥ってしまった原因は何でしょうか。自由、正義、そして民主主義の理想のもと創立されたにも関わらず、実際には、自由の女神像が項垂れ打ち砕かれた足枷を再び集め合わせトーチを投げだしてしまうべき程ますます道を踏み外し、その高貴な概念を蔑めてしまった国。それらの足枷は残りの世界への大変悲惨なしわ寄せを伴い高度に商業化され分裂した社会に顕現されるように、アメリカンドリームの醜く拘置的な思想の象徴となるべきです。より更なる分裂、恐怖、不正を醸成し、アメリカ政府の相次ぐ諸々の統制のもと、他国に対し傲慢に暴威を振るうよう導いてきた思想です。あるだけの謙虚さと緊急性を持って劇的に方向転換しない限り、それは一般のアメリカ人の善意を低下させ続け、アメリカ全土を大惨事へ押しやる思想です。

なぜ私たちの殆どが、アメリカンドリームを追うことに内在する危険性を知覚できないのでしょうか。成功、富、幸せへの強い願望に関する限り、アメリカンドリームの一般的意味を皆が理解しています。しかし、この夢がどのように彼らの国の真価を維持することからアメリカの人々を着実に惑わせてきたかということを、僅かの人しか省みることがありません。実に、この大陸に合法的に居住していた原住民の人々からの着服のもと構築された夢です。アメリカンドリームの下地となるのは、裕福で社会的上位にある生活様式を求めるアメリカの強い願望を成就するために必要な基盤となる、商業化のますます激化するやり方を通しての利益への原動力です。アメリカンドリームは商業化に無理矢理連れ去られたのではなく、その発端以来ずっと商業化へ奔放に与えられていたのです。そして、その過程の中で「自由の地」は、それが情け容赦なく世界中へ送り出した市場勢力のイデオロギーの主要な主唱者となり、大凡全ての国において社会変動を引き起こし、国際緊張を高めて来たのです。

内部又は心理的な視点からアメリカンドリームは他に及ぼす被害におかまいなく、いっそう捉えどころのない幸福を掴む手段として大変多くの人々が富と成功を探し求めるよう導くことにおいて、自己中心的で有害な概念として実際は理解されるべきです。それは、商業化勢力が私たちを操作し惑わすためのとても効果的な道具を提示し、何百万という若者たちがはまり続ける大きな嘘なのです。なぜなら、「偉い人(成功者)」となり、更にいっそう裕福となり、恐らくは有名で有力にまでなりたいという強い願望の中で、感情的知性の機能障害の原因となることが不可避である貪欲さと無関心によって、私たちのパーソナリティーが影響を受けるまでそれ程時間はかからないからです。内部でそれが知覚される時、ハートとその特質の現実から私たちを引き離し、他人の苦しみと幸福に対して無関心となるよう私たちに直接的影響を及ぼすのは貪欲そのものです。名声や業績の力により裕福となり成功することを切望しないとしても、アメリカンドリームの社会的条件付けは、個人的幸福の偏狭で物質的、そして自己中心的な追求を通して私たちがなおも人生の目的を歪ませる原因となるのです。私たちが次の疑問を問うことはまず滅多にありません。それでは、成功しなかった人たちはどうなるのでしょうか?アメリカンドリームは、その人たちをアメリカから抹消しろと言っているのでしょうか?

ひとつの人類の現実

アメリカンドリームによって大きく条件付けされている人は自己のことしか見えず、70億人の間の相互に連結した人生の霊的現実が見えない一種の精神的盲目へ陥る傾向にあります。彼らの愛はしばしばかなりの割合で押し潰されており、寂しさと惨めさの中で生きる人々の真っただ中でさえも自己を愛国心の強いアメリカ人だと称することを誇りとしています。この有害な条件付けは、アメリカが世界で一番重要な国である(それが世界で唯一の大陸であるかのように)という考えを持って子供たちが育つよう拍車を掛け、他国の人々の経験している極貧と苦難に対する意識が殆どない成人期へと彼らを導きます。合衆国に住む人たちにとって、アフリカが世界地図のどこに位置するのか全くわからないということは珍しいことではないのです。例えば、遠方の国の無数の罪ない人々にとって、アメリカの外交政策がどのように破壊的であるかについての概念が彼らにないのは言うまでもありません。

「アメリカンドリーム」というフレーズ自体が分裂的であり、霊的現実から切り離されています。熱望的思想への間違った信仰的執着によって維持されるフレーズです。そしてその思想は、「ひとつの人類」の現実を知覚することから歴代を通して一般のアメリカ人を誤った方向へ導いてきた感情的プライドによって常に育まれて来ました。アメリカンドリームが辞書でどのような定義付けをされていようが重要ではありません。霊的視点から見たその思想は20世紀を通し証明されてきたように、そして今も証明され続けているように、常に分裂と不正に関連付けられます。それは実際、霊的熱望を無意識的に帯びただけの奇妙に自己中心的な思想です。なぜなら、もしそれが真の霊的展望であったなら、それは「ひとつの人類の夢(One Humanity Dream)」以外の何ものでもなかったでしょうから。その結果、アメリカンドリームはそれ自体を、ひとつの人類」の共通利益であるコモンズの最高の理想から常に切り離してきました。

もしアメリカの人々が彼らの生活様式に適合し世界の問題を自分たちの頭から除外するなら、彼らが自国とその生活様式を愛するのは自然なことです。しかし、アメリカンドリームの個人的繁栄と幸せは、今日の地球を悩ます全ての危機と大規模な不正を考慮すると、現実とはもはや何ら接点がないのです。アメリカが残りの世界を受け入れない限り、毎朝「忠誠の誓い(アメリカ合衆国への忠誠心の宣誓)」を繰り返し続けることはこの点において偏狭で無意味な行為です。アメリカ人だけでなく、万人が自由と正義への権利を持つことを宣言する「世界人権宣言」の写しを片方の手で持つ傍ら、もう片方の手を胸にあてアメリカ合衆国の国旗に向かって忠誠を誓うことをあなたたちは想像できますか。それは何かおかしくないでしょうか。豊かな国々において、特に合衆国内で、世界の資源の大変多くが掻き集められ無駄にされると同時に、無数の人々が不必要に飢餓と貧困から毎年死んで行っていることを知りながら、それはどのように感じられるでしょうか。そして、存在しないに等しく大部分が無視され隠されたアメリカ自体の何百万という人々が極貧の中静かに耐え忍んでいるにもかかわらず、それはどのように感じられるでしょうか。

真のアメリカンドリームとは、国家全体の魂を象徴する夢であり、他国との協力のもと世界を助け向上させるものです。しかしそれは、多くの世代を経て結晶化し、社会主義や共産主義の対極する形態と一緒に存在するアメリカンドリームの古い思想とは大変異なります。真の、そして高貴な概念は包括的であるべきであり、排他的であるべきではありません。そしてそれでも資本主義と共産主義国家の両方が各々の平等と正義の展望に応えられず、代わりに莫大な規模で人権を侵害し広範囲な世界的紛争を煽動しました。これらのイデオロギーが世界大戦以前と以後で生み出した全ての痛みと苦しみにもかかわらず、その犠牲から必要な教訓を学び多国間の協力と経済的分かち合いの真の道を取り入れた大国はありません。そして世界を平和と繁栄へ率いる自己の役を大統領が今だ信奉するアメリカの比類ないケースにおいてそれ(アメリカ)は、国家安全保障をどうにか装い攻撃的な自己利益を追求することにより逆方向へ進むことを常に選んできたのです。

まやかしの世界的慈善家

合衆国は大変多くの海外援助をして来たと私たちは議論するかもしれませんが、本当のところ最初に不当な貿易と不法な戦争を通して他国を喰いものとし、その後はそれが起こした苦しみを軽減する手助けをするために、不正な手段で得た利益のほんの少しを寄付することによりまやかしの世界的慈善家の役を演じるのです。そして合衆国内で何百万という国民が彼らの政府に悲しくも置き去りにされていると同時に、貧しいか困窮している海外の国々を助けるために何十億ドルもが送られている時、その援助は完全なる偽善を象徴するのです。アメリカが貧困者や社会的に排除されたデトロイト市民を見捨てると同時に、例えば、なぜそれは最近東ヨーロッパのウクライナに10億ドルの援助金を送ったのでしょうか。活動家の誰もが知るようにそれは、アメリカンドリームの古い思想と商業化が大凡同義語となるまで両者が徐々に融合した商業化のゲームである戦略上の自己利益や、利益をあげる機会を主に連邦政府が取り持っているからです。

アメリカは本当に長い間利益と権力の追求により維持された有害な概念に導かれてきたため、民主主義と自由と正義の自称価値を殆ど無視し他国の生活に損害を与えてきました。今日のアメリカの哀れな状態は、政治やビジネスの指導者たちが正しい人間関係の原理に基づきより霊的方向へ沿った完全な再教育を必要とすることを示す以外の何ものでもありません。アメリカは良識、謙虚さ、そして慈悲心が政府と社会の輝かしい特質となるようそれ自身と世界に対する優先事項を劇的に変革せねばなりません。それにもかかわらず、権力者の殆どが商業化勢力によって支配されている時、そしてその状況下で人類の基本的な霊的価値が大凡ユートピア的に見える時、この不可避の真実を述べることでさえファンタジーのように聞こえるのです。

アメリカが根本的に方向転換しない限りますます暴動、暴力、そしてその他全ての種類の社会的激変が起こり得る、暗く危険な路地へ今後暫くの間入り込んでいくでしょう。国中に長い間はびこってきた神経症、憎しみ、犯罪の全てに見られるように、そのような社会的激変は個人主義的で排他的なプログレスの思想を追い続けることの副産物です。合衆国の政治過程は明らかに返済不可能な国の負債を持って余りに腐敗し利益中心となってしまったため、長期に渡る財政混乱はこれから何年か先は疑いなく悪化し続けるでしょう。そして、環境破滅やより貧しい国からの収奪の観点からどれだけの被害がでても、贅沢なレベルの個人的富と物質的快適さを達成する権利を国民がプライドをもって信じるよう今だ彼らを訓練する国家にとって展望は悲惨です。アメリカの生活様式をいつまでも維持していくことが明瞭に不条理となった今、国中の多くの市民たちが大変不吉な予感を感じていると共に問いかけ始めています。「指導者たちがむなしく約束した希望はどうなったのだろう。そして私たちにはどのような運命が待っているのだろう」。

アメリカ全土で善意の人々が一体となって蜂起し、そして一般の人々が最も助けを必要とする時が近づく中で、彼らを助けるどころか戦争から利益を上げ企業の利益を守る政府の政策に対して平和的に反対せねばなりません。現在財政破綻しているデトロイトを助けるのは誰でしょうか。国の収入と資力を奪うペンタゴンか、それともCIAなどでしょうか。アメリカは類推すると、子供たちが遂には家を出て、自分自身で生きていくよう強いられるまで虐待され放ったらかしにされた機能不全家族のようになってしまいました。同様に、ワシントン政府は子供全員の世話を怠っている親のようです。 すなわちそれは50の州のことですが、経済が衰えるに連れそのうちの多くはデトロイトのように間も無く経済危機に落ちるかもしれません。これらの州の多くがいずれ最終的にワシントンを完全に見捨てるのは回避できないことではないでしょうか。なぜなら、デトロイトをつくったのはデトロイトの人々であり、ニューオリンズをつくったはニューオリンズの人々であるからです。ワシントンがつくったのではないのです。

2011年に合衆国中に広がった大衆デモンストレーションは、例えそれが意識的でなくても、どれだけの聡明な若者がアメリカンドリームとその象徴の全てを拒否し始めているかということを明らかにしました。そして平和的抗議の中での皆が一体となったデモ行為は、実際には叡智と同様、成熟した愛の一表現でもあるのです。なぜなら、愛の中には真の意味での自由があるからです。それは、アメリカのより深淵な偉大さを何年にも渡って損傷させてきた、古いもの、不正、そして壮大な盗みと退廃からの自由なのです。いわゆるアメリカの生活様式への偽の誇りにしがみつく代わりに、街頭に立ち自由と正義の本当の意味を支持する人たちをアメリカ人は当然のごとく誇りとすべきです。

アメリカの真の英雄

オキュパイ運動の抗議者の多くは、アメリカンドリームがどのように国全体を惑わせ分割し、そして国際舞台において汚名をアメリカへ着せたかを良識を持ってわかっています。彼らが自由の女神像の天辺へ立ち、そのトーチに火を灯すべきアメリカの真の英雄です。大企業と私腹を肥やす政治家たちに自己の自由意志を絶えず操作されることを許さず、成熟さと責任をもって生きたいと思うのは彼らです。正直さと無執着を持って今の瞬間を自由に生きることを私たちに許す代わりにアメリカンドリームの背後へ隠れ、私たちが何を考え何をすべきか命令することにより、私たちの注意を逸らすことを容赦なく試みる商業化勢力を公然と非難するのは彼らなのです。勿論、見当違いのプライドを持ちアメリカンドリームを今だ強く信じる多くの人々は、戸惑いと誤解の中でズッコティ公園のテントを傍観し、抗議者たちがアメリカの生活様式の有り方に反しているとさえ感じました。しかし、アメリカの国民全員が自分たちに問わねばならない時が来ています。この生活様式の意味は何なのでしょうか?そして、それは私たちをどこへ導いているのでしょうか?

政府と警察は公共の場所から全てのテントを消したと信じているかもしれませんが、アメリカの若者のハートに宿るテントを消すことができないのを彼らはわかっていないのです。もし、政治家たちがテントが戻ってこないであろうと信じるなら、彼らは厳として間違っています。なぜなら、テントの数は静かに、そして徐々に、ハートからハートへと既に増々なん倍にも膨れ上がっているからです。一見、現在何も起こっていないかのように見えますが、早かれ遅かれ都市公園だけでなく州兵でさえ取り壊すことのできないテントの野営地が全国に広がるでしょう。すなわち正義の真の意味、そして法と秩序の意味を警察が自分たちに問わねばならない時もまた恐らく来ているのではないでしょうか。恐らく、彼らは社会的反乱の政治的原因を調査するための特別機関をアメリカ合衆国司法省内につくり、政府が、有害な政策と間違った優先事項によって反乱の原因となることを止めさすべきです。もし政府が不秩序と不正を作り出しているのなら、それが警察に秩序を取り戻すことを命じ正義を支持することは理にかなっているのでしょうか。街頭に立つ多くの人々が慈悲心を持ち聡明であり正義の真の意味に従いデモをするために愛を持ってでてくる時、それは理にかなっているのでしょうか。警察は、そのような善意を持って果敢にデモ行進する同胞である市民を逮捕しいじめ続けるべきでしょうか。それとも政府に注目を向け、「もう沢山です。我々は機械ではなく人間です。これ以上人々に背き腐敗した命令に従いません」と言うべきでしょうか。

今のところ商業化にとって優勢的な法律が私たちの街や街の広場からテントや集団抗議を一掃していますが、もし私たちが自己を注意深くのぞき込むなら私たちの意識中に地球規模のテントが振動し始めているのが見えます。今が、 共同の努力のもとこの地球規模のテントを建設し始める時なのです。そしてそのドームを見上げる時、遂には世界中の全ての人間の顔が反射して見えるように建築する時なのです。今が、アメリカの若者たちが私たちを率い、他の国の若者たちに世界規模のテントを共に建設する手助けをするよう呼びかける時なのです。アメリカの若者が更に包括的、霊的展望を持って彼らのハートとマインドを一直線上に結ぶことにより、アメリカンドリームの古いアイデアを彼らに変換させましょう。小川の流れに紙の船を浮かべる子供のように、アメリカンドリームがその本来の運命に沿って行くよう、自由と正義の川へ彼らにそれを放たせましょう。それは可能であり、可能であるべきであり、緊急に達成されねばなりません!世界は今、迅速なスピードで変化しており、人類にとって新たな希望が浮上しているのですから。非暴力的抗議デモの全国的波が遂には地球規模で広がるまで、全州で止むことのないデモンストレーションをオーガナイズすることにより道を示すことは、君たち、アメリカの若者にかかっているのです。

正しい人間関係に基づいた公正で維持可能な社会を求める全てのグループは、変革への共通の展望の構造化には時間を要するであろうという事実を忘れず迅速に集結すべきです。リーダーシップやはっきりした要求に欠けていると、集団デモや座り込みについてテレビで話しているスーツ姿の専門家など気にすべきではありません。今日のアメリカの若者のハートとマインドの中で何が起こっているのか、自己没頭的な批評家の殆どに及びも付かないのです。そして、商業化勢力は常に私たちを圧倒し、あちこちへ引っ張る強力な磁石のようなため、正義と自由への包括的呼びかけを始めは構造化できないことが予測されます。従って、正式な要求や制度上の取り決めを通してあなたたちの要求をどのように構造化するかについて心配する代わりに、創造的なデモンストレーションを絶えることなく続けてください。そしてそうすることにより、残りの世界が参加することを鼓舞するのです。恐らく、これが私たちお互いの、そして私たちの世界との関係において良識と善意が基準となるところの、私たち全員のマインドに愛を構造化する一番確かな方法でしょう。

分かち合いはマスターキー

分かち合いの原理が社会において私たちの愛の表現を構造化するためのマスターキーであることを、 お互いの努力の集結を通して私たちは即急に悟るかもしれません。この誤解され置き去りにされた原理の最も重要な特性のひとつは、自由と歓喜の中で人々を集結させることです。それは、世界規模で多くの都市の自発的な集団抗議運動において、一時的ながらも美しく実現されました。近現代史を通して目撃された多くの暴力的革命と比較すると、過去の全ての「主義」や商業化の分裂的毒から離れ、共になることや歓喜あふれる祝福の中で、これらの大きなデモンストレーションの表れから新たな何かが生まれ出たことが感じられます。そしてその新たな要素とは、単にハートが話し世界へ自己を表現することを許すことにより、何万という多くの人々の間で一斉にハートを解放することなのです。

もし私たちが知的考察なしでハートの理解を通して世界を見るなら、初めに見えるのは不正ではなく唯一愛情の欠如です。誠にそれは、正義自体の表現をもたらす国政の中の愛の表現の欠如なのです。それは、分かち合いの原理に基礎を置いた人類の過程と政府の政策を通してのみ修復され得るのです。愛と分かち合いなくして今まで自由が存在したことはありませんし、これから先も存在することが決してないということをアメリカの若者たちは知らねばなりません。今日私たちは、愛でさえ傷つき、哀しみ、無意味な言葉になってしまった大変複雑で商業化された社会に住んでいます。それにも関わらず、もし私たちが世界資源を万人の間でもっと平等に分かち合っているなら、私たちが共にする生活はとても喜びに満ち自由で創造的となり得るのです。

従って、私たちが政治的経済と日常生活の観点から分かち合いの意味ついてよく省みる時間を持つことは極めて重要です。なぜなら分かち合いは、正義を伴った健康で持続可能な生活の表現への私たちの最も信頼できる手引きだからです。私たちは社会主義や共産主義、また何か他の政治的「主義」について話しているのではありません。万国共通の原理について話しているのであり、それが政府によって社会的、経済的政策において実施される時、遂には私たちの衰弱した社会を癒し、世界問題の数多くを解決することができるのです。私たち全員から剥奪された愛と喜びのためでないならば、一体なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。少数派が贅沢三昧に生活する中、何百万もの人が飢え、豊かな世界の中で私たちをお互いから分裂させた貧困と富の二極化のせいでないならば、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。生気が消え、不安の日々が毎日不変に続く中で、そのように分極化され無気力にさせる社会で常に私たちに降り注ぐイデオロギーと「主義」のせいでないなら、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。正にオキュパイ運動は政治を変革し経済を改革するだけのために始められたのではなく、生きる喜びを取り戻し、私たちのハートを霊的に再占拠するためにもまた始められたのです。私たちは子供たちと未来の年代だけのために戦っているのでしょうか。それとも、何かより良いものを自分たちのためにも求めているのでしょうか。真の自己を抑圧する絶え間ないストレスとお金儲けから解放され、連帯感と目的意識を持ち、その日その日を新たに新鮮に生きることを求めているのではないのでしょうか。

厳密に合理的観点から見ても、資本主義やシステムに対してきりのない戦いを続けるよりむしろ、政府によって分かち合いの原理が実現されることを要求する大衆と一緒になる方が戦略上有利です。私たちが反資本主義の立場をとる時、商業化という狼の口へ自分たちが即刻落ちることも若者たちは知るべきです。資本主義自体が私たちの対立と敵意から刺激を受けるとても賢く洗練された「主義」であるため、システムは私たちが「反」や「主義」の思考形態を身につけることを欲しているのです。自分たちの怒りを表し、不正で組織化された原因に反対する権利を私たちが持つと同時に、それを守備するために動員された勢力が余りに途方もなく、そして法律に守られているシステムと戦うことは無駄です。私たちがその勢力に対立した途端、それは即刻私たちを倒し、蔑み、巧妙に暴力へはめ込みます。そして、その暴力が更なる暴力を生み、それはシステムが自体を守備し永続させるためにまさに必要とするものなのです。

ですから、私たちはこの罠にはまらないよう認識を強め、社会の不平等に対立する「反」となる考えを抱くべきでさえありません。私たちはむしろハートを使って取り組むべきなのです。なぜなら、それが商業化勢力の入り込めないところだからです。私たちをひとつに結ぶのは思想自体でなくハートです。個々の人間のハートの知恵の中には全人類の知恵が宿っているからです。イデオロギー経由で扇動された革命は必ず更なる社会的分裂と暴力を生みますが、ハート経由で起こった革命は自然に良識、皆で共になること、分かち合い、そして当然のこと愛を生みます。無数の人々が共になり正義を成就する手段として「分かち合い」を要求することにより、専門家機関や警察でさえ最後には私たちに加勢するのではないでしょうか。

万人のための分かち合い、自由、そして正義

従って、全ての「主義」と私たちの過去の間違った教育から離れ、いつまでも街頭に集結し、私たちのハートの切望を賢明にはっきり述べましょう。社会主義、資本主義、または他の何かの「主義」の名のもと要求するのではなく、むしろ、私たちという存在の名のもと − 自由、尊厳、そして平和の中で進化していく平等の権利を持ち生まれた「私たち人」の名のもと、政府がそれ自体と経済を構造改革するよう要求しましょう。これが、アメリカと世界を変革するために必要な意識の転換です。それは、イデオロギーや個人的利益の考えが皆無の時にのみ起こり得るのです。社会の全ての問題が日々悪化しており、以前と同じ生活の続行が不可能であることを私たちは知っています。利己的で物欲的な在り方に私たちは飽き飽きしており、その過ぎ去った時代に戻りたくありません。それにその上、もはやそうできる状況ではないのです。良識と分別がハートと融合する時、分かち合いへの呼びかけがハートから来ることを私たちは知っています。ですから、資源の平等な分かち合いを要求し、 専門家が私たちを世間知らずと呼ぼうが気にしないことです。商業化の有害なゲームにこれ以上従うことを拒否しましょう。そして代わりに新たな生活様式、新たな世界、そして新たな体制のために、デモンストレーションをしましょう。

分かち合い、自由、正義のみを支持し、他のさまざまなものに立ち向かう必要はありません。この三つがこの順序で、あらゆる深淵な意味での政治的、経済的、民間的な富、権力、そして自由の分かち合いのために、私たちの要求のトライアングルであるべきであり、すなわち、それは万人のための社会正義を意味します。全国民が食糧、住居、教育を与えられ、ヘルスケアと社会保障を含む生活必需品へのアクセスによって守られるよう、協調的な絶えることのない呼びかけを通してのみ、アメリカの新たな時代が幕開けるのです。複雑な政策要求のリストを持ってしてそれは決してありえないでしょう。それが、私たちが政府に全国規模で満たして欲しいと望む、本質的に単純明快な要求なのです:一般人の日常生活の問題を優先すること、そして大企業のために契約を交渉する個人経営の会計士のような振る舞いを止めることです。それは最小限、選ばれた指導者たちが戦争兵器へ何十億ドルとつぎ込むのを止め、代わりに、国民の必需品を確保し実際的な雇用を生むために、国家の資源を向けなおさねばならないということです。これ以上簡単な要求があるでしょうか。それは、全民衆に仕えるか、あるいは即刻退き、それをするつもりの者にその役割を譲るということです!

それと同時に、アメリカの正義などというものは存在せず、正義そのものがあるだけだということを理解しましょう。そして、自由の概念はアメリカのみを象徴するのでもアメリカだけのものでもありません。あなたがどこにいようとそれは生を象徴し、愛自体に属すのです。それは常にそうであったし、これからも常にそうであり続けるでしょう。このように、私たちの要求はアメリカの国としての利益のみに限られるべきではありません。それはオキュパイ運動が初めて出現した時の決定的誤りでした。なぜ私たちは分かち合い、自由、そして他国の私たちの兄弟姉妹のために正義への展望を支持しないのでしょう。なぜ私たちがアメリカの99%でなく、世界の70億人の99%だと言わないのでしょう。思い出せる限り私たちは既に自国の利益に焦点を当ててきましたが、今が、私たち共通の懸念が世界全体のニーズを受けとめる時です。私たちが平和的デモのために外へでる時、自己に尊厳を与え高める時であり、そして私たちより恵まれない人々のための道徳心、同情心、慈悲心のもとに意識を世界規模へと拡大する時なのです。

明らかにアメリカで起こっている問題は、前代未聞の規模で現在定期的に勃発している諸々の国々での大衆デモに反映されるように世界でも起こっています。正義と平等の真に国際的観点から私たち共通の要求を叫ぶことにより、海外の都市でも他のグループが同じようにしているのを見て更に私たちは勇気付けられ、彼らも私たちの行動を見て勇気付けられるでしょう。共に、24時間体制のデモに参加し続け、お互いを誘発し合いましょう。これがなぜ、更なる支持を得るために世界的優先事項の緊急性を持って私たちが抗議せねばならない理由です。これが、どのようにしてアメリカの若者が、世界が彼らに参加するよう鼓舞し、分かち合いへの要求が世界規模で迅速に拡大することができるかです:アメリカの3億人の99%ではなく、地球という家を私たちと共有する70億人の99%の懸念を支持することによってです。

世界人権宣言第25条の復興

この理解から、地元での蜂起を自然に構造化し、他国をデモンストレーションへと導くであろう世界人権宣言第25条を私たちのスローガンとして採用すべきです。尊ぶべき第25条が述べているように、「すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保証を受ける権利を有する(ウィキペディア引用)」。これらの基本的権利が全ての人のために満たされているところは世界のどこにもありません。それは前述で私たちが認識したように明らかな理由によるものです ー エリートの特権と商業化の利益、そして国連の創設時の展望を事実上放棄した国際競争の政治を保護する法律などのためです。他の全ての大国の自己本位で分裂的な経済戦略と共にアメリカの外交政策の隠された策動はそれ自体が、世界の莫大な数の人々にとって第25条を拒否するものなのです。予防可能な病気と貧困から毎日4万人が死んでいるにもかかわらず、世界の正義と人権を支持するのだとアメリカ政府は臆面もなくまだ言い張るのです。彼らは私たちを馬鹿にしているのでしょうか。そしてこの日々の大虐殺が続く中、私たちは黙り続けるのでしょうか。

もし私たち自身をひとつとなった人類の共通利益と同一視するなら、万人のハートとマインドを象徴するスローガンとして第25条を私たちが支持することが適切です。私たちは皆平和を望んでいます。私たちは皆正義を望んでいます。私たちは皆きれいで安全な環境を望んでいますが、自分たちのために平和と正義を要求する以前にこの豊かな世界の中の飢餓と極貧の冒涜の不動の根絶を私たちは望んでいるのです。それは道徳と正義の問題であるだけではなく、私たちの認識と叡智との関連における戦略と良識の問題でもあるのです。私たちは何百年もの間、資本主義やシステムとたたかってきました。そしてそれにもかかわらず、大多数の貧困者と排除された人々にとって状況はますます悪化する一方です。それ故、今が革新的な世界変革のための普遍的アプローチとして、第25条を提唱することにより私たちの戦術を変える時なのです。

全ての国の政府によって第25条が保証されることを要求する何百万、何千万という人々を持って、それが社会と私たちの集団意識に与える高揚効果を過小評価することはできません。止むことのない世界規模の結束と善意が集結した行動に表現されるような、街頭で極貧の根絶を要求する莫大な数の人々を目撃したことをかつて私たちはありません。分かち合いの原理に基づいた国際政府政策をこのような方法で提唱することにおいて、アメリカの活動家たちが先導したとしたらどうなるか心に描くことができるでしょうか。ニューヨークシティはテントと止むことのないデモ活動で溢れかえるでしょう。なぜなら、貧困者も加わり、基本的権利の呼びかけを強化するであろうことは確かだからです。そして何よりも、アフリカとアジアから南米までの大陸で何十億の人々がその呼びかけを聞き入れることでしょう。なぜなら、ひいては私たちは彼らの生活についても話しているからです。

従って、これを私たちの鳴り響く呼びかけとしましょう。私たちが住むこの腐ったシステムに「対立」する革命を扇動するのではありません。それは、私たちの声がイデオロギーと主義の果てしなく続く戦いの中に失われる時、意味を失います。どのような形であろうとシステムは残るのですから、最も緊急で重要なことのために完全に包括的で根気強い要求を通して私たちはむしろシステムを変革すべきです。それは、各国の全ての男女子供に第25条の人権を直ちに保証することです。もし政府が優先事項を完全に再調整し、世界資源を分かち合うために他国と真の協力において取り組むよう圧倒的な公衆の圧力によって駆り立てられたとしたら、これがどれだけ簡単に達成されるかただ想像してみて下さい。歴史がしばしば明らかにして来たように、もしある思想の機が熟し、時と場所が適切であるなら、一握りの人々でさえがこの地球で信じられない変革を起こすことができるのです。そして自由の女神像が抗議デモの中でトーチを落とし、「第25条: 真のアメリカンドリーム!」と記した巨大な旗を掲げるまで、私たちが「世界を照らす自由の女神像」に今一度命を吹き込む時が来たのです。

奮い立て、アメリカよ、奮い立て!

光へ向かって僕の希望を高揚させたテントと占拠者たちが懐かしい。

君たちよ、どこにいるのか。

まだ君たちの痛みと熱望が感じられる。

まだ夜の熱の中に君たちの声が聞こえる。

君たちの顔、歓喜、新たな生活への呼びかけが懐かしい。君たちが皆懐かしい。

君たちよ、どこにいるのか。

君たちが全世界の希望だということを、わかってくれさえするならば。


モハメッド・メスバヒははSTWRの創始者である。

編集協力: アダム・パーソンズ

フォトクレジット: シャッターストック、著作権  Misti Hymas